鉄道100年記念列車が走った日 -1972年10月15日-


43・10にはじまる、空前絶後の鉄道ブーム。その牽引力が「SL全廃」とすれば、その頂点は47年10月14日の「鉄道百年記念日」ということができるでしょう。このブームが「鉄」だけでなく、国民的なものであったことは、雑誌や書籍だけでなく、テレビドラマや映画でも、鉄道や鉄道員をテーマとしたモノがヒットしたコトからわかります。一連のブームは、それまでの高度成長期においては、日本の骨格や血管となって、日本人のライフラインと経済を支えてきた鉄道が、70年代以降、大きくその役割を変えていく変曲点にさしかかっていたからこそ起ったものともいえるでしょう。ぼくらは、そのさなかに中高生だったワケで、この刷り込みは半端ではありません。同じくこの時期に歴史的な意味のあるロックと並んで、未だにその影響は個人的に甚大です。これは別に、ぼくだけの特殊事情ではありません。日本の鉄道趣味業界を見ても、日本のロック界を見ても、そのリーダーシップは、ぼくらの世代がとっているのは故ないことではないのです。というわけで、1972年の秋には、当然のように、東京近郊で行われた記念行事の撮影に行きました。今回はそんな鉄道100年記念イベントの頂点ともいえる、10月14日、15日に汐留〜東横浜間で運転された記念列車の撮影時の記憶です。当時は土曜も学校があったので、撮影は15日の日曜日をネラうことにしました。授業をサボって映画を見に行く、みたいなことはやっていたのですが、さすがに1日丸ごとさぼると欠席がつくので(当時ぼくの高校では、学生運動の余韻ゆえ学校もリベラルで、個々の授業をサボっても、その授業の「欠課」はついても、その日どこかのコマに出席していれば「欠席」とならず、総出席日数にはカウントされた)、おのずと日曜狙いということになりました。



さて、どこで撮影するか。実は皆さんご存知のように、この区間では2年前に、ほぼ同じ区間で「高島線蒸気廃止記念列車」が走りました。そのときの経験から、東海道線内はズル混みの上に、安全対策の規制が厳しいだろうと判断。牽引機が撮影したことのない紀勢線のカマだったこともあり、横浜機関区での撮影も可能な、高島線内の東横浜付近で撮影することにしました。立ち位置を確保したトコロにやってきたのは、EF10の一次型6号機。このときの配属は、国府津でしょうか、新鶴見でしょうか。当時は、旧型電機も「犬のクソ」状態でしたが、さすがに初期型のEF10やED16といった古豪は、D51やC57よりも古いワケで、SLマニアも一目置く古色蒼然たる迫力がありました。ところで、こうやって望遠で正面から「圧縮」すると、EF10とED16ってさすがに似てますね(笑)。


このときは、それまでの記念列車撮影の経験から、望遠ズームの手持ちで、画角を変えて複数カットをとろう、という作戦でした。そこで、練習とばかりに、やってくる貨物列車を材料に、画角とシャッターチャンスのシミュレーションをしたワケです。それが、ぼくとしては珍しい旧型電機のカットを残すコトにつながったのですから、世の中おもしろいものです。次にやってきたのは、新鶴見方面に向う単行、EF15の97号機です。これもついでに練習用ということで、見かえりショットで押さえています。まあこの頃は前照灯が常時点灯ではないので、EL・DLの単行については、機関士の姿以外どっち向きでも差はないのですが。このカマは「高二」の所属なので、スノープローとデフロスターがいいアクセントになってます(とかいうと、模型屋の見方といわれそうだが)。模型といえば、旧型電機のボディーと台枠のバランスって、こういう感じなんですよ。よく見てくださいね。16番じゃ、できないでしょ(笑)。


このときは、80-200mmのズームを使っている(それしか持っていないので間違いない)のですが、最後のカットは、思いっきり引きつけた上で200mmに戻して撮ろう、という作戦でした。そのシミュレーションとばかりに狙ったのは、新鶴見にいたEF10の30号機。関門トンネル用に、1940年に新製されたグループの中でも後期型、独特の鋳鋼製台車を装備したカマです。さすがにこれでは寄せ過ぎで、上下が切れています。しかし、ここまでアップにすれば、他の撮影者は入っておらず、その狙いは一応アタっていた、といえるでしょう。よく見ると、列車無線がついてるじゃないですか。新鶴見はついているのか。となると、先ほどの6号機にはないので、国府津だったのかな。蒸気の個体識別は強いんだけど、電機はよく知らないもので。


蒸気機関車の写真は、この企画の趣旨とは違うのですが、ここまできて「記念列車」が出てこないのも何なので、からめ手から2カット。まずは、「近づく記念列車と、そわそわしだすファンたち」のワンカット。上り線は注意信号を現示していますが、そんなのお構いなく撮影者で溢れてます。線路上に三脚立ててる人もいますね。ひどいなあ。そもそも、複線の対向側から撮影しようというのは、鉄道写真を撮りなれていない証拠ですね。オマケにこの先の運河にかかる橋梁は、下路式なんですよ。といっても、こういうのはマニアの常識には過ぎないんだけど。じっくり見ると、撮影者だけではなく、カメラを持たない「一般の子供連れ」もずいぶんいますね。実はぼくも、先にタキ・ホキのいる側線上にいるんですが、係員の姿が写っているように、これは公認です。そのタキやホキの上にも、撮影者がよじ登っていますが。いかに歴史的大イベントとはいえ、これだけの人数を構内に入らせてくれたんですから、当時はおおらかなものでした。というより、これでもけっこう規制が厳しかった、と記憶してます。


今回の白眉。記念列車の写真の中でも、実はいちばん気に入っているカット。この10月は、10月1日の総武本線のC571、10月8日の八高線D51498(こうやってみると、どっちも現役動態保存機だね)、と3週続けて記念列車の撮影でした。そうなってくると、車輛より「イベントを写したい」というモチベーションが高まってきます。そんなワケで、この日は「できるだけヒトを写す」ことにトライしてみました。そんなカットですが、一般のヒトにも大いにインパクトがあったイベントだったことが感じられるのではないでしょうか。一番手前の車窓から8mmを撮影している方など、そのフィルムには逆に撮影中のぼくの姿が写っているんでしょうね。この2カットに関しては、勝手に肖像を載せてしまいましたが、「あれはわたしだ」とか「ぼくもここで撮影した」とか、お心当たりのある方はmail等ご連絡を頂ければ、と思います。


さて、撮影を終えて横浜から東横線で帰る、帰り道の駄賃。多摩川橋梁を渡る7000系、日吉行き。秋の陽は、すでに傾き出しています。考えてみると、7000系がすでにないだけではなく、複々線化で多摩川橋梁も掛け変えられ、さらに地形も変化しているワケで、全てにおいて「今はなきシーン」になってしまったわけです。とはいうものの、先頭のデハ7026号は弘南鉄道に譲渡され、デハ7022号として今でも弘南線で現役です。東急車の写真は、こういうめぐり合わせが多いですね。SLの撮影をはじめてから、約3年。この日が、ぼくにとっては、首都圏での最後の蒸気の撮影となりました。もっとも、これから全廃までの2年間に、九州へは3度撮影行に出かけてはいるのですが。


(c)2006 FUJII Yoshihiko


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