Tokyo In and Out '92

(その1)



その1.ユーザの心はモノ作りの永遠の原点だ

1.必ずヒットする「あって当然」な商品
いかに、理性的な「機能」から感覚的な「気持ち」へ、消費者がモノを選ぶときの基準が変わったといっても、「商品そのものの魅力」がまったく意味をなくしてしまうというコトにはならない。商品が本来持っている魅力や使い勝手が、ユーザにとって「気持ちいい」ポイントになっているモノだって、まだまだいっぱいある。ところが各社が「差別化」に走るあまり、市場に出回っているのは小手先の目新しさを追いかけた商品ばかりになり、本来の持ち味を生かしたモノは市場から消え、手にはいらなくなってしまう傾向が強いのだ。
いままでみんなが信じてきた「業界の常識」は、実は世間の常識とは違う場合のほうが多い。競合社の製品ばかり見て、それとどう「差別化」するかという視点から商品企画をたてるのでは、生まれてくる商品は本当にユーザがほしいものからどんどん遠くなってしまう。もっと当り前の、もっとコダわりのない商品が欲しいのに、技術も営業力もある会社がどうしてそれを提供できないのだろう。これでは、自ら市場の可能性を狭めてしまう。
仕事ズレ、業界ズレするとユニークな発想はできない。だから、社員ではなくひとりのユーザにたち戻って発想しよう。専門家の視点は、視野を狭めるデメリット。なにも新しいものは生み出さない。そんなコダわりは捨てて、たまにはしろうとの素直な視点に触れるのも新鮮だ。自分の家族とか、社内の別部門の社員とか、学生時代の友達とか、あなたのまわりにもそういうヒトはいくらでもいるハズだ。そうすれば、忘れていた「コロンブスの卵」がみえてくるだろう。

○商品がいくらよくても……、を克服したカルピスウォーター
飲料業界ひさびさの大型ヒットとなり、'91年を代表するヒット商品となったカルピスウォーター。これなどまさしく、ユーザからすればあって当然な商品だ。だからこそ大ヒットしたともいえる。
カルピスの味や魅力はいささかも衰えてはいなかった。これ自体、驚くべきことだが、歴史のある定番商品ならではの強みといえるだろう。しかし、商品形態に問題があり、商品力が低下し売行きが落ちたのだ。
いまや清涼飲料水は自販機やコンビニで買って、即、缶からゴクゴク飲むもの。自分で薄めて飲むなんて信じられない。あの濃縮された「カルピス」じゃ家でしか飲めないし、消費者はそこまでするのなら「いくらおいしくても飲まないよ」と思っていた。
これでは勝負にならない。だから、他の飲料と同じ土俵で勝負をはじめさえすれば、その強みをよみがえらせるコトができる。だが、それをやるためには、味の素の資本参加による「外圧」が必要だったというところにカルピスの不幸があったのだ。

○幻の名ストップウォッチ「セイコー・サウンドプロデューサー」
時間の計算って、どうしてあんなに面倒なんだろう。時分秒が十進法だったらどんなに楽だろうかと思いつつ、時間の足算や引算を日夜くりかえす仕事も多い。オーディオソフトや、ビデオソフトの編集などは、その典型だ。時間の計算のできる電卓というのは、ポケコンのような一部の多機能機種しかない。そしてとても使いにくいのだ。
さて、こういう仕事をしているヒトは、たいがいストップウォッチを持っている。つまりストップウォッチで計った時間を計算しているワケだ。それならストップウォッチに時分秒の計算機能をプラスしてしまえばいい。こうして生まれたのが、今や幻の銘器と呼ばれるセイコー・サウンドプロデューサーだ。
ストップウォッチのユーザが誰かわかっていれば、機能としてはすぐにでも作れたものだ。だが、誰でも考え付きそうで、時計屋さんも、電卓屋さんも気づかなかった大穴だった。このセイコー・サウンドプロデューサー、その後ディスコンになってしまったのだが、今でも業界では探しているヒトが多いという。出し続けていれば定番間違いなしだったのに、惜しいといえば惜しい。

○4番打者でも3塁打は努力のタマモノ -成田エクスプレス-
成田空港が開港したときから、その地下には新幹線用の駅が作られていた。これは運輸関係者の間では周知の事実。だが当時の国鉄幹部や運輸省のお役人は「なにがなんでも新幹線を走らす」コトを金科玉条のごとく考えていたので、それは使われることなく、団体客の待合室になっていた。
しかし、お客さんにとってはそんな役所のメンツは関係ない。空港にいくのに、いちいちバスに乗り換えてゆくなんて耐えられないハナシ。新幹線じゃなくたって、便利で楽な電車が走っていればなんでもよかった。「なんで駅があるのに電車が走らないの」というのが一般民間人の自然な発想だ。
時は流れて国鉄もJRとなり、やっと市場原理が導入されたらしい。当然、このムダな廃墟のもったいなさに気がついた。すぐワキを通っている在来線からちょっと線路を伸ばせば、たちまち直通列車を走らせられるのだ。あるのが当然な列車が走り出すまで、この間十数年。役所とはなんとムダがスキなのだろうか。
しかし、タダ走らせるだけでなかったところが、さすが民営化したJR。イメージもよく、サービスにも気を配った専用の新型車輌を投入した。貨物線を活用し、今までの路線別の運行とは違う、ユーザニーズにあった直通ダイヤをくんだ。このアタりのマーケティングマインドが、「あって当然」の成田エクスプレスを付加価値の高い大ヒットにしたことも忘れてはならないポイントだ。

○缶入りウーロン茶の爆発的ブーム
海外にいくと、昔からミネラルウォーターをビンや缶に詰めて売っている。日本でも、日本独特の水割り用として、ミネラルウォーターは売っていた。でも、これはなぜか店頭の冷蔵庫の中には入っていなかったし、ましてや自動販売機では扱ってもいない。ぼくが高校生の頃、暑い夏の日には甘くない飲物が欲しくて、キンキンに冷えたミネラルウォーターをお店で売っていたらいいな、なんて思ったよくものだ。
しかし、それはどこにも売っていない。きっと「お茶と水はタダのサービス」という「業界の常識」が信じられていたからだろう。ところが、お客さんはお金を払っても飲みがっていたのだ。だから、お茶とか水だってタダでなくたってよかったんだ。甘くない飲物がほしいヒトは多いし、そういうヒトはちゃんとお金を出す。
この盲点をついて大ヒット商品となったのが、缶入りウーロン茶だ。甘くなくて、キンキンに冷えた飲物。このノド越しがみんな欲しかった。誰でも出せたのに、誰も出せなかった。こんなコトって、どの業界でも多いんじゃないかな。

2.心の底をくすぐる商品をつくれ
差別化とは逆に、各社ともほとんど同じようなコンセプトで、基本的には同じようなラインナップの商品しか出していない場合、世の中ではそのジャンルの「商品像」が出来上がっていることも多い。ユーザも作り手もその「商品像」に惑わされてしまい、「○○とはこういうモノなのだ」と信じ込んでいる。これではユニークな商品がでてくる余地はなくなってしまう。
しかしそんな場合でも、ユーザはその商品を使いながら、直接疑問こそ感じていないものの、なにか煮え切らない「イマイチな気分」を心に秘めていることも多いのだ。こんなときには、誰もほしいと口には出していなかったけど、実はみんなが熱望していたモノをカタチにできれば大ヒットを当てられる。
こういうヒットを狙うには、ユーザの声をきいてもしょうがない、なんせユーザも、自分自身がそれを欲していることに気づいていないのだから。それではどうしたらユーザの心の中にひそむ欲望をカタチにできるのだろうか。そのためには、消費者の生活全体を見つめ、自分がユーザになりきって「気持ちいい」カギはどこかをじっと見極める必要がある。どこが「イマイチ」なのかポイントさえつかめばあとはこっちのもの。新しい発想でそれをカタチにすればいい。市場にあふれている商品なんてハダカの王様だ。素直な心で見極めれば、新しいニーズがみえてくるぞ。

○シーマがひらいた真の日本のモータリゼーション
スゴい昔は、クルマなんてなかなか個人で買えるシロモノじゃなかった。だから、パーソナルカーは一番安くて小さい「大衆車」だけで、高級車というのはみんな法人が買う「カンパニーカー」だった。でもそれから20年以上がたって、日本は世界一の自動車大国になり、国内でもモータリゼーションが開花した。しかし、なぜか各メーカーともクラウンとかセドリックとか、高級車の基本コンセプトはカンパニーカーのままだった。
もともと高級品の場合、パーソナルユースの商品はビジネスユースでも使えるが、ビジネスユースのものではパーソナルユースには向かない。たとえばデスクを考えてみれば、すぐわかる。社長室にあるデスクはだいたい書斎においてもおかしくないようなものだが、「事務机」では、いかに管理職用の立派なものでも自分の家には置きたくないではないか。
ということで、高級車は本来基本的にパーソナルカーとして設計さるべきなのだ。しかし、こういうコンセプトでつくられた高級車シーマが登場するには、まさにバブル時代を迎える前夜まで待つ必要があった。だが、その後の価値観のコペルニクス的な転回はいうまでもないだろう。今となっては昔のカンパニーカーが不思議なくらい、「大きくて豪華クルマ」といえば「パーソナルカー」になってしまった。

○カメラつきフィルムのヒットの秘密
かつてはカメラといえば、より高価でより高性能の機種が次々と登場し、まさに「高機能の高級一眼レフにあらざれば、カメラにあらず」という感じで市場を謳歌していた。しかし、多くのヒトにとって高級カメラの持っている機能は必要ないだけでなく、かえって高機能がゆえに使いにくくなっていた。
もともとふつうのヒトにとっては、カメラなんてただ写ればいいだけのモノ。一般の人はカメラそのものにコダわりなんてない。写真がとりたいだけなのだ。この傾向は、フルオートのコンパクトカメラがブームになってから、かなり顕著になってはいたが、決定的になったのは「写ルンです」にはじまるカメラつきフィルムが登場してからだろう。
なんせ、フィルムを買えばそのままそれだけで写真が写せる。ここにいたって、カメラとフィルムのそれまでの主従関係が逆転してしまった。しかし、よく考えてみればなにも驚くことではない。多くのヒトにとってカメラは「写真を写す」という「ソフト面」が欲しいのであって、カメラという「ハード」そのものが欲しいのではない。カメラはあくまでも手段だったのだ。しかしこの構図を忘れて、メーカーは「カメラを持つことそのもの」を目的してみるようになっていた。これでは足元をすくわれる。こんなふうに、「利用者はなにがやりたいのか」という視点を見失う危険性は、いつでもどこにでもあるのだ。

○ディスコの水割り商法で大儲け、J-WAVEのコスいワザ
ラジオの市場は小さい。いかにブームのFMといっても、市場には限度がある。だから儲けるにはローコスト経営が必須になる。番組制作にはそんなにお金をかけられない。そんな時代でも先発局は、人気タレントのDJや、ライブなどのオリジナルソースを中心に、制作費のかかる「高い番組」で勝負をしていた。
しかしよく考えてみると、ラジオの番組なんて、どうせドライブや仕事や勉強のBGMじゃないか。真剣に聞いているヒトなんてそんなにはいない。みんなBGMがほしいんだったら、BGM専門の放送局があってもいいじゃないの。そして始まったJ-WAVE。番組編成は、いままでの局のタイムテーブルとはうって変わって、BGM向きの口当りのいい曲を淡々を流し続けるだけ。これならどんなに凝った番組をつくってもコストがかからない上に、聴取者にも受け入れられる。この「積極的に聴かれない放送」という逆転の発想が、グッドサイクルを生んだのだ。だがこれは手抜きでない、ユーザニーズに合っているのだ。
かくして、安い原料でつくって、それをさらに水増ししてという「ディスコの水割り」のような番組は、あってあってもなくてもいいBGMとして人々の生活に定着したのであった。これが、折から起こったリクルート対策のイメージ広告ブームにのって、次から次へとスポンサーがついたというのだからこたえられない商売だね。

○CDの成功とレコードの落日はなぜ起こったのか
かつて音楽は、ありがたがりながらじっくり観賞するものだった。なんせ履歴書の趣味欄には、「音楽観賞」なんてよく書いてあったぐらいだから。この頃はオーディオも「ステレオ」とかいって、偉そうな顔をしてイバっていた。でも、高度成長期以降の世代は違う。音楽なんて空気みたいなもの、だからできるだけ手軽に聞きたい。だからオーディオも「ラジカセ」になって、いつでもどこでもチョコんと置けるようになった。
こうなると、あの重厚長大なアナログディスクは似合わない。オーディオのパッケージメディアの主役はカセットテープになった。事実、十数年前から、同じアルバムでもレコードよりカセットのほうが売り上げは大きくなっていた。
しかし、カセットはコンパクトだが、巻戻しに時間がかかったり、途中から聴けなかったり、使っているうちにダメになったり、デメリットが多い。人々は、すでに心の中にカセットとレコード、この両方のメリットをあわせ持つパッケージメディアを欲していた。
このように、CDがヒットした秘密はディジタルの高音質ではない。CDは、そのコンパクトさと扱いやすさででカセットやレコードを喰ったのだった。これは、主としてCDがCDラジカセで聴かれていることからもわかる。まさに、人々が期待している中にさっそうと現れた待望のメディアが、CDなのだ。

3.業界だけの論理など犬も喰わない
その業界の中で一般に「常識」と思われているユーザ像とか商品評価とかは、世の中の一般ユーザの実体や商品評価とは大きく違うほうが多い。実際に使っているユーザや、ユーザが思っている商品の魅力は、関係者が想像しているモノとは違うと考えたほうがいいだろう。
とくに製造業の場合、ともすると技術的な細かいことにコダわるコトも多い。しかし、実は一般民間人からすると、そんなところはそもそもみえないところであって「まったく評価外」になっている場合のほうが多いのだ。マーケティングにも危険は多い。古くからマーケティングに熱心な企業ほど、自社独自の「理論」が確立している。こうなると、すべてその「理論」を出発点に発想するようになるので、実はそれが時代遅れのものになっていた場合、とんでもない間違いを引き起こす。でもそれに気づかないことが多いのだ。
こういう自分勝手な論理を押し付けていくと、ユーザが商品を買ってくれないだけではなく、その企業に対する信頼もどんどん失われてゆくことになる。また、業界の内部でみんながそういうカタにハマった発想をしていると、その業界自体が時代遅れの烙印を押されてしまうことにもなりかねない。
作り手側・売り手側の発想や論理は、自分たちだけのメリットにひきずられがちだ。こうなっては一番大切なユーザの気持ちはつかめない。だから、関係者のいう「常識」や、「普通こうやる」などという意見は180度ひっくり返して聞くくらいドラスティックな視点を持つべきなのだ。

○できそこないが大ヒットを生んだ、ヤマザキ・ダブルソフト
スーパーやコンビニで販売されている食パンにのなかにも、かくれたヒット商品がある。ヤマザキ・ダブルソフトはその代表的な例だろう。独特の歯ごたえで食べやすく、ソフトな食品を求めている時代のニーズを見事にとらえてヒットしたのだ。
だが、これが市場にあらわれるまでには大きな道のりがあった。この製法でつくられる大きく膨張してフワフワに仕上がる製品は、それまでのパン業界の「製品常識」から大きく外れていた。つまり、プロの目から評価するとどうみても欠陥品になってしまうのである。しかし、世間の評価はまったく違った。一般消費者にとっては、このソフトさは魅力的な歯ごたえだった。
各社ともこういう「常識」に基づいて製品を作っているのだから、消費者は本当に気に入ったものを市場で手にいれることができずにいる。そういうときこそ、勇気をもって本当にユーザの求めている商品を出せばヒットにつながる。

○カローラが売れない本当の理由
大きくて作りがよく高い「高級車」、小さくてチープな作りで安い「大衆車」。メーカーの押し付けてくる「フルライン戦略」とは、このようにすべての車種を1次元のリニアな座標軸上に並べてしまうコトだ。買い換える顧客には、その中でアップグレードした車種を選ばせる。これは、あくまでも売りやすくするためのメーカーの論理なのだ。
ユーザのクルマ観はもっと多様だ。チープで安いクルマが欲しいけれど、家族構成から大きいクルマじゃなきゃ困るヒトがいる。車庫などの都合で小さいクルマが欲しいけど、作りがよく高性能なクルマじゃなくちゃ満足できないヒトがいる。だから、小さい高級車や大きい大衆車だって必要なのだ。少なくとも、ヨーロッパの車種はこれにこたえている。メーカー自体が、大衆車メーカー、高級車メーカーと棲みわけている中で、各メーカーいろいろな大きさの車種を出しているではないか。
日本のメーカーもこの傾向には気づいていた。しかし、ベースのフルライン戦略を乗り越えるコトはできなかった。だから、セコいクルマにたくさんハイテク機器をつけて、付加価値が高い「高級車」になったといってゴマかすしかなかったのだ。こんな「厚化粧」な商品が売れるわけはない。91年のモデルチェンジ以来カローラが売れなくなったのは、単に価格設定ではなく、実在しないニーズにむけて作ったという、クルマ自体の商品力の問題なのだ。

○技術に頼りすぎたスバルの衰退
スバルといえば10年ぐらい前までは、4WDの先駆者として定評があり、大ヒットとはいかなかくても、そこそこ安定的なユーザをつかんでいた。その基盤になったのが、戦前からの航空機メーカーとしてつちかった、富士重工の技術イメージであった。
当時だからこそ、技術イメージで差別化できたし、「技術」がよければ、デザインとか使い勝手とかが悪くても、それなりの商品力を持つことができた。しかし、今ではこんな攻めかたは通用しない。技術なんてあって当り前。いくら高い技術をもっていても、それを誇示したんじゃ、技術者が「気持ちいい」だけで、ユーザは満足しない。それどころか、技術者の自己満足的な商品として、いまや技術イメージはマイナスの評価につながるのだ。
技術がいくらスゴくてもデザインが悪くちゃ誰も買わないよね。逆に、当り前の技術しか使っていなくても、デザインがよければ買うヒトはいっぱいいる。もっというと、一部のイタリア車みたいに、技術に問題があっても本当に個性的な主張のあるデザインならちゃんと売れる世の中なのである。しかしこの流れに乗り遅れている会社も、まだまだ日本にはいっぱいあるようだ。

○海賊版騒ぎが起きる国ではハイビジョンは必要ない
NHKの技研と有力家電メーカーが総力をあげて開発した「ハイビジョン」が、「次世代の放送規格」として話題になってから久しい。BSを使って実験放送もはじまっているし、家電各社は、ハイビジョン受像機を売ろうと躍起になっている。はたしてハイビジョンは放送としてテイクオフできるのか。
ハイビジョンは、ワイドな画面で走査線が多く、画質がいい。確かに測定器を使わずとも、その技術的なすばらしさはわかる。しかし、そんな技術的スペックが放送にとってどういうメリットがあるというのだ。そもそも放送においては画質なんて付加価値にはならない。キレイな絵でつまらないソフトを見るよりは、キタない絵で面白いソフトを見たほうがずっと楽しいにきまってる。もしハイビジョンにお金を出すような国なら、違法コピーの海賊版ソフトの問題なんて起きるはずがないではないか。画質が悪いコピー版の海賊ソフトでも、面白い新作のソフトなら金を出す。消費者とはそういうモノだ。
技術者的には興味があっても、それがビジネスになるとは限らないのだ。技術的に優れているβがVHSに負けたコトも、記憶に新しいハズなのに。スペックのよさだけでは、既存のインフラを代替するほどのパワーはない。ましてやハイビジョンなんて、消費者が云々するレベルを越えている「オーバースペック」な規格だ。放送なんてNTSCで充分。映像データベースや、スタジオ機材としてならハイビジョンも普及すると思うけど、放送にはこんなモノいらないのだ。

4.心のスキ間をそっと狙え
新人類以降のヤング層の考えているコトはわからない。と、かつてその上の世代から同じようなコトをいわれいた「団塊の世代」からもついため息がもれる今日このごろ。しかし、それはタテマエと本音の区別がみえにくいだけなのではないだろうか。本当はやりたくてやりたくてしょうがないコトも、まわりの目とか「トレンド」とかが気になると、つい自粛してしまうのが現代の日本の若者。だから、かれらの本心がどこにあるのかみえにくいだけなのだ。
しかし、内心は格好をつける暮らしに疲れ果てているし、もっと素直にやりたいことをやりたいと思っている。この部分においては世代間の差はあまりないといってもいい。だが、かれらはその心のままに行動する勇気がないのだ。この傾向は例の「男余り」現象も手伝って、とくに男のコで顕著に見られる傾向がある。
実は「気持ちいい」コトをしたいのだが、踏み切る勇気がないから、みんなと同じコトをやって「気持ちいい」フリをしている。そんなかれらをノセるポイントは、うまく本音を拾って、それを正当化するなにかを与えてやるコト。そうすれば、くすぶる火に油を注ぐかのようにいきおいよく燃え出すのだ。ウズウズしている心のスキ間をちょっとつつけば、すぐに動き出す。しかし、このタテマエと本音の区別、程度の差こそあれ日本人ならヤングに限らずだれしも持っている要素だ。見栄をはらず本音で動けるエクスキューズは、日本市場攻略のカギといえるかもしれない。

○オトコは仕事に、オンナは遊びに、24時間戦うヒトのリゲインのヒット
ドリンク剤といえば、身を粉にして仕事に精を出す「企業戦士」御用達というイメージで長らく売ってきた。通勤途中のビジネスマンが、薬局の店頭で一本。カラダに残る昨日の疲れをとるために今日もドリンク剤に手がでる。
しかし疲れているのはオジさんだけではない。現代人はヤングだって疲れているし、この疲れをいやすにはやっぱりドリンク剤がほしくなる。この傾向はヤング層でも強くあった。コンビニで売っている清涼飲料系のドリンクは、脂っこいオジさんのイメージも薄いので、すでに手を出していた。塾帰りの小学生だって愛飲している。しかし、これじゃ効かない。やっぱり医薬品扱いのヤツでなくちゃ。
というコトで、マスコミ関係者をはじめとして静かにヤング層にも広がりつつあったドリンク剤。これをうまく利用しない手はない、ということでマス展開のターゲットを、ヤングビジネスマン一気にシフトさせたのが「リゲイン」。新規参入で既存ユーザのコトを考えなくてよかった点も幸いした。「リゲイン」なら、あの薄汚い脂っこいオジさん用じゃない。こういうイメージが広がればもう恐くはない。こうして、いままで我慢してきたヤングたちも次々と薬局の店頭に足を向けだしたのだ。

○ドラマのテーソングのヒットでつぎつぎ底力をみせるベテランスーパースター
70年代から活躍している、往年のニューミュージックの大スターたち。かれらの曲は、世代を越えてヤング層にも強くアピールするものをもっているのだが、なんか演歌の大御所と同じように「ファンです」というのがなんか気恥ずかしくなる泥クサさがある。
かれらはメディアにもあまり登場しないし、曲を耳にするチャンスも少ないのだが、アルバムセールスはそこそこ安定していた。というコトは、なんかエロ本を買うように、こっそりアルバムを買っては聞いていたファンがいたのだ。しかし、そのウラには人前で買うほど勇気のない「かくれファン」はもっとたくさんいた。
しかし、かれらの曲は、同世代に属するテレビ番組の制作者によって「トレンディードラマ」のテーマソングとしてつぎつぎ取りあげられるようになった。街に流れだしてしまえばもう恐いものはない。はやりモノになってしまえばこっちのもの。かくれファンたちも、もう恥ずかしくはない。かくれファンはこうして浮上し、次々とアルバムを買い漁る。かくてチャゲ&飛鳥も浜田省吾も、たちまちミリオンセラーとなるのであった。

○日本が生んだ世界の文化「KARAOKE」
カラオケといえば、いまや日本を代表する世界の文化。レーザディスクとか、CD-ROMとか、ハイテクAV機器を使うところも現代日本のイメージにピッタリとばかりに、世界中でみんながマイクを奪いあう。かつての「メガネをかけてカメラをもっている」から「メガネをかけてマイクをにぎっている」に日本人のイメージが変わりそうな勢いである。
さて、このカラオケも最初はスナックやクラブなど、酒の席につきもののアイテムとみなされていた。その頃は、オジさんっぽいイメージ、演歌っぽいイメージがカラオケにつきまとっていた。しかし、カラオケの本質は唄うことにある。酒の席でなくたっていい。
基本的に、みんな、誰だって唄いたいんだよね。ただ、場所がなかっただけなんだよ、そういう飲み屋しか。これじゃヤングとかそういうところにいかないヒトは唄うチャンスはない。だから、純粋に唄うための場所があればもっと広がるはずだ。こう考えて生まれたのが「カラオケボックス」。
これはカラオケのイメージを180度変えた。唄って唄って唄いまくる。これこそみんながやりたかったことだ。当然広がったユーザ層にあわせてソフトも演歌から、ポップス、ロック、洋楽とどんどん巾が広がる。こうしてカラオケは、誰もが楽しめる健全な国民的娯楽になったのだ。カラオケが世界の文化になったのも、「カラオケボックス」が生まれてオジさん文化から脱皮できたからとさえいえるだろう。

○あと追いでブームに間に合ったJRA
さて、ヤングとはいっても、男と女ではずいぶん様子が違う。男のコはまわりの目を必要以上に気にして萎縮しているのに対し、女のコはほんとうにパワーがある。まわりの目を気にせずやりたいコトをやれるほど自立しているし、男のコと違って勇気があるんだ。だから、男のコだと「オジさんっぽい」と思われるのがイヤで、いくら興味があっても自粛してしまうようなモノでも、平気でトライできる。たとえば、男のコは女のコがいる席だと、焼鳥屋や焼肉屋にいきたくても、つい地中海料理屋にいってしまう。しかし、女のコからなら、焼肉屋にいこうといってもぜんぜん問題ない。本質的に女のコのほうが自由なのである。
こういう行動様式が「オヤジギャル」と呼ばれて話題になったことがあった。しかし、これはなんら特別なことではなく、本来「気持ちいい」けどイメージがよくないものに対して、「それって本当は気持ちいい」と本音をいえる勇気が女のコにはあった、というだけのコトなのである。
この典型的な例が、競馬ブームだろう。男のコなら、どんなに興味があっても「競馬がスキ」なんていうことは許されない。しかし、あれは本質的にいろいろな楽しみかたができて奥が深い、面白いものなのだ。しかし、本音で行動できる女のコにはそんな壁はない。楽しいものはどんどんやる。そして女のコがやれば男のコもついてくるのである。

5.制度や規制なんてクソ食らえ
ユーザの心は、官庁や業界などの決めた制度や規制にはしばられない。いつでも、ただ欲しいモノ、ただ「気持ちいい」モノを求めている。そもそも役所なんて、ユーザからは一番遠いし、ユーザの利害とは対立するモノ。ユーザの心にしたがって動くのが、市場経済なり自由経済の醍醐味なのだ。ところが、お役人は、とにかく厳しく規制したがるモノ。なぜなら、そのほうが自分のもっている「許認可権」のステイタスがあがるし、利権も大きくなるからだ。
しかし、あくまでも作る側の勝手な論理としては、制度や規制に守られていたほうが得だったり、楽だったりする。ここに問題がある。制度や規制をかくれみのに、消費者のニーズを無視してしまうことがおおいのだ。このように、制度や規制にアグラをかいているというのは「企業努力」を怠っているというのと同じコトだ。
役所の指導や規制、社の方針があるのをいいことに、そのワクの中だけで発想してはいないだろうか。ワクを外して、本当にユーザが求めているものはなにかを考える目を持たなくてはならない。時代はいつも変わっているし、そしてその変化は速いのだ。

○官対民では勝負はみえた -ANA対JALの空中戦-
官営が強いのは産業の勃興期だけのこと、自由競争の市場経済になったら、フットワークの軽い民営が強いにきまってる。官営でなくとも、規制や保護に守られてきた国策企業には同じような弱さがある。
もともと特殊法人として国が資本をもっていた日本航空が、いろいろな面で全日空に追い上げられているのは、この親方日の丸体質のもつ「競り弱さ」に基づいている。全日空が野党的な「二番手商法」に徹し、ことあるごとにフットワークの違いで勝負をかけているのも、この競争をいちだんと面白くしている。
航空業界のような「国策」が伴うところには、どうしてもこういう傾向があるようだ。アメリカをみても、レーガン時代の航空自由化以来、政府の規制に甘んじて路線を伸ばしてきた国際線中心の「フラッグキャリア」は、国内線の厳しい競争の中で生き残ってきた航空会社との競争に次々と負けた。いまやかつての国際線航空会社の末路は、TWAやパンナムのように、ツブれて跡形もないか、国内線からのし上がってきた会社に吸収されるか、どちらかである。
既得権を守ろう、相手を規制しようという発想は、競争にさらされた場合必ず負けにつながる。そして、いまや全地球的に自由競争・市場原理が重視されている時代なのだ。おごれるモノは必ずしっぺがえしにあう。自社の体質にこういう「弱さ」はないか。早めに見直すことが、けっきょくは成功につながるのだ。

○制度の壁もいつかはこわれる-マンパワーと人材派遣業-
いまやビジネスになくてはならなくなった人材派遣業。使っているヒトも、働いているヒトも、どっちも幸せというこの「三方一両得」な商売も、日本で定着するまでには長い道のりがあった。
この分野の第一人者であるマンパワー社が日本に進出したのは、1960年代の半ばにさかのぼる。当初は外資系の企業を顧客として細々と営業していたが、当然この段階においてはこのビジネスは日本では違法とされてしまう。しかし、これは昔に作られた法律が、時代のニーズにあわなくなってしまっただけのことである。違法といわれようと、規制されようと、お客さんが必要なものは必要なのだ。違法だろうとなんだろうと、ユーザの心をガッチリつかめば恐いものはない。
こうして人材派遣は、日本のビジネス界の中でもだんだんとその存在を認められるようになった。こうなれば立派にビジネスになる。競合社も次々と現れてきた。すっかり日本の中に定着してはじめて、人材派遣業法が制定され、晴れて役所もその存在に帽子をぬいだ。
地道に営業して、ユーザの心をガッチリつかんでいれば、いつかは公式に認められるようになる日もくるのだ。今は違法だからといってあきらめてはいけない。

○射幸心にアピールする相撲くじのヒット
違法ギリギリのところや、法律の抜穴をうまくついたところでやるビジネスは、概してヒトの心に強くアピールしてヒットするものだ。相撲ブームに便乗して大ヒットしている相撲くじなど、そのいい例だろう。これはカタチばかりの商品を買ったヒトに、おまけとして相撲の勝ち負けを当てるクイズをやってもらう、という形式をとっているが、要はトトカルチョである。
しかし、このような形式をとっている限り、景品類の提供に関する制限にさえ触れなければ、とがめられようもない。この手のビジネスは、モラルの問題こそあるものの、あたればヒット間違いなしである。一時話題になった「海賊盤CD」も、そのとき施行されていた法律に照らしてみる限り、なんら問題はなかったし、もし問題があるとすればそういう抜け穴があった法律のほうである。
場合によっては、ユーザのモラルに責任を転嫁できることもある。「ブロン咳止め液」が咳止めのために使われず、もっといいことのために使われているのは周知の事実である。まあ、かくれたヒット商品である。しかしメーカーにとっては、「これはあくまでも咳止めのクスリなのであって、トリップするために使うほうが悪い」というエクスキューズができる。なにか起こっても、パッケージに注意書きがついていれば充分だろう。

○利益の出ている唯一の「ニューメディア」、ゆうせん
いまやワールドミュージックからお経まで、440のオーディオチャンネルをサービスし、利益の出ている唯一の「ニューメディア」とさえいわれている「ゆうせん」。これもかつては「有線放送」といわれ、アンダーグラウンドでやっていたグレーなビジネスだった。
そのころは、民間で電柱を利用しエンターテイメントのソフトを提供するなど、役所としては許しがたいビジネスであり、とても公式の許可がえられるものではなかった。だから、ダマてんで繁華街にケーブルを張り飲食店にソフトを提供していた。しかしこのころから、将来公認の事業となることを見越してきちんと著作権料を納めるなど、ビジネスとしての形態はきちんとしたものを目指していたのだ。
そしておりからニューメディアのブームがやってきた。その一つにCATVがあった。これは電柱を利用しなくては成り立たないもの。ケーブル張りは一転して合法になった。こうしてブームにウマくのって急浮上、はれて公認のビジネスになったのだ。そして、唯一黒字のでてるニューメディアとなったのである。




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