座右の銘






「無理が通れば道理引っ込む」

ルールは必ずしも守る必要はない。そのルールが不都合な者は、そのルールに異議を差し挟み、ルールそのものを変える権利があっていいはずだ。しかしそれには、ただ文句を言うのではダメだ。口先だけではルールは変わらない。議会や民主主義からは何も生まれない。自ら新しい秩序を提案し、それを実力で勝ち取る必要がある。それには闘わなくてはいけない。血をあがなわずして、夢は現実とはならないのだ。

既存のルールと闘い、ルールを既得権化している人々と闘い、既存ルールにどっぷりと使っている社会そのものとも闘う。その中から、新しい秩序を勝ち取ってゆく勇気と実力があってこそ、道は開けてくる。電通中興の祖吉田秀雄元社長の「鬼十則」ではないが、摩擦を恐れず、周囲を振り回さない人間には、未来は語れない。

「勝てば官軍」

人間、結果が大事だ。結果として勝たなくてはなにも意味がない。善戦しても負けてしまえば、元も子もない。それまでのプロセスがどんなにウマく行っていたとしても、結果が出なければ意味がない。そもそも人生はトーナメント。敗者復活があると思うから、詰めが甘くなる。どんな場合も、負けたら後がないという気迫で、勝ちに行かなくては実力は発揮されない。手を抜いてはダメだ。

そのためには、方法は問われない。恥も外聞もなく、とにかく勝ちに行けばいい。きれいな試合を正々堂々やる必要などない。日本のスポーツが弱いのは、「勝つ試合」以前に「いい試合」を求める、時代錯誤のアマチュアリズムが指導者層にはびこっているからだ。だから、省エネ・エコロジストのぼくとしては、相撲にたとえれば「15戦全て不戦勝で、全勝優勝」というのがいちばんエレガント。こうスマートに行きたいものだ。

「弱肉強食」

これが、座右の銘たり得るかは問題あるかもしれないが、熟語であることは間違いないからまあいいではないか。とにかく、強いのが必ず勝つ。弱いのは必ず負ける。これこそ正義だと思っている。ぼくはアメリカ的なものはあまり好きではないことが多いのだが、この「何がfairか」という視点だけは、完全にアメリカ的な考えかたを支持している。まさに市場原理。自由主義とは、強いものが弱い相手を討ち負かす自由、負けたものにとっての滅びる自由にほかならない。

だから、負け犬が寄ってたかって傷をなめあうような状況は、見ているだけでヘドが出る。負けたならいさぎよく散れ。ウジウジしてるヤツは大嫌いだ。どうも日本はこういうヤカラが多くて困る。昔の日本人は、もっといさぎよく花と散ったと思うのだが、困った限りだ。肝っ玉がチッチャい割に、こざかしい考えにだけはたけてる小役人なんてのはその典型だろう。さあ、みんなまとめてかかってこい。俺がぶっ飛ばしてやる。


なんのかんの言って、今の日本社会は甘すぎる。国際化云々以前に、こんな甘い態度が、世界で許されるはずがない。負けがはっきりしている企業やヒトが、のほほんとしたまま居すわりを許されていること自体がおかしい。強みを持たない企業は、どんどん倒産するべきだ。強みを持たない人間は、どんどん路頭に迷って飢え死ぬべきだ。こういうシビアーさがあればこそ、強みを持とう、強みを磨こうという気になる切実さが生まれる。こんな甘えあいの社会にひたっているなら、日本など早く滅びてしまった方がいいだろう。

要は、すべてに勝ち負けをつけること。そして、負けた方はいさぎよく退くことだ。これは結果的に、ビジネスでいえば、資金や人的資源、経営資源の無駄を省くことになる。省エネ・省資源にもつながり、エコロジカルでさえある。そうすれば、その資源をより多様性を活かす分野に投下することさえできる。アダム・スミスではないが、自由競争の「見えざる手」とは、なんとすばらしいおぼしめしなんだろう。みんな、もう無駄な悪あがきはヤメたらどうだ。



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