八積・夏の終わり(先史遺跡発掘シリーズ その2) -1968年8月-


前回よりスタートした、「先史遺跡発掘シリーズ」。早速恒例化、というか、まあ最初から計画通りなんですが、第二弾の登場です。今度は1968年の8月。おなじみの千葉の別荘へ父と二人で長期間滞在していたときのカットから。これまた12歳のガキが、ハーフ判のキャノン・デミで撮影したものですから、写真としては恥ずかしい限りですが、前回よりはある種の意図は感じます。その分、撮影旅行に行ったときのネガほどではないですが、東京近郊の電車の写真などと一緒に保管してあったので、比較的保存状態もよいようです。昭和40年代の、模型好きの少年が見た鉄道風景。ぼくのように昭和のジオラマを作るモノにとっては、なかなかヒントになるカットもあったりします。前に日記の方で書きましたが、ぼくが鉄道模型に興味を持ち出したきっかけが、TMSで紹介された「龍安寺鉄道」で、ガキのときから日本風レイアウトへの志向はありましたから、前にこのコーナーで取り上げた「セサフ1」同様、駅舎とかは、それなりの「欲望」を持って写真に納めたのは間違いありません。まあ、40年以上経ってからこうして日の目を見るのですから、記録は撮っておくに越したことはありませんね。ガキのぼくから、オヤジのぼくへのメッセージという感じでしょうか。



外房の別荘は、長生村にありました。長生村は、茂原市の東、一宮町の北にあり、平成の大合併を経た今でも、単独の自治体として村のまま残っています。長生村にある外房線、当時は房総東線唯一の駅が八積駅で、上総一ノ宮まで鉄道が開業した明治30年の開業と、かなりの歴史を持っています。まずは、駅舎の正面からワンカット。典型的なローカル駅舎のたたずまいで、いかにも模型化したくなる風情です。「丹頂型」の電話ボックスがいいアクセントですが、実はこの時、長生村はまだダイヤル自動化していないので、このボックスの中にあるのは、ハンドルを廻して交換手を呼び出す「ガラ電」公衆電話でした。赤いガラ電があり、そこから料金ユニットがケーブルで繋がっています。交換手を呼び出し、相手の番号を伝えて繋いでもらい、通話が終わると交換手から料金を伝えてきます。興味があったので、別の機会に自宅までかけてみましたが、そんな電話機を使った経験があるのも、ぼくらの世代が最後でしょうか。


駅正面入口付近のアップ。ローカル駅にしては珍しく、この駅には鉄道弘済会の売店がありました。この頃は、村役場や郵便局も八積駅の近くにありましたから、それなりに村の中心地だったのでしょう。当時長生村には書店とかありませんでしたので、新聞や週刊誌を買うには、ここに来るのが一番でした。当然、アイスやジュースも売っていますので、乗客とはあまり関係ない子供たちが、自転車でやってきてたむろしています。駅前広場は未舗装ながら、よく突き固められ、ところどころ小石が目立つものの、かなり平坦になっているし、夏だというのに雑草もほとんど生えていない点に注目してください。「駅前」の地面というのは、こんな感じだったのです。こういう事実が記憶にあると、プラスターででこぼこに仕上げた地面では、どうやってもリアルに感じられません。このカットはほぼ真正面なので、子供用自転車の車輪(24インチか)との比較から、図面が起こせますね。


そんなところに、列車がやってきました。下り列車が到着して、キハ35を先頭にした千葉行きの上り列車が出発です。下り列車の最後尾は、豪勢にキハ28ではありませんか。この頃、房総の夏といえば「遜色急行」がおなじみですが、南房総では各駅ごとに海水浴場があるので、普通列車も海水浴需要はかなりありました。そういう意味では、急行列車も各駅停車も、とにかくある車輌をあるだけ繋ぐのが当時の運用だったということでしょう。写真の手前側は貨物側線の跡ですが、かつては貨物側線も2本あったことが偲べます。古いベンチとか、ケーブルのドラムとか、不用品が打ち捨てられていますが、このアタりの雑然とした感じも、エコーモデル製のストラクチャ・パーツの使いかたとして、大いに参考になりますね。木の生え方、雑草の生え方も、かなり参考になります。当時の国鉄は、職員がたくさんいましたから、けっこうマメに手を掛けていて、意外なほどキレイになっています。このあたりも、勘違いしやすいところでしょう。


今度は、下り列車が発車していきます。そのキハ17とキハ28の連結部のアップ。一般の人なら、間違いなくキハ28に乗るのでしょうが、マニアならキハ17でしょう。キハ28の室内は、165系とか急行用電車とさほど変わりませんが、キハ17の、あの狭くて汚くて白熱電灯がついた侘しい感じは、当時すでにマニア心をくすぐる「時代物」のにおいがありました。なるほど、キハ17には立っているお客さんの姿は見えませんが、キハ28にはデッキにも乗客がいます。この頃は、まだ冷房化していないので、キハ28のデッキはかえって暑いんじゃないかと思うのですがねえ。さて客用扉の窓ガラスには、「自動ドア」の文字。厳密には、締めるときだけが自動で、開けるのは手動の「半自動」なのですが、走行中でも勝手にドアが開けられる旧型客車が主力の時代においては、「勝手に開けられませんよ」という意味で、自動ドアだったのでしょう。しかしよく見ると、このキハ28のドアには、丸窓がありません。初期型の、電磁ブレーキ非対応車輌ですね。それで、長大編成を組む必要がある急行ではなく、普通列車に運用されているというワケでした。


八積駅から、クルマで家まで帰ります。房総東線の踏切にさしかかると、警報機がなっています。そこにやってきたのは、佐倉機関区のC58166号機が牽引する貨物列車。茂みの陰から飛び出してきた機関車を、クルマから乗り出してすかさず捉えたのが、このカット。構図を決める間もなく、ハーフ判カメラをそのまま構えてシャッターを押したので、なんとも空の広い構図になってしまいました。しかしこうやって見ると、このカットは、まるでジオラマをお立ち台にして模型を撮影したような感じですね。そう思うと、警報機が電子音ではなく、実際に鐘を叩くタイプのヤツなのも、いい感じです(車輌より組むのより手間がかかるので有名な、レイジージャック製か)。踏切に向かう道も、狭い未舗装道路ですが、駅前広場同様、平坦で轍もないし、草も生えていません。この時代でも、アスファルトで舗装していないだけで、ある程度の交通量のある道路は、石を入れて突き固めていましたので、それなりに整っていました。日本型レイアウトにおける道路の表現は、ぼくが見るところ「林道」です。田んぼとかが並ぶ平地の道路は、こんな具合だったのです。


今度は落ち着いて、走りすぎてゆくC58166号機のサイドビューを捉えます。足回りが葦やアワダチソウで隠れてしまっていますが、よくぞ瞬間でカメラを横位置に持ち替えたものです。道路と線路が鋭角状に交差しているので、見返りショットにならず、ほぼサイドビューが押えられました。クルマの助手席に乗っていたので、出合ったのが上り列車で、窓からそのまま撮れてラッキーという感じです。さすがに暑い房総の夏。日本の制式蒸気機関車の中でも、キャブの暑さではトップを争うC58だけあって、窓も扉も全て全開状態です。C58だけは、ご丁寧にテンダー側の妻板にも扉がついているのですが、それも取り払っているようです。166号機は、戦前から千葉地区で活躍した生え抜きのカマで、千葉地区の無煙化とともに、この翌年の1969年末に廃車になりました。LP405前灯、皿型クルパー、申し訳けのような増炭板等々、関東のカマらしい特徴があふれています。決して美しいスタイルではないのですが、仕事一筋働く男というか、国鉄貨物が日本を支えていた時代の蒸気機関車というイメージは、それなりになつかしく魅力的でさえあります。


このカットはどっちつかずなので、載せなくてもいいかなとは思ったのですが、よく見るととんでもないモノが写っていました。これは、資料として載せねばならないでしょう。貨車の2輌目に繋がっている無蓋車は、トム5000やトム16000のように、中央に観音開きの扉がついているではないですか。大正時代までは、石炭や砕石を輸送するときに、積み下ろしを容易にするため、ヨーロッパ式に、側面に開戸のついた無蓋車が使われていました。このタイプの無蓋車は、その古さゆえ、43・10までに淘汰され、残った車輌も、65km/h規制により「道外禁止」の封じ込めになってしまいました。写真を拡大すると、東武鉄道トム801形式のトム879号と判別します。さすがに国鉄籍ではありませんが、この時代、まだこういうタイプの貨車が国鉄線上を走っていたんだという、貴重な記録です。別の資料で調べてみると、東武のトム801形式は、なんと「シュー式」です。さすがに、43・10以前。まだまだこんな車輌も、大手を振って活躍していたんですね。しかし、東武の沿線から何を運んでいたのでしょうかねえ。多分石材だと思うのですが。


早稲の実った田んぼの向こう側、走り去ってゆく列車を見送ります。C58が牽引しているのは、前からヨ6000、東武トム801(トム5000)、トム50000、ワム80000、ワム60000、ワフ29500の6輌。いかにも模型的なこの風景、いかにも模型的なこの列車。時は真夏、列車も絶気運転と、ほとんど煙が出ていないのも、模型っぽい感じを膨らませます。C58が好きとか嫌いとか、景色が単調だとか、欲を言い出せばキリがありませんが、そんなことどうでもよくなってしまうのが、鉄道模型の魅力でしょう。ちなみに個々の貨車をよく見ると、いろいろ発見がありますよ。ワム60000には、急行便の表示をしていたプレートがまだ残っています。ワム80000は煤煙で燻されて、ほとんどまっ黒になっています。ヨもワフも、夏なので窓は全開です。こういうところは、リアルタイムで見てきた人は記憶の中に焼き付けられているんですよね。ところで、こうやって見ると、Nとか16番とかノンスケールなゲージモデルは、足回りを丈の高い草で隠してしまえば、それなりに見られるレイアウトやお立ち台になるかもしれませんね。


傾いた午後の陽射しの中、走り去ってゆく貨物列車。伸びてゆく、二条の鉄路。クルマが踏み切りを越えるときに、後追いで撮ったカットです。列車がもうちょっと手前だとさらに良かったのでしょうが、上の3カットを撮影したあとなので、コレは仕方ないでしょう。が、マセたヤなガキですね。全く。もうちょっと列車が手前にいて、テールランプなんか写っていた日には、可愛気がありませんよ。まあ、今見てもちょっと「クラり」とくるところがありますから、それなりに感じるところがあったんだとは思います。そういう要素があったからこそ、このあと蒸気機関車の撮影にハマりまくることになってしまうんでしょうが。


(c)2011 FUJII Yoshihiko


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