hobby diary

「夢」を大人買い

-今月のホビー日記・2011年8月-




8月31日(水)

ということで、あわただしい中で、8月も終わりと相成った。国際鉄道模型コンベンションをはじめ、「鉄」関係に割いた時間は多いのだが、そのワリに個人的な「鉄分」そのものはあんまり濃くなかったなあ。そもそも今月は、鉄方面の出費がほとんどないぞ。モジュールを仕上げるときに、足りない材料をちょこっと買ったぐらいじゃないのかな。まあ、秋口からは心機一転、楽しく行きたいものだが。

8月30日(火)

この夏は、実物、模型、合わせて、各地で鉄道関係イベントが行われていた。参加されたかたのBlogなどを見る限りでは、どれもそれなりに盛況で盛り上がりを見せたようで、ご同慶の至りである。今年は、東日本大震災の影響で、夏場がどうなるか、いろいろ不確定要素が多かったが、「がんばって、日本を元気づける」意味では、鉄道趣味もそれなりに役に立っているということだろう。本来、趣味ってそういうパワーを持っているものだし。

8月29日(月)

ということで、JAM日本鉄道模型の会としての公式発表があったので、やっと語れます(笑)全国高等学校鉄道模型コンテストに対し、当初の取り決め通り、JAMが後援する3年間が終わり、実行委員会による自主運営に移るに当って、突如「加藤祐治杯」というスキームが提案されたことに対する、会としての対応決めたという話。具体的な内容は、JAMホームページから。

8月28日(日)

8月最終日曜日は、毎年恒例で、吉祥寺のライブハウスでライブ。ここ数年、井の頭線の吉祥寺駅は改良工事のため、8月は一線使用の特別ダイヤとなっていたのだが、今年はさすがに完成して、8月も通常通りの運用。その代わり、ユザワヤの入っていた京王の駅ビルが建て直しで取り壊され、なくなっている。これ、来年にはできるんでしょうかねえ。

8月27日(土)

コンベンションから1週間だが、もっと時間が経ったような感じもする今日この頃。一年で、一番鉄分から遠くなる時期でもある。しかし本日は、急遽召集されたJAMの臨時理事会。内容については、間もなく公式発表があるので、「今はまだ語るべきときではない(c)山崎喜陽」(笑)。

8月26日(金)

そう考えてゆくと、今の30以下の層は、蒸気機関車はもちろん、旧型電車も、旧型電機も現役時代を知らない。もっというと、「国鉄」を歴史でしか知らないかもしれない。彼らにとっては、蒸気機関車も、旧型電車も、旧型電機も、「国鉄」も、博物館でしか見れないものなのだ。そうなると、興味や親しみの湧き方は、趣味誌やインターネットでの露出量などにより、どれだけ身近な感じになっているかに影響されることになる。JAMで、カトーから、リニューアルC62で、2号機3号機のゴールデンコンビとニセコ編成が発売されることがアナウンスされていた。まあ、鉄道模型では(ブラレールとかでもその傾向があるが)「昭和40年代モノ」が鉄板となっている。ある意味、これはSLブーム世代がユーザの核になっているため、というのが定説だ。しかし、この時代のネタが、趣味誌をはじめあらゆるメディアで繰り返し取り上げられているため、「国鉄時代」ではないが、国鉄形車輛が最も輝いていた時代、日本の鉄道の黄金時代、という刷り込み(実際は大きな勘違いなのだが)が、若い世代にあり、その層の琴線にも触れている、と考えなくては正しくマーケットを理解できないという感じがひしひしとしている。まあ、ある意味、ちょっと前に流行った「歴女」ではないが、若い人でも歴史好きはいるのだから、そういう文脈で考えたほうが、わかりいいかもしれない。

8月25日(木)

この「年齢の逆ギャップ」、模型においてもあり、感覚の違いを念頭に置かないと、思わぬ勘違いをすることになる。模型のプロトタイプへの思い入れは、実際に活躍を見たことや撮ったことがあるとグッと強くなる。そうでなくても、同時代感がある車種には親しみが湧く。一方、自分が趣味人になった頃にはすでに現役ではなく、せいぜい静態保存でしか見られない車輛については、そういう時代性とは別に、スタイルの好みとか、伝説とか、全て横並びで捉えることになる。ぼくの場合、蒸気機関車でいうならば、1970年以降まで現役で、リアルタイムで撮影した機種が最も思いが濃いが、次は、かすかに知っていたり、雑誌の記事として同時代性を感じる機種に惹かれる。C51、B6,東武の4-4-0などといったところだろうか。それ以前に消えてしまった機種は、経時的な要素は少なく、9850とC53は、博物館でしか見られない形式という意味では、同列である。

8月24日(水)

房総各線での、113系ラストランが話題になっている。最近では、国鉄型車輌が引退するたびに、ラストランで盛り上がるというのが恒例化し、ある種の客寄せイベントのようにもなっている。111系も含めて、その誕生から知っている我々としては、「いまさら113系なんて」という感じであるが、我々より上の世代からすると、無煙化によるSLブームのときに、「いまさらうす汚いD51なんて」といわれたもので、まあ、この趣味の常で「歴史は繰り返す」ということですね。先輩としていえるのは、「それでもいいから、撮っておけば、20年後、30年後には貴重な記録になりますよ」ということでしょうか。

8月23日(火)

今回のコンベンションのHOMPでは、常駐人数の都合等もあり、駅での列車交換をあまりせず、一方向での3〜4列車続行運転を多用していた。おいおい、同一動力車の連続運転時間が長くなり、モノによっては2時間以上連続運転ということに相成った。すると起こるのが、DCCデコーダーの熱暴走。特にモーター・サウンド兼用デコーダーは、集積度が高いうえに負荷も高く、かなりの確率で異常が発生していた。まあ、冷却すれば元通りになるのだが、突如逆送したり、フルスロットルで停まらなくなったり、関係ない音を発したりと、最初はびっくり。まあ、極端な使いかたなので、放熱器が必要というワケではないだろうが、そういうコトが起きやすいということは、知っておいて損はないだろう。

8月22日(月)

国際鉄道模型コンベンションの入場者数の公式発表は、3日間で39,300名。このイベントは、入場券が3日間有効の上に中学生以下無料と、入場者数の計上方法が難しいのだが、同基準で見た場合には、昨年の入場数を上回っている。連日の悪天候を考えれば、かなりの健闘ということができるだろう。会場内の雰囲気でも、明らかに人が多く、盛り上がった感じが強かった。まあ、これは雨天でお客さんが屋外にいられなかったこともあるかもしれないが。運営においては、いろいろ新機軸を出したのだが、ひとまずは成功と言っていいのではないだろうか。

8月21日(金)

国際鉄道模型コンベンション最終日。今日も天気は悪く、異様に涼しい。朝、レインボーブリッジを渡るときに、外気温を見ると、なんと18゜。木曜日は36゜以上行っていたので、なんと半分じゃないの。ホントに節制のない気候。そんな中でも、お客さんは盛況。ありがたいことです。例年より幼児が少なめな気がするが、これは天候のせいか。そんな中では、カップルで来ている若者が目立ったのが面白い。ということで、無事終了。解体・搬出も手馴れたもので、30分ほどでばらせてしまう。Eブース以上では最速。ということで、来年もよろしくお願いします。

 

8月20日(土)

国際鉄道模型コンベンション第2日目。今日はフルメンバー参加なので、昨日がんばった分、手を抜かせていただく。ということで、ブースを離れて、会場をじっくりと廻ることができた。思ってみれば、出展するようになって以来、知り合いと挨拶するぐらいしか、会場内を廻る余裕はなく、ちゃんと見て廻るのは久しぶりという感じ。MPについては、大スペースのブースが多くなった分、いろいろなゲージ・スケールの出展が見られるようになったとともに、Nゲージでもきちんとシーナリーをつけたモジュールが増えたような印象がある。企業出展も、売り場を固めた分、なんか買う気にさせる雰囲気が高まっている。実際、去年より売り上げが良かったショップも多かったようだ。きょうも天候に関わらず、けっこうお客さんが入っていた。まあ、ひとまずいい調子なのでは。

8月19日(金)

国際鉄道模型コンベンション第1日目。不思議なもので、モジュールは接合して一晩置くと、いろいろトラブルが出てくるので、それを微修正すると安定する。しかし、問題は今日の午前中は、HOMP・NGPあわせて3人しか要員がいないこと。ということで、走らせながら、一つ一つトラブルを潰してゆく。どちらにしろ今日は、MAX4人なので複雑な運転は不可能。ということで、まだトラブルの少ない反時計回りでの走行に特化して、調整を行う。まあ、何とか問題なく走るようにしたが、気がつくと外は大雨。しかし、金曜日のワリには、会場にはお客さんは多いようだ。それにしても、疲れた一日。土日は、大いに手を抜かせていただきます。

8月18日(木)

JAMの国際鉄道模型コンベンション搬入日。毎年参加していると、さすがに準備も段々手際よくなってくる。余裕を見て早めに集合、余裕を持って設営を行う。しかし、あまりの暑さなので、余裕を持った作業ができるのはありがたい。5時になると、大拍手とともにエアコンが入ったが、この時点ではほぼHOMPは完成し、NGPの方のお手伝いに移行。19時過ぎには、ベーシックな調整も済んで作業終了。あとは明日。

8月17日(水)

ということで、余裕を生かして、8月20日の夜に実施予定の「交流会」用の「名刺」を作ることにする。が、大きな問題が一つ。ここを読んでいるヒトはご存知と思うが、ぼくの模型に対するスタンスは、決して「中のヒト」ではない。外から、走っているのを眺めたり、撮影したりしたいというのが基本的なモチベーションなのだ。こちらが、もう蒸気機関車は見たくもないし、撮りたくもない、というぐらいの満腹感を味わう以前に、無煙化・全廃されてしまった反動を、模型に託している。だから、運転士でも乗客でもないし、ましてや社長や運転指令でもない。さて、困った。で、どういうことにしたかは、当日のお楽しみ。

8月16日(火)

夜、多少時間があったので、ちょっとだけモジュールに手を入れたが、基本的にこれにて事前作業は打ち止め。あとは、現場でちょこちょことイジるだけ。輸送用の梱包もしてしまい、MP出展の準備は終了。一日とはいえ、締め切りギリギリでないというのは、なんか気分的には余裕がある。

8月15日(月)

本日の朝日新聞夕刊、4面の「凄腕つとめにん」のコーナーは、「覚えている中古模型 約4000点。形で記憶 人の顔と同じ 天賞堂エバーグリーンショップ技術顧問 波多野茂さん(62)」と題して、一面フルに渡って波多野さんの特集。「児林ともみ」記者の署名入り記事だが、エリエイの南口さんにまで取材をかけているようで、なかなか内容的にも濃い記事。鉄道模型で、コレだけ大きな記事が載ったのって、前代未聞かも。

8月14日(日)

モジュール整備の続き。まずはターフ撒きだが、もはや去年調合したターフは使い切ってしまったので、色味を合わせてそれらしいのを作るところから。個人的には、絵の具でもラッカーでも、この色の調合が苦手なんだよね。まあ、そんなに違和感ないのができたので、繋げて撒きまくる。暑い中でこういう作業は、けっこう大変。しかし、気温が高いせいか、乾燥が速いのは助かる。ということで、午後からは植樹作業。家を一軒つぶして、隣との目隠しになる、公園風の植え込みにする。椰子と広葉樹は、前の分割式レイアウトで使っていたものを外してきて再利用。夕方からは、ストラクチャの補修と、塗装やウェザリング。ついでに、別のジオラマで使おうと思っていた、石積みの橋脚も塗ってしまう。そんなこんなで、夕食前には完成。このぐらい時間に余裕があると、これから人形や小道具を並べるのが楽しいんだよね。

8月13日(土)

やっと、国際鉄道模型コンベンション向けに、HOMPのモジュール整備を開始。今回は新作なしで、去年作った(作らざるを得なかった?)モジュールだが、線路の位置をモジュール標準規格の位置に修正する改造をした。線路の移動は、前回の接続会の時までにやっていたが、残るは、それにあわせた地面やシーナリーの修正。線路の移動は数ミリなので、その隙間を埋める材料にけっこう悩む。延性・展性に富んでいて、なおかつヒケが少ないものでないと、わずかな修正部分だけで作業が完結しない。数種の材料を試した結果、けっきょく土系の粘土が一番良いという結論に。夜には、グレインペイントを塗れたので、ひとまず地面は完成。ターフ撒きや植木屋さんは、明日以降だが、ひとまず最低限はクリアした感じ。

8月12日(金)

寄れる時間があったので、江戸東京博物館で開かれている「東京の交通100年博」を見に行く。詳しいインプレッションは後程ということにするが、基本的に「都営交通(市営交通)100年記念」のイベントであるとともに、それゆえ「都民の皆様」に向けたイベントである。これが、ほぼこの展示の位置付けを規定しているので、趣味人というよりも、「昭和の都民」であった自分の思い出を振り返りながら見たほうがずっと楽しめる。趣味的に言えば、ササラ電車排4号が、コンクリートのタタキの上に枕木とレールが載り、嵩上げされて鎮座しているので、ブリル21Eの内側がよく観察できる点だろうか。手を触れてはいけないが、手を入れてはいけないとはどこにも書いてないので、コンデジを突っ込めば、撮影も可能だ。

 

8月11日(木)

今月の「記憶の中の鉄道風景」コンテンツ作成。今月も「先史遺跡発掘」シリーズだが、1968年8月の千葉シリーズは一休み。今回は、なんとちょうど45年前。まだ9歳だった昭和40年の夏、山口、広島、岡山と山陽路に旅行したとき撮影した、鉄道風景のいろいろ。初めて、意識して撮影した鉄道車輌の写真でもある。ここまでくると、本当に毛も生えてないガキのやったことなので、恥ずかしい限りだが、43・10どころか、40・10より前という超貴重な記録だけに、その意義に免じてお許しを。

8月10日(水)

暑さのせいで、今週はあまり昼に出歩かなかったのだが、用事があったので、久々に銀座を通る。銀座まで行けば、寄らずに帰ると悔いが残る(寄っても、獲物があることはマレなのだが)ので、やはり天4を覗く。しかし、先週とあんまり変わってないじゃないの。もったいぶって「蔵出し」していた車輌も、かなりの部分が売れ残ったままの状態。まあ、暑さで客足が鈍いということなのだろうか。

8月9日(火)

当時、国土地理院の地形図は、1/50000の地図がやっと戦前の版をベースにしたモノクロ印刷から、新たに写真測量により図を起したカラー印刷のモノに変わった頃で、こちらが基本的な全国レベルの地図だった。そういえば、学校の授業で地図の読み方を習ったりしたものだ。その一方で、主要な地域を中心に、1/25000の地図もかなり整備されてきたというのが、当時の状況だった。これで、地形を読んで、撮影できそうなポイントを事前に想定するのだ。しかし、実際に撮影できるかどうかは、木の生え方とか、じゃまになる建物がないかとか、現地の様子をチェックしなくてはわからないところが多い。このため、一度撮影予定地を列車で通過しながら、ここは撮れそう、ここはヤバそうと、ロケハンをするのである。1/50000の地図だと、けっこう想定と違うことも多かったが、1/25000の地図があれば、かなりの角度で予想することができる。これができるようになると、いわゆる「バッタ撮り」から脱して、ダイヤと組み合わせることで、光線の具合以外はかなり計算されたカットが撮れる。主要線区で、ほとんどお立ち台ガイドが整備されてしまった昨今では、こういう地形図リテラシーのある人は、若い「撮り鉄」にはほとんどいないだろう。蒸気とともに絶滅した、という感じで。まあ、最近の若い子は、車輌のアップしか撮らないから、周りの地形などそもそも関係ないのかもしれないが。

8月8日(月)

地図や測量の歴史に関する本を読んでいて、ふと思いついたことがある。蒸気機関車末期のいわゆるSLブームの頃、ぼくらのように特に濃いファンは、今から考えると、趣味が高じていろいろなワザをマスターしてしまっていた。マニュアルカメラの使いこなしなんてのもその一つで、銀塩マニュアルカメラの機能を使い切る奥義は、当時のあるレベル以上の「撮り鉄(そんなコトバはなかったが)」なら、みんな試行錯誤しながら会得していた。撮影したカットを見て、機番を考証するのも、それを得意とする人がけっこういたからこそ(ぼくも、けっこうコレが好きだった)、模型で特定番号機を作りこむコトがブームになったのは間違いない。まあ、このアタりは、いまでもそのレベルはさておき趣味人の間で受け継がれている。しかし、かつては「撮り鉄」の間では常識だったが、いまではほとんど継承されていないモノがある。その最たるものが、この「地形図を読むノウハウ」ではないだろうか。SLブームも末期になると、「撮影地ガイド」なる記事が雑誌に載るようになり、布原の鉄橋の向かい側のような、今でいう「お立ち台」にファンが群がるようになったが、70年前後の頃は、雑誌には貨物のダイヤが載っているだけでもありがたいもので、撮影地は自分で見つけたものなのだ。そこで、きちんと狙えるポジションを見つけるためには、地形図を読み解く力が欠かせなかったのだ。

8月7日(日)

このところ、北海道の簡易軌道関係の本が、立て続けに出ている。実は、ナロー関係は、学生だった70年代、いわゆる「メルヘンナロー」が流行っていた頃に、TMSに車輌関係の記事を投稿して掲載されたこともあるし、全く門外漢というワケではない。しかし、原理主義のヒトに「ワビサビ」を必要以上に強調されると、かろうじて実物を知っている世代としては、「それって、貧すれば鈍するだけじゃない」と突っ込みたくなってしまうので、今は模型としてはタッチしないことにしている。しかし、趣味ではなく、社会学、経済学という意味では、ぼくらが蒸気機関車の写真を撮影に行く時代になっても、鉄道でしかアクセスできない開拓集落がまだあった、という記録は、大いに興味をひかれるし、道路が整備される時代における鉄道の意味を考えるためにも、非常に重要である。とかなんとか理由をつけて、けっきょく買ってきてしまうんだよね。まあ、好奇心はエンドレスということで。

8月6日(土)

本日は、毎年恒例の一ノ宮花火大会。千葉の家の2階の窓からは、ちょうど良い具合に花火見物ができるので、「花火を見ながら部屋の中でビールを一杯」を楽しみにしている。しかし、今年は夏のスケジュールが忙しく、今回が夏休み初の千葉。当然、庭を整えたり、掃除をしたりと、準備から一日でやらなくてはならないので、のんびりするどころか、かえって疲れてしまう。例の「書庫」も、地震対応の応急対策のままなので、抜本的に整理しなくてはならない。ちょっとは手をつけたのだが、つい面白そうな記事を見つけると、そのまま読み出してしまうので、どうもアカン。つらつらバックナンバーを見ていると、ある意味、旧来型の鉄道模型界って、90年代後半から00年代初頭あたりが、質・量ともにピークだったような気がしてくる。まあ、ぼくが出戻ったのも、そのアタりだしね。

8月5日(金)

今日から、平常状態に復帰。ということで、例により昼過ぎに天4を覗くと、今日も入場人数制限をやっている。基本的には、またもや、カツミ・エンドウの国鉄型電車中心の蔵出しだが、天賞堂製の蒸気機関車や電気機関車にけっこう入っている。とはいえ、16番ばかりなので、こちらには関係なし。基本的には、視察のみ。それにしても、あえて入場制限しなくても入り切る人数しかお客さんはいなかったのだが、はてさて、「時間制限・お一人様三点まで」というほうが、売れ行きがいいということだろうか。

8月4日(木)

旅行中、一応インターネットで日本のニュースや情報はチェックしているので、ほぼリアルタイムで知ってはいたのだが、福島・新潟での豪雨で、只見線の第7只見川橋梁が29日に流出。それにしても、水害での鉄道の被災は最近毎年のように起こる。JR東も、コレを理由に只見線を廃止したいところだろうが、津波被害の完全復旧をうたってしまった手前、ちょっとタイミングが悪いかも。それにしても、帰ってきてからチェックしたところでは、鉄道趣味関係のblogで、このことに触れたものが皆無というのは、一体どうしたものなんだろう。基本的には、お立ち台だったワケなのに。

8月3日(水)

夏のヨーロッパは、緯度の関係からもともと日が長い上に、パリはロンドンと経度がほぼ同じにもかかわらず、大陸標準時を使用しているため、日没が極めて遅く、21時過ぎまで「昼間」である。当然、観光にかけられる時間は長くなり、施設によってはかなり遅くまで営業している。エッフェル塔などもその例で、夜景を楽しめるよう23時台までやっている。だから、美術館などの閉館時間が過ぎたあとで回れば、観光の時間が有効に使える。今回もそんな感じで、18時以降に訪問。帰りにメトロの駅まで歩いてゆくと、なんとその途中でUIC(国際鉄道連合)の本部を発見。確か今、JR東日本の石田氏が会長なんだよね。JRもUICコードを持っているんだけど(42)、それをつけた車輌っているのかな。

 

8月2日(火)

パリでも、移動はメトロが中心になるが、パリの地下鉄は、ロンドン以上にインフラの「負の遺産」が大きいことに驚く。基本的に、主要路線が建設された20世紀の前期においては、極めて最適化をはかったシステムであることは認めるが、そこに最適化しすぎて、改良がほぼ不可能な上に、その後に作られた路線も、そのシステムを踏襲せざるを得ないジレンマに囚われている。その最たるモノが、バリアフリー化が極めて難しい点だろう。入口と出口で複雑に入り組んだ通路は、狭くて階段が多く、改良が難しい。また、特異なゴムタイヤ駆動も、加減速の良さが裏目に出て、急カーブで加速したりすると、お年寄りには立っているのが辛い状態になってしまう。まだロンドンの地下鉄の方が、もとからエレベーターやエスカレーターの設置が多かった分、ある程度はバリアフリーを実現している。そう考えると、日本の電車や地下鉄は、この面ではいい線いっていることに改めて気付く。

8月1日(月)

ロンドンからパリへの移動は、もちろんユーロスター。セント・パンクラス発の新線になってから、イギリス側も一応花形列車らしい感じになったかな。ということで、セント・パンクラス駅に並ぶユーロスター。まあ、基本的にはフランスの列車なので仕方ないけど、なんともウェザリングが効いている、というかはっきりいって汚いのは困ったモンですね。ところで、イギリスは何回か来ているものの、フランスは40年近く前の、学生のとき以来。実はその時も、列車でフランスに入り、列車でフランスから出た。ということで、フランスは未だに飛行機で入国したことがない外国だったりする。



(c)2011 FUJII Yoshihiko


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