デジタルマーケティング必勝法

第一章 デジタル市場のオキテ



・先手必敗
・囲い込んだらマケ
・水平統合がキーワード
・勝者総取りを目指そう
・ベンチャーキャピタルは事業を評価しない
・アメリカの強みは、技術力よりドライな資本の論理
・守りに入れば負け
・利権にならないものこそデジタルの心髄
・権利の押さえ方は人気ブランドに学べ
・ビジネスに技術者の視点は無用
・得手を活かせ、不得手に手を出すな
・分に応じた事業規模・業態が成功を生む



・先手必敗


デジタル市場には、先行して押さえるべき利権はない。市場形成が始まったばかりの導入期には、焦って参入することはない。それどころか、焦るといつかはコケる。いわば「先手必敗」がデジタルビジネスの掟だ。
ごく一部の特別な商品、たとえば特殊な医家向けの医療機械のような極めて専門性の高い分野では、最初に技術を開発し参入した企業がそのまま安定的なシェアを握ることもある。だがこれは例外的な上に、市場規模も小さい場合だ。ビジネスとしておいしい分野は、一般の消費者や企業に売れるマス市場が成り立ち得る分野。こういう領域では、市場も確立し、技術もコストもこなれてから、資本力にものを言わせて参入する真打ちが、市場の覇権を握ることになる。
たとえば初期のパソコンワープロ市場を見てみよう。80年代前半には、パソコンでソード、ワープロでJDLといった独立系ベンチャーがあった。ビジネス誌などでももてはやされたこれらの企業は、マスキャンペーンなども展開し、その時期には勢いもあった。しかし、パソコンやワープロが「売れる」商品になってくると、波に乗れず破れ去ってしまった。
その後のパソコン市場に参入した大手企業間でも同様の盛衰はある。8ビットパソコンでのシャープMZシリーズ、16ビットパソコンでのIBM5550シリーズ、ノートパソコンでの東芝DynaBookなど、新たな規格が出てくるとともに、導入期のリーダー企業がそれぞれ存在した。しかし、彼らは決して市場全体のマジョリティーをとることはできなかった。
一見利権に思われるものでも、ことハイテク絡みとなると先手必敗の法則が頭を持ち上げる。たとえば日本のCATV市場でも、最終的にCATVオペレータとして頭角を現したのは、ブームが去ってから外資と商社の提携で登場したジュピターテレコムだ。10年前に一大狂躁曲を演じた末、利権と思って得たCATVオペレータの免許。しかし事業計画が不充分な上に我田引水の将来ビジョンでは、事業そのものが起ち上がらない。結局、ブームが沈静化してから、思い込みなくクールなビジネスとして取り組んだジュピターテレコムが免許を引き継いで、やっと事業が起ち上がった地域も多いというのはいい例だろう。
しかし、この先手必敗というのは、考えてみれば業界トップ企業のマーケティング戦略としては、基本中の基本とも言える。トップ企業は、その業界内でも卓越した技術力、生産力、販売力を持っている。なにも焦ることはない。まだ市場が見えてこない導入期には、じっと傍観していればいい。マス市場が立ち上がり、市場のニーズが明確になるとともに、技術もこなれて安く大量に供給可能になる成長期に入ってはじめて参入を考えればいい。
トップ企業の商品戦略とはそういうものだ。自動車のトヨタ、家電の松下などは典型だ。最近ではAV家電のソニーもそういう戦略が顕著になっている。ニッチャーはニッチャー、市場の主流にはなれない。
なにか、市場そのものが新しくでき上がる過程から注目していると、既存の市場のルールとは全く異なるものが出てきそうな気がするのかもしれない。しかしそんなことはない。マーケティングの王道は、デジタルビジネスでも変わらず活きている。



・囲い込んだらマケ


デジタル技術を基盤においたビジネスを展開しようというとき、もっとも心に念じておくべきことは「囲い込んだら負け」というルールだ。どうも日本では役人天国、利権天国だったせいか、なんでも排他的に囲い込んでしまったほうがビジネスが楽でおいしくなると思い込んできたヒトが多い。それに加えてデジタル技術とも縁の深い分野では、特にこういう許認可利権や特許などが幅を利かしていた。たとえば、放送・通信などの免許事業。各種工業規格の標準機関や認定機関の設置などはそのいい例だろう。しかし、そういう古い考え方はもう通用しない時代になっている。
それはデジタルの世界に独占はないからだ。同じことを別の技術で容易に実現できるのは、デジタル技術の特徴だ。技術的には全く違うことをやっていても、ユーザからみて同じ効用があれば、それは同じ商品・同じサービスになる。たとえば昔ながらのアナログ回線でも、今ハヤリのISDN回線でも、通話用の電話として使う分には何ら変わりがない。ユーザの関心は安いかどうかだ。インタネットプロバイダが提供する「インターネット電話」が話題になっているが、あれも付加価値があるワケじゃなくて、逆コールでかける国際電話とどっちが安いかという問題でしかない。こういう性質があるからこそ、自分は囲い込んだつもりでも、外側にいくつも抜け穴ができてしまう。
それならいっそなるべく間口を拡げて、同じ土俵でいつでも、誰とでも戦える体制を固めたほうが強い。顧客でも技術でも、囲い込むのは敵を利するだけ。一旦囲い込んでも、顧客はより安くて使い勝手の良いものが出てくれば簡単になびいてしまう。技術だって、より制約やコストの安いものが出てくれば、囲い込みどころではない。だからこそ「オープン・全方位」がシェア拡大のカギになる。誰でもなんでもウェルカムなところには、おのずとスケールメリットが働き、結果的に繁盛するという次第だ。
そう考えてゆくと、ハードウェアの規格がどうなるかなんてもの、バカバカしいといえばバカバカしい。いまテレビのデジタル化が話題になっている。郵政省やNHKは規格そのものがどうなるか気を揉んでいるようだが、テレビセットを売って商売する分には、どんな規格でも、どこの規格でもいい。決まってくれさえすれば、それを作って売るだけ。ユーザだって「番組を見れりゃいい」だけだ。そして、どの規格が優位かは市場が決める。それは間違いなく、もっとも「オープン・全方位」なものだろう。
この法則はまた、サービス、特にインフラ系サービスでは強力に働く。「オープン・全方位」なサービスはヒット、囲い込むサービスはコケるしかない。これは通信自由化以降、NTTの提供するサービスの盛衰を見てゆくとよくわかる。電話は広くあまねくなのに、なぜか新サービスではユーザを選別したがる。キャプテンシステム然り、ダイヤルQ2然り。アダルト禁止とか選別を始めたサービスはそこでアッサリ命脈を絶たれる。もし日産のクルマしか通れない高速道路があったとしても、それでは無駄も多くなるから結果的に高くつく。それでは、日産車のユーザも使いたくなくなる。そういうものだ。インフラサービスが客を選ぶようでは、誰も使わなくなるのがオチだ。



・水平統合がキーワード


かつては、多角化・コングロマリット化というと、自社の現在のドメインから、金の流れに沿ってより上流あるいは下流に勢力を拡げるという垂直統合が戦略的に主流だった。だが川上・川下に進出する垂直統合は、アナログ利権時代の発想だ。たしかに、許認可で守られた利権がものを言う業界や時代であれば、その「印篭の紋所」をよりどころにシバりをかけ、より競争が自由な上流や下流に手を拡げることで、より利権が活きる。特に製造業が中心の産業社会の時代なら、原料の輸入割り当てや、製造に関する特許の独占利用権、店舗の設置許可など、一連の産業連関の中でいろいろな利権があったため、これらをウマく組み合わせることで、全体として圧倒的に優位な競争力を得ることができた。
だがこれは、本質的な製品の競争力、サービスの質の競争力ではない。それどころか、こういった利権への安住は、実質的な競争力をそぐ結果へとつながる。デジタル技術の特徴の一つに、競争にはタテマエがなくホンネしかないということがある。技術的にいくらでも抜け穴が作れるので、利権を得ようとしても無理、本質的な競争力を持つものしか結果的に生き残れない。だから、利権を前提とする垂直統合は通用しない。デジタルの時代は、産業構造のあるレベルを総取りする「水平統合」の発想が活きる。
こういう構造的な問題だけでなく、もっと純粋に経営ベースで考えても、垂直統合より水平統合のほうが投資効果としても有効という点も重要だ。垂直統合では、いろいろと業態の違うビジネスを複合し、トータルな経営判断から見る必要がある。利権で守られ独占的な利潤を上げられている間はともかく、統合したそれぞれのビジネスが自由な競争を繰り広げるようになると、どのビジネスにどうコミットするかの判断を客観的に行いにくくなる。原材料からコンシューマー販売まで手がけるということは、日銭商売のような典型的なフロービジネスから、投資・回収をくりかえす製造業型ビジネス、資金の回転だけを考える金融型ビジネスまで、いろいろな形態が複合することになる。限られた経営資源を、これらに投入する最適解を得ることは不可能と言っていい。この点水平統合ならビジネスとしての構造は一つなので、無駄を犯す危険は大幅に減少する。
許認可による免許事業の典型ともいえる放送・通信事業などこの典型だろう。1996年に改正されたアメリカ電気通信法では、この水平統合の原理を大幅に取り入れることで、放送・通信事業をアメリカの基幹産業として強化する戦略が打ち出された。それまでは程度の差こそあれ、アメリカでも放送・通信事業は許認可事業であり、放送は制作から送出までを垂直統合、通信は回線運用から電話等のサービスまでを垂直統合するのが常道だった。しかしここで打ち出された戦略は、インフラはインフラで放送と通信の区別なく水平統合し、その上に載るサービスもまた各レベルで水平統合するというものだ。この戦略は、このほうが経営資源の無駄がないばかりか、独占によるスケールメリットで安くなり、競争力も高まるというデジタル時代ならではの構造を活用したものだ。そしてその圧倒的な競争力を活かし、インフラはインフラで、ソフトはソフトで、それぞれ世界的な優位性を確立し、世界市場の覇者たらんとする野望を秘めた戦略であることはいうまでもない。



・勝者総取りを目指そう


デジタル絡みの競争では、シェア争いなどというのんきなことを言ってはいられない。熾烈なコスト競争だから、最後に残って総取りを目指せないなら参加しないほうがいい。
もともと勝者総取りの発想は、アメリカのビジネスの基本ルールでもある。日本では、慈愛深いヒトが多いせいかわからないが、"fair"とか「公正」とかいうと、どうも「ズルをしないで、弱者にもやさしい」イメージがある。しかしアメリカの主張する"fair"は、これとは全く異なるイメージを持つ。アメリカの"fair"とは、「強いものが必ず勝ち、弱いものが必ず負ける」ことだ。弱いものにえこひいきし、順当にいって負けるはずのものが負けないのが、「ズルい」ことなのだ。ハリウッド映画のヒーローものを見ていればわかるような気もするが、ここに大きな誤解がある。
同じように自由競争の「自由」も、日米ではニュアンスに差が大きい。日本では自由競争というと、市場に参加しているプレーヤーが取り得る戦略の「自由」というニュアンスが大きい。だから、単なる規制緩和の問題としてとらえられがちだ。もちろんアメリカでもそういう規制緩和のニュアンスがないわけではない。だがそれ以上に重要になるのは、市場から没落、脱落する「自由」、相手を市場外に蹴落す「自由」というニュアンスだ。つまり、死に体の企業を潰してしまう自由だ。これがあるからこそ、"fair"な市場では強者が弱者の市場やシェアを喰って最強者となれる。
何年か毎に、貿易赤字問題、参入障壁問題とカタチを変えて繰り返される日米貿易摩擦も、つきつめればここに原因がある。市場における"fair"と「自由」をどうとらえるかが、摩擦の根源的な理由だ。そして、この"fair"と「自由」が、アメリカの産業政策の基本になっているからこそ、問題は大きくなる。
アメリカでは、その産業がアメリカの基幹産業だと認識されるようになると、その市場での"fair"と「自由」を極めて重視する傾向がある。まず、国内で激しい競争を行い、本当に強いものだけを勝ち残らせる。次に、この勝者がグローバル市場で同様の競争を行えば、"fair"と「自由」が貫徹するならば、圧倒的に強い立場になる、という論理だ。
たとえば、1980年代のレーガン政権下で行われた、アメリカ航空業界再編劇は今も鮮烈な印象がある。それまではアメリカでも許認可権で守られていた航空業界。特に国際線ではその保護が手厚かった。これを一気に自由競争化した。そこでは激しいサバイバルレースがくりひろげられた。もともと競争が厳しかった国内線で鍛えられた、ユナイテッド、アメリカンといった航空会社は大きく伸びた。その一方で利権に安住していた、パンナム、TWAといった国際線主体の企業は競争に負け、倒産、吸収合併の道しかなかった。
好むと好まざるとに関わらず、デジタルビジネスはワールドワイド市場がベースだ。そこでは、アメリカ企業が自分達の論理である、"fair"と「自由」を引っ提げて挑んでくる。そっちがその気で来る以上は、共存共栄は有り得ない。幸い、マスメディアの伝えるイメージに反して、デジタル領域では、日米の絶対的な実力が実質的には伯仲している分野も多い。ここは一丁、こちらもアメリカンルールで立ち向かおうではないか。



・ベンチャーキャピタルは事業を評価しない


デジタルビジネスというと話題になるのがアメリカだ。経済新聞や経済誌を開けば、光り輝くアメリカ新進ハイテク企業の話題が無い日はない。アメリカ話題企業はすべてデジタル関係という感じさえする。本当にデジタルビジネスの将来はこんなに輝かしいのか。アメリカでは本当に産業がデジタル関係ばかりになっているのだろうか。素朴な疑問が頭を持ち上げてきてもいいと思うのだが、日本人は根が素直なのか、疑問も差し挟まずにこれらの情報を受け入れているかのようだ。答からいってしまえば、現実はそんな単純なものではない、ということになる。アメリカ特有の事情から、マスメディアにのる情報にバイアスがかかり、それがそのまま日本のメディアに反映しているからだ。
これには裏がある、それを理解するにはアメリカのベンチャーキャピタルや投資家の行動を知ることが必要だ。アメリカは、5%の人口が95%の富を持っているといわれるように、少数のきわめて大きな資産家がおり、彼らが個人ベースで行う投資が、全産業的な資金需要のかなりの部分を賄っている。メインバンクと密接な関係を持ち、銀行借り入れで資金需要を賄うことが多い日本の企業金融市場とはその構造が大きく異なる。
そういう投資家の行動原理、それはある一定以上の効率で資金が回転してくれることだけだ。より安定的により高い効率を求めるために、彼らはポートフォリオを組み、その中ではローリスク・ローリターンの金融商品と、ハイリスク・ハイリターンの金融商品を組み合わせることで、全体としての効率を高めている。ここでポイントとなるのは、ハイリターン商品のリスクをいかに減らすかという点だ。この特効薬の処方箋はいずこも同じ。市価が高いときにさっと売り逃げる、サヤ取りだ。これをもっとも効果的に行えるのが、新規上場のときだ。アメリカの店頭市場は上場条件がアマい。実績がなくても上場できる。リスクは投資家がとるべきだという考えからだ。初値がいくらつくかは、実際のビジネスの結果ではなく、話題性や期待性に依存する。もうおわかりだろう。アメリカでは、ニュービジネスを必要以上に華々しく話題にすることが利益につながる人達が存在する。
アメリカのベンチャーキャピタルは、本当に事業の将来性を評価しているわけではない。仕手株と同じで、話題にして売り逃げ、サヤとりを考えてるだけ。彼らのモチベーションとしては、とにかくできるだけ高い株価がついてくれればそれでいい。元々アメリカの投資家は投資効率にはうるさいが、金さえもうかってくれれば、事業そのもの価値とか意味には無頓着だ。しかし、ベンチャーキャピタルはそれに輪を掛けて事業内容に無関心だ。完全なバブルといっていい。
話題企業のその後の盛衰が実態を表している。新規企業が登場したときこそ華々しく報道されるが、その後どうなったかはなかなか伝わってこない。じっくり調べていくと、その多くが倒産したり、廃業したり、他社に売却されたり、要は失敗している。成功例のほうが少ないとさえいえる。投資家も創業者利得をサヤ取りできればそれでいい。起業家も事業そのものへの思い入れはなく、手元に金が入ればいい。これでは健全な事業は成り立たない。デジタル分野でも、健全な企業だけを比較すれば日米に基盤差はない。



・アメリカの強みは技術力よりドライな資本の論理


デジタルビジネスという面で見た場合、日米には、技術面での優位性の差はない。実は技術はボーダーレスだ。ある技術を金にするためには、国粋主義はじゃまだ。日本の企業も、アメリカの企業も、使える技術そのものは差がないと考えるべきだろう。軍事主導で技術開発が行われた冷戦時代とは違い、民間主導で技術開発が行われている現状では、技術とは金の問題でいくらでも解決できる領域と考えるべきだ。ではどこが違うのか。それは経営戦略の考えかただ。どちらかというと技術主導なのが日本の企業、マーケティング・マネジメント主導なのがアメリカの企業。実はこの差こそが大きい。ドライな資本の論理を貫徹できるところこそ、アメリカ企業の優位性なのだ。
典型的な例は、あのIBMの生き残り戦略に見ることができる。IBMは、大型コンピュータに依存していた経営体質が災いし、80年代末のダウンサイジングの波に洗われてから、大いに業績を落とし、徹底的なリストラが必要となった。来たるべきネットワーク・分散処理時代を前に、大型コンピュータに専用端末を結びつけた、IBMの得意とするホスト集中処理は滅びゆく恐竜のように見えた。
それまでIBMは、パソコン事業を除けば、使用するデバイスまで独自規格で内製していたことからもわかるように、徹底した自前技術主義を売り物としていた。また、独自の大型機用OS上で動く、自社機専用のアプリケーションで顧客を囲い込み、これがIBMの強さの秘密とされていた。それだけに、このコンピュータ界のパラダイムシフトの前には、あの巨大なIBM帝国も、ついに命脈が尽きたとさえ思えた。
これに対してIBMは、リストラクチャリングの基本である、徹底した組織のスリム化やアウトソーシングをとることはもちろん、根本的な戦略の転換まで含めて対応した。それは、独自技術を捨て、徹底した業界標準、オープンアーキテクチャの取り込みを図ることだ。デバイスも、基本ソフトも、業界標準といえるものに徹底して歩み寄った。
この結果、それまでの大型集中処理用のホストマシンは、ネットワーク上の超大型サーバーとしてよみがえった。それだけでなく、それまでIBMが得意としてた業務系システムを、ネットワーク分散処理のシステムと融合することで、ネットワークを中心としたシステムインテグレーション面で独自の強みを発揮しうる基盤を作った。
一番の売り物だった「技術」の独自性を、マネジメント上、マーケティング上の戦略からあっさりと放棄し、180度正反対の外部標準に合わせる。それによって、比較優位のある経営資源の活用に経営上の軸足を置き換える。果して「技術」にこだわる日本のメーカーに、こんなドラスティックな戦略がとれるだろうか。
それだけでなく、日米の企業では、絶対的な資金力にも、大きな差がある。太平洋戦争ではないが、全面対決になったときには、この資金力の差は大きい。相手を完璧に撃破するまで持久戦を戦える資金力と、それを支える資本の論理。アメリカの企業が日本に対して圧倒的に差があるのは、この経営力ともいえる底力だ。技術はどうでもなる。しかし、このマネジメントの差をあなどってはならない。



・守りに入れば負け


デジタルの分野では、常に新しい技術が登場するとともに、常にベンチャーのような新しいビジネスプレイヤーが登場する。こういうゲームでは、守りに入ったほうが即負けだ。特に、色々な規制や許認可権に守られて育った大手企業は、ともすると守りに入って楽をしたいという、間違ったモチベーションに囚われがちになる。だが、これは死を招く。大手企業がデジタル分野で失敗するのは、全てこの点だといっていい。技術にしろ、人材にしろ、大手企業が中小ベンチャーに劣っているということはない。
技術面で考えてみよう。大手企業の持つ、今までの余裕の成果ともいえる、豊富で多方面に渡る研究開発の蓄積や、業務上から得たノウハウの蓄積は新興企業の追随を許さない。また、新技術を導入する場合も、豊富な資金力がものを言う。人材でも、母数が多いということは、それだけ多才な人材を抱えていることにつながる。数人のパーソナリティーだけでこなさなくてはいけないベンチャーのほうが、次の一手の幅は制約されがちだ。
問題は、中身ではなく体質だ。戦いを好まず、安易なほうに流れ易い、守りの体質こそが、大手企業が本来持っている競争上の強みをかき消してしまう。デジタルの世界では、守旧派は即負けだ。元来底力があるのだから、守りに入らず、常に戦う姿勢を持っていれば、「先手必敗」で示したように、ベンチャーが先行した市場も、そのパワーで取り戻すことができる。
守りの体質は色々なところで頭を持ち上げる。特に規格の問題になると、大手はこの体質がでてきやすい。今や、デジタル機器のハードは極安くなっている。その上激しい技術開発競争により、ハードの新陳代謝も激しくなっている。一旦買ったハードを、後生大事に使うというのは、今や有り得ない。ハードこそ、次々と最新技術のものに買い換えるのが一般的になっている。耐久消費財なんていうコトバは、デジタル機器のハードについては、もはや死語だ。
こういう時代になれば、ハードの規格なんて、買い換えさせればいいだけのこと。妙に規格にこだわってユーザを囲い込もうとすれば、ユーザが逃げていくだけだ。「儲からないデファクトスタンダード」で述べたように、IBMのPC/ATアーキテクチャーの公開戦略は、ビジネスとしての成功はさておき、規格づくりという面では大成功し、文字通りデファクトスタンダードになった。しかし、ここで大企業病としての欲が出たのか、次のPS/2の規格は公開せず、MCA、EISAといった規格は、高い利用料を払ったサードパーティーにのみ公開した。案の定この戦略は大失敗。その後のパソコンの標準規格も、以前のPC/ATアーキテクチャーの延長上で展開することになった。
このようにデジタルビジネスでは、常に攻めるのがいい結果を生む。囲い込んで守りに入るぐらいなら、次の市場に攻めていこう。囲い込むということは、今シェアがあるということ。それだけシェアがあれば、次の市場へ一歩速く攻め込める体力があるということ。これは最大のアドバンテージだ。活かさない手はない。攻撃こそが最大の防御と考えれば、守りの体質を持っていたとしても、成功につなげることができるだろう。



・権利の押さえ方は人気ブランドに学べ


デジタルビジネスの成功者の代表として誰もが納得するのが、マイクロプロセッサの巨人インテルだろう。パソコンの心臓部ともいえるマイクロプロセッサ。その市場におけるインテルのパワーは絶大だ。すべてがインテルを中心に回っているといっても過言ではない。出す機種出す機種が次々と標準としての地位を占め、市場リーダーとしての地位は磐石のように見える。
しかし、インテルの成功は既得権でもなんでもない。激しい競争の中で、莫大な研究開発投資を行って、常に誰より早く誰よりも優れた次世代CPUを開発し続けてきた結果に他ならない。誰よりも努力しているからこそ、誰よりも成功をおさめているのだ。同時に、コンパチ品が登場して収益性が悪化した旧世代の製品は、あっさりラインナップから切り捨てる戦略も大きく寄与している。こうすることで、価格競争に強い、競合する互換CPUメーカーに旧世代製品の市場を与える。結果、競合メーカーはあえてリスクの高い最新機種開発には手を出さなくなり、インテルとの間での棲み分けができ上がっている。こういう努力をしてはじめて市場リーダーたり得る。
これはちょうどブランド商品のマーケティング戦略ににている。ファッション関係の人気ブランドは、ブランドを維持するため、常に新しい付加価値を持ったデザインで、質の高いラインナップを発表し続ける。これは。非常にコストがかかる。そして過去の自分自身との、とても厳しい競争が必要となる。だが、ブランドのイメージを維持するためになくてはならない努力だ。こういう切磋琢磨を繰り広げた結果としてのみ、資産としてのブランドイメージはでき上がる。それも未来永劫続くわけではない。努力をやめた瞬間に、ブランドは消えてしまう。いわばブランドイメージの自転車操業だ。
現在どんな高イメージをもっているブランドでも、ひとたびデザインが悪くセンスのない商品を出したり、品質の悪い商品を出したりしたら、一発でブランドイメージは崩れてしまう。今は、ブランドの名前だけでモノが売れるほど、商売がしやすい世の中ではない。消費者の目はとても厳しいからだ。インテルのマイクロプロセッサ戦略は、なぜかこれに似てる。「インテルというブランドをどう維持するか」というのがマーケティング戦略の根幹であると考えれば、これも充分納得できる。
ブランドは築き上げるモノであって、利権として与えられるモノではない。これは、デジタルビジネスでも同じだ。いや、デジタルビジネスでは利権が生まれない以上、一般の商品以上にこの原則が重要になる。常に切磋琢磨し、向上を続け、先頭ランナーとして走り続ける。どんな分野でも、これは競争に勝ちぬく王道といえば王道だが、ことデジタルビジネスにおいては、これ以外の抜け穴は有り得ないと考えたほうがいい。正々堂々、実力勝負の横綱相撲。デジタルビジネスの勝者となるには、他に手はない。これが難しいのならば、市場リーダーとなる野望は捨て、最初からニッチ狙いで行ったほうが失敗もないし、無駄もないだろう。



・利権にならないものこそデジタルの心髄


そもそもデジタル技術とは、オープンで民主的なもの。だからデジタル技術が絡む分野では、利権は生まれようがないし、利権を作ろうという発想をしては勝つチャンスすらない。デジタルビジネスで勝ち残るには、利権がなくても、いや、利権がないからこそ稼げるような仕組みを創り出す必要がある。
なぜ利権にならなくてこそデジタルなのか。インターネットで考えてみよう。世の中、インターネットの文字を見ない日はないくらいブームである。しかし、こういうブームは、いかにもうさん臭い。かつての「ニューメディア」「ニューロ」、最近では「マルチメディア」、どれもこれもどことなく似ている。だがインターネットの「功」の部分については、きちんと光を当て、正しく評価すべきだ。インターネットの功こそ、利権にならないデジタルの本質を示している。
それは、「中央集権のピラミッド型でなくとも、通信ネットワークが構築できることを立証した」ことだ。それまで、VAN業者的なものは別として、基幹ネットワークの運営は、大きい規模を持った通信業者が、ハードとしてのネットワークの提供と、そこで提供される基本サービスの運用を行ってはじめて可能になると思われていた。これが、日本の電気通信法でいう「第一種通信事業者」。まさに、許認可事業の権化、利権の権化だ。
インターネットの実現は、このうちハードとしての電線の敷設や運営はさておき(もっとも、大学構内とか企業の敷地内では、自前の電線が運用されている)、サービスとしての通信事業の運用は、独占的事業者でない単なるボランティアの集まりで、充分実用に供することができること身をもって示した。すなわち、通信事業が利権たり得ないことを実証した。これにより、コンピュータが、大型ホストによる独占的な世界からダウンサイジングされたのに続き、通信ネットワークもダウンサイジングが可能になった。
ちょっと専門的になってしまったが、これがインターネットの「功」である。さて、それではいよいよ、インターネットとビジネスの問題だ。
このようにインターネットの特徴は「運用上」の問題にある。システム的な環境特性には、なにも独特なものはない。独特なものがないからこそ、独自の世界にこもっていた利権を打ち破ることができた。だからインターネットでなくてはできないというものは、どこにもない。差があったとしても、「安くできる」とか「簡単にできる」とか、「程度の問題」であり、それも信頼性を犠牲にした上の差だ。これを理解した上で、それでもメリットがあるところにインターネットは広まった。
まともな理解力と判断力のあるヒトなら、インターネットそのものが、即新たなビジネスチャンスにつながるとは、とても思えないだろう。何ら金を生む要素はない。ビジネスとして成功するには、インターネットそのものより、利権を打ち破ったことによる「安くできる」とか「簡単にできる」とかいうメリットを、どう金に結びつけるかが大事だ。この視点は、今までの日本の大企業的なビジネスセオリーとは異なる。だからこそ、成功にはパラダイムシフトが必要なのだ。



・ビジネスに技術者の視点は無用


デジタルというと、すぐ「技術がわかる人が必要」という発想をする人がいるが、それは間違い。デジタルだろうとなんだろうと、市場が読める人間が金を生むのは変わらない。確かに技術者が必要な場面はあるし、全くいらないということはない。だが、デジタルというだけで、必要以上に技術者の意見を重視したり、技術者にプロジェクトの責任を任せるのは百害あって一益ない。技術というのは、あくまでもビジネスプロジェクトを実現するための手段でしかない。そして技術を使いこなすには、技術そのものを知る必要はない。
よいマネージャーなら、技術者をウマく使いこなすことができる。技術のハンドリングはそれさえできればいい。そのカギとなるのが、プロジェクトの目的とそこへのブレークスルーを明確に指示し、彼らがやるべきタスクをディレクションすることだ。
技術面で思い切って任せるところは任せるが、その結果の目標と評価軸は明確にしておく。
そしてそれはビジネスがわかる人間がきちんと押さえておくのがい。タスクが明確になれば彼らは燃える。コストを半分にするとか、大きさを半分とかいう目標は、それが明確で、なおかつ実現困難なものほど彼らは燃える。もともとタコ壷が好きな人達なのだから、彼らの入るべきタコ壷を与えてしまえばいいわけだ。彼らは与えられたタスクについてきちんと答を出す。ビジネスマンはそれをきちんと商売にする。これが望ましい役割分担というものだろう。
この役割の違いを、データの暗号化に使われるクリプト技術の場合で考えてみよう。セキュリティーの問題は、ネットワーク社会の発展とともに重視されている。だがどんな厳密なクリプト技術を考えたところで、ことビジネスで使う場合には構造的な矛盾を常に孕んでいる。それはビジネス情報であれば、伝送路中を伝達する間はさておき、最終的には数値データやドキュメント、画像等のアナログ情報に戻して、人間が使うという点だ。入口と出口が、極めて脆弱な人間系で構成されている以上、途中がどんなに厳格でも、トータルな情報の流れ全体のセキュリティーは低いものとなる。理論的には無理だが、ここでは仮定として100%完璧なデータのデジタル暗号化があったとする。そこで流れる情報を、ケーブル上でとるのは不可能かもしれない。しかしそれなら、最終的に使う組織の人間を抱き込み、古典的なスパイ手法で情報を得る方がずっと簡単だ。
まして、完ぺきな暗号化は理論的には不可能だ。矛と盾の故事ではないが、強力な暗号化を支える技術は、同時に強力な暗号解読の技術となってしまうのが現実だ。ここまで視野に入れると、あるレベルを越えたクリプト技術は「技術のための技術」であり、ビジネス的な実用の世界からは程遠いことがわかるだろう。そこにコストをかけたからといって、入口出口の人間系まで入れたシステムの信頼性はあるレベル以上にならない。ここを見極めて、トータルなコストと信頼度をどのレベルに置くかというのは、ビジネスの視点以外有り得ない。はっきりいってしまえば、クリプト技術のコストと保険のコストの比較でしかない。どうせある程度こぼれるなら、そのリスクを織り込んでしまえば、ビジネスとすればそっちの方がずっと儲かる。これこそ、ビジネスマンの視点だ。



・得手を活かせ、不得手に手を出すな


デジタルビジネスは、付加価値の差あるいはコストの差で、旧来のビジネスに比して微妙に利益を稼げるところに魅力がある。本質的な部分ででっかく稼げるたぐいのモノではない。だから、コスト面の管理が弱い領域は避けたほうがいい。これは取りも直さず、大企業になればなるほど、失敗がまっていることを意味する。大企業というメリットがでにくいのも、デジタルビジネスの特徴だ。
大企業のメリットであるスケールメリットが活きるのは、インフラビジネス、デバイスのような最上流の「生産」だけ。開発部分、消費者に近い生産部分は、大企業の強みであるスケールメリットは活きないと考えたほうがいい。それどころか、小回りが利かなかったり、コスト意識のスケール感が違ったりして、失敗することのほうが多い。
しかし、大企業がデバイスに専念すれば、最終製品を提供する「ブティック」との間でウマい棲み分けが可能だ。機能単位が完成されたデバイスになっていれば、そのデバイスの開発や生産には大資本とスケールメリットが必要だが、最終製品にするには一人で組み立てても充分対応できる。この状況は、デザインや使い勝手を重視して、本当の意味でユーザが心から満足できる製品をつくる上では、大変都合がいい。
時計なども、ムーブメント部分がデバイス化したから、スウォッチ以降のファッション化が起きた。それがファッションウオッチという市場を生み、コレクターを生み出すなど、さらに需要を喚起したことはいうまでもない。クルマだって、もう何年も前から、マニアの間では、ハイパフォーマンスパーツでチューンしたり、エアロパーツでモディファイしたりというのがふつうになってる。こういう楽しみ方は、これからどんどん色々な商品に広がってゆくのだろう。流行を追っているのがファッショナブルだったのは、知識が重視されていた近代主義の時代の話。これからの知恵の時代では、自分がどこにもないオリジナリティーを主張することがファッショナブルになる。これに対応するには、機能のデバイス化は強い味方だ。これにより、大企業でなければできないスケールメリットと、個人に近い、小回りが利き顔が見えるブティックでなければできない付加価値生産とが、ウマく棲み分け相乗効果を発揮できるようになるからだ。
これは、大企業がパソコンビジネスにどう取り組むかという問題にも、典型的に現れている。メモリーやハードディスクの製造といったデバイス生産は、大企業の独壇場だ。だが、基板の製造や組立になるともう怪しい。最終的なパソコンの製造、販売となると、これはもう大企業では手に負えない。すでにシステマティックな流通チャネルを創り上げているところなら、サポートをはじめそれなりにトータルビジネスとして稼ぐチャンスはあるだろう。だが、新規参入してビジネスチャンスがあるモノではない。富士通は、パソコン市場で価格競争を挑み、大企業としての体力を生かし、身銭を切ってまでシェア拡大戦略をとった。その結果シェアはとったモノの、赤字が赤字を生む構造を生み、事業としては儲かっていない。この戦略のおとし穴も、無理に不得手な戦いを挑んだところにある。不得手に手を出し、ベトナム戦争の泥沼にはまったアメリカの払った犠牲を忘れないようにしよう。



・分に応じた事業規模・業態が成功を生む


デジタルの市場は、ベンチャービジネスが目立つくらい小さくニッチなもの。まず絶対的な市場規模を見極めた上で、投資額や事業計画を立てなくては、まさに絵に書いた餅だ。思い込みの期待値が高すぎるせいなのだろうか。技術や販路といった面にはぬかりない計画を立てても、なぜかこのもっとも基本的な部分がアマい事業計画が多いというのが、デジタルビジネスの一つの特徴でもある。
デジタル関連市場は、初期の導入期においては絶対的な規模が小さいばかりでなく、その需要の構造や流通構造もその後の成長期・成熟期とは全く異なる。そこでの経験が、そのまま市場での成功にはつながらない。しかし、その分野に精通した技術者を育てたり、将来の多角的展開のテストマーケティングといった目的でなら、導入期に小規模参入するのも悪くない。成功しても儲かるおいしさはないが、逆に失敗してもリスクは小さいし、自社のメインの市場やブランドに傷が付く心配もないからだ。授業料として考えれば安い。
危険なのは、過剰な期待をもって、過剰な経営資源を投入する場合だ。大企業が取り組む場合ほど、通常のビジネスのスケールや常識をそのままニュービジネスにも持ち込もうとしがちだ。大企業が普通に取り組むビジネスとは構造が違う。ベンチャービジネスなら、たとえば5人で年商5億といえば、たとえ流通業的なビジネスだったとしてもかなりの規模だ。それなりにコストに気をつければ、利益も大きい。しかし、大企業の中でこのレベルの事業をやった場合、下手をすると間接コストや施設コストの負担が過剰になったり、マンコストの水準が高すぎる管理職がいたりして、本来出る利益もでないということになりかねない。それどころか、果してそれだけの人材と資金を投入して意味のあるビジネスかと問われることも多いだろう。
家電メーカーが多くパソコン市場に参入した。それも、家庭用パソコン、ゲームパソコン、ノートパソコン等々、新たなコンセプトの商品が現れてくるたびに。しかし、そこで成功した例はほとんどない。これは別に技術の問題ではない。OEMで商品を他社に提供しているメーカーはたくさんある。また、いわれるように販売チャネルの問題ではない。初期のマニア市場の段階はさておき、大手が参入を考える市場規模になってからは、家電量販店系のチャネルが中心になっており、これらのチャネルには家電メーカーは元来強いからだ。問題なのは、メインビジネスのスケール感をそのまま持ち込む点だ。致命的な赤字が出ても、絶対額は小さいから全体の中でまぎれてしまう。営業費やマンコストも社内の常識がそのまま適用される。これでは事業がバランスよく起ち上がるはずがない。社内ベンチャーがウマくいかないのも同じ理由だ。これなら社外の企業をM&Aしたほうがいい。
逆に、もともとの経営規模が小さければ、そのフットワークを活かして新たなニッチに取り組むのもいいだろう。自らはベンチャーとはいいにくい歴史のある中小企業が、もとから持っている技術力にデジタル技術を加え、新市場にチャレンジする場合などが代表的だ。
純然たるベンチャーとは違い、すでに独自の経営資源も、経営ノウハウも、ビジネスの実績もある。かじ取りさえ間違わなければ、成功する可能性は大きい。

(c)1998 FUJII Yoshihiko


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