ロリコンとジェンダー





この10年来、新聞の社会面やテレビのワイドショーをにぎわす事件の影に、ロリコンの4文字が見え隠れすることも多くなった。そんな時は決まって、心理学者たちがしたり顔でいう。ロリコンとは、弱者である子供に対しては強い立場になれるので、そういう子供たちを性行為やいたずらの対象としようとする者だ、と。果たしてそうなのだろうか。

確かに犯罪行為に至った実態まで含めると、なるほど説得力がある気もする説明だ。しかし、彼らが犯罪者となったのは、ロリコンだからではなく、彼らが、心理学的にいえばサイコパス(自分の中では、社会的善悪判断ができない性格)だからだ。確かに攻撃的というか、いじめの対象という理由で幼児・幼女をターゲットにする犯罪者がいるかもしれない。だが、ぼくの経験からすれば、多くのロリコン者が子供たちに引かれる理由は、そんなモノではない。それは、自分自身の居場所が、大人の側に見つからず、子供たちの側にこそあると思っているからだ。

これははっきりいえば、ある種のジェンダー障害なのだ。社会から強要される、男らしさ、女らしさ、大人らしさ。これが耐えられないからこそ、ジェンダーレスな世界を指向する。第二次性徴期を迎えていない子供たちには、ジェンダーの区別はない。社会的な男女のステレオタイプ化は、大人達の物だ。もちろん、男のコらしく、女のコらしくという、大人からの押しつけはある。だが、それは本人たちの気にするところではない。何とすばらしい世界なのだろう。

戻れるものなら戻りたい。というより、自分はいまもそこにいるのだ。だから、彼らは子供たちに共感し、子供たちに惹かれる。ロリコン者の多くは、こういう文脈の中から、小さい子供たちを愛するようになったはずだ。彼らはジェンダーの犠牲者なのだ。そう考えると、同じく軽度のジェンダー障害を伴う異性装嗜好(女装マニア)が男性特有と同様、ロリコンが男性特有というのもうなずける。そもそもジェンダーというモノ自体、近代社会が作り出した、虚構の男性社会を築くための押しつけだからだ。それは多くの矛盾を女性に強いた。しかし、男性自身にとっても、ジェンダーが強いる矛盾は思いの外大きい。

ジェンダーなんてものは、不自然だし、不合理なものだ。ただ規制とおんなじで、これにより居心地のいい人や、得をしている人がいるから、続いている。けれど、それを生み出した近代社会が終わりを告げようとしている今だからこそ、それに不都合を感じている人達も増えているということではないか。いくつになっても、子供のときのままの清い心を持ち続けることができる社会こそ、今求められているのではないだろうか。

(97/08/19)



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