デザインが夢色に輝いていた時代





セゾン美術館も、セゾングループのリストラの一環として、常打ちの小屋としての終わりが近づいてきた。セゾン美術館にはずいぶん足繁く通った。セゾンカードのゴールドカードを持っていると、入館料無料ということもあるが、ほとんどすべての展示会を見ているのではないだろうか。地下鉄で行けば、ちょっと仕事の手間があいたときに「長めの昼休み」をとれば見に行けるメリットも大きい。それ以上に、現代美術や工芸・デザインといった、個人的に興味の深い分野をテーマとした展示会が多いこともある。

さて、そのセゾン美術館で1998年の4/18から6/1まで、戦後工業デザイン界の草分けの一人、柳宗理展が開かれた。建築から工業デザイン、CIから工芸に近いものもまで、活躍した広い領域に渡る作品が集められていた。商品に近い作品が多い分、個々の作品の質や評価については、各個人の好みという部分も多いので、ここではあえて問わない。ぼくが感銘を受け、心に強い印象を残したのは、個々の作品ではないからだ。

そこでぼくが感じたのは、まさに時代、それもデザインが輝き、夢に満ちていた時代が確かにあったことをもう一度思い起こさせてくれたことだ。そこにあったのは、間違いなくデザインが、そしてデザイナーが輝いていた時代の証しだ。それは、ぼくが物心つき育った60年代。そして、その時代に育ったぼくはデザイナーになりたかった。

その時代、デザイナーは確かに、夢を形にしていた。消費者・生活者一人一人、誰もが心の中に持っている、モヤモヤとした夢。それを高度成長という時代をバックに、現実のマテリアルとして描き出す。人々は、それを驚きと歓喜の声を持って迎えた。高度成長期に入ったとはいっても、時代が希望をすぐには充たしてくれない分、人々は夢を求めていた。戦後の昭和を代表するスターやヒーローが林立したこの時代、建築も工業デザインも、同じように人々の夢に応えることでもてはやされたのだ。

あたかも、知恵の輪を解くがごとくに。あたかも、コロンブスが卵を立てたように。みんなが感じてはいるものの、それを見たり語ったりできないモヤモヤしたものが、いきなりヴィジュアルとして目の前に現れるインパクト。それを見れたことで、人生の希望さえ湧いてくる。これは、今忘れられがちだ。しかし、デザインの持つパワーの原点でもある。

個々のデザインは、決してコケオドシで驚かせるわけではない。どちらかというと、素朴なまでの原点に忠実なカタチの追及に終始している。だからこそ強力なインパクトがある。だからこそ、見飽きたり、時代にうもれたりすることがない。それらの作品を見ていると、あの時代の高揚感がよみがえる。もともとデザインってこういうものだったはずだ。

デザインの持つ、夢を形にする力は、今でも決して失われてはいない。それを忘れてしまっているだけだ。そして人々の心の中には、人間である以上、昔も今も、もやもやとした夢がうずいているはずだ。こういう時代だからこそ、夢が見えなくてはいけない。
もう一度、このデザインの原点ともいえる場所に立ち帰ることが、今のデザインに求められている。そしてそれさえできれば、デザインは今の時代の閉塞感を打ち破るパワーを人々に与えられるのではないだろうか。

(98/05/01)



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