アイディアを生む力





ユニークなアイディアを出せるかどうかは、これからの時代にそのヒトが生き残れるかどうかのカギだとよくいわれている。これは至極もっともなことではあるが、それだけにそんなカンタンな話でないのも確かだ。どういうアイディアであろうと、湯水のごとく湧いてくるというワケにはいかない。だからこそ、求められ、価値があるということができる。オリジナリティーとクリエーティビティーにあふれるアイディア。それは学問だろうと家事だろうと、生活のあらゆく局面で必要となっている。だが特に、新しいビジネスやソフト的な「企画」につながるアイディアは、それ自体が大きな勝ちや可能性を持つだけにひねり出すのが難しいし、みんなが必死に求めることになる。

さて世の中には、アイディアを生み出すヒントとして「発想法」というものがある。古典的な発想法としては、「ブレーン・ストーミング」や「KJ法」などが知られている。しかしこれらは、もともとアイディアマンが集まって、さらに効率よく、さらにユニークなアイディアを出すためのものだ。発想法さえあればなんとかなるわけではない。もともとアタマが空っぽな人間が何人集まろうと、それだけではアイディアは永遠に出てこない。金をかけずに麻雀をやっても、誰も儲からないばかりか、雀荘代だけが次々と嵩んでゆくだけのようなものだ。

これは、アイディアを出す能力というのがすべてのヒトに平等のものではなく、それが得意なヒトと、それが不得手なヒトと、明らかにその結果に違いがあるからだ。頭が固いのなら、アイディアなど出そうとしないこと。得意なヤツに任せればいい。人間何か取柄があるのだから、自分でアイディアを出すよりは、そっちの得意な作業の方に専念した方がいい。ここで大事なのは、「せめて足を引っ張るな」ということ。自分が不得手ならば、中途半端にも関わらない方がいい。そういう人間がいるだけで、アイディアマンから出る発想もでなくなってしまう。

ましてや、いろいろちょっかいや口出しなど禁物。それでは有能なアイディアマンはたちまちやる気をなくす。確かにこれからの時代、アイディアマンが重要だといっても、それだけで世の中が成り立つわけではない。そうでないヒトもそれなりに居場所はある。もし、不幸にも能力がないワリにそういう仕事をしなくてはいけない立場にいるなら早く転進した方がいいだろう。地方公務員とか、大学の先生とか、道路工事の交通整理とか、将来はさておき、今のところ頭が固くても通じる仕事はまだあるようだから。

リストラブームと、それによる雇用の流動化・再配分のメリットは、実はここにある。旧来の年功序列型の人事ではなく、適材適所でその能力を活用する人事。そのためには既存の企業という枠組みが、何よりも足かせになる。ある企業の中では活用の場がなくなった人材でも、その能力が通用する業界に移れば、再活性化する。ここにこそ意味があるのだ。少なくとも、あるプロジェクトに対しては、その目的に対し能力的に適したヒトが集まるようになるだけでも、有能なヒトのモラールは各段に上昇する。組合せ方の妙で、母集団は一緒でもアウトプットの質が大きく変わってくる。

よく「ガラガラポン」といわれるが、まさにそれ。無理に人間を役割にあわすのではなく、役割にあった人間をはめていることが、これからの世の中のカギとなる付加価値を生み出すカギだ。そういう意味では、こういう時代にもっとも箸にも棒にも引っかからないのが、高級官僚に代表される「マジメな努力型秀才のなれの果て」だ。いちばんコンピュータで代替できる仕事しかしてないヤツ。何も付加価値を産み出せないヤツ。
そんなヤツの居場所は、今の時代既になくなっている。彼らの最後のあがきが、無用な規制や許認可の乱発だったり、汚職・腐敗だったりと考えればおのずと納得がいくだろう。これからの時代活きてゆけないのは、そういうタイプのヤツだけ。他の人には、その人にしかないいいところが、きっとあるはずだから。

(98/06/19)



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