景気いいということ





今年は、景気はよくなると思う。少なくともぼくはそう思う。この問題に関しては、ひとによって色々な意見があるようだが、みたところその違いは予測の問題というより、「景気いい」ということの基準の違いのように思える。「なにをもって景気の指標とするか」というとらえかたによって、景気の動向、ひいては将来の日本のあり方のビジョンが違っている。

今までは、それらの指標として平均値が使われていた。スゴくいいヒト、調子の悪い人。いろいろいる中で、全体を平均して、それがプラスかマイナスか、それを微分して上向きか下向きかと判断していた。しかし、平均値に何の意味があるのだろうか。かつては悪平等主義の時代なら、平均値も意味があっただろう。だが、そのような価値観自体が問われているのが今の状況だ。

高度成長期には、いろいろな形で「おこぼれ」が満ちていた。努力をしなくても、小判鮫で活きてゆけるような隙間があった。だからこそ、みんながみんな少しづつプラスになる状態を良しとしてきた。このような時代においては、十人いれば、十人が一づつプラスになっているような状態が、いい状態だった。そういう時代なら、平均値も意味を持ったかもしれない。

いまは、いい状態とは一人勝ちの状態にあることだ。何人もが拮抗して争っている状態からはなにも生まれない。これが安定期のいい状態の特徴だ。それも一人勝ちである以上、勝っている一人がどれだけ大勝ちしているかがポイントになる。一人が十勝って、あとの九人がゼロなら、平均値は前の十人が一づつプラスの状態と変わらないかもしれない。しかし状態の良さは全然違う。勝ってるヤツの勢いが、全体を引っ張ってゆくのだ。

もっといえば、一人が十勝って、後の九人はマイナスでも、みんながプラス一よりはずっといい状態ということだ。今までの見方を適用すると、この状態では平均値は極端に低くなる。ヘタをするとマイナスかもしれない。だが、こっちのほうが景気浮揚効果は高いのだ。それは、こうたとえられる。

賞金が小さくても、あたる確率の高い宝くじでは、全然魅力がない。そういうのを好む人もいるが、そういう精神構造では大成功は手に入らない。確率は低くても、賞金が大きいからこそ人を引きつける。これが、夢の力だ。だから夢が大きいほど、前へ進む力が生まれる。結局のところ、経済もこれと同じ。夢があるほど、活力が生まれる。成功すれば、超ビッグな成功。そうでなければ失敗。このメリハリがあってこそ、世の中にが活性化するし、一人一人にやる気が生まれる。

適当に他力本願でいれば、うまく流れに乗っておこぼれに預かれるというのでは、誰も努力しない。こうなってはおしまいだ。しかし、今の日本はどうもこっちの意識が強すぎるようだ。スゴい金持ちと、スゴい貧乏人がいればこそ、努力して成功してやるという夢も意欲も生まれる。一旦負けたからといって、永遠に負けているわけではない。種目を変えて出直せば、いくらでもチャンスはある。みんながみんなぬるま湯にひたっているより、こっちのほうがずっと世の中活性化するじゃないか。

そういう意味で、今年はパラダイムシフトの年にならなくてはいけない。いや、日本人もバカじゃないから、パラダイムシフトするだろう。そういう視点で見れば、ちゃんと競争力を持つ「勝ち組」はいるじゃないか。勝ち組がいれば、それはいい状態だ。負け組は退場して出直してくればいい。悪い膿を出すのは、結局は回復につながる。こういう風にみていけば、けっこう悪くない。今年はきっとそんな年になるだろう。

(99/01/08)



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