地方自治の民営化





都知事選挙が選挙戦のスタートを前に、早くも混乱、混迷の極みに達している。形勢不利と見て出馬声明を取りやめ、他の候補の支援にまわる人がいれば、混迷が深まってこそ機がうかがえるとばかりに、あえてこのタイミングで出馬を宣言する人もいる。こうなってくると実際に選挙戦がはじまる段になれば、お祭り選挙大好きな万年泡沫候補(とはいっても、政見放送になくてはならない重要な役回りではあるが)も、雨後の竹の子のごとく立候補するだろう。

これはこれで他人事としてみれば、こんな面白いことはない。政見放送など、かつてないほどタレント豊富で面白いだろう。有力候補のドングリの背比べで、だれも法定得票に達しないなんていう事態が起こる可能性があるとも言うが、これはこれで見てみたい気もする。まあ、何が起こってもおかしくはないという、バトルロイアル選挙。これはスゴい見せ物だ。不謹慎だが、イベントとしてはホントにワクワクする。

とはいうものの、これだって税金で賄われている。固定費としてでている、既存の公務員の人件費や事業費だって、税金シーズンである春には腹が立つというのに(しかしよりによって3月に予算消化というのは、確定申告に向かう足を鈍らせるだけだと思うのだが)。件の再選挙になったら、何百億かの経費が新たに必要になるという。面白いがこりゃタマラン。何でこんなコトになるのかと考えてみると、基本的に地方自治と政治とは、次元の違うモノなのではないのかという気がしてきた。

国政については、行政以上に政治が重要だ。それは何らかのポリシーに基づき、何らかの判断を行い、その責任を負いながらその政策の実施をする必要があるからだ。だからこそ、顔の見えない無責任な役人ではダメで、責任ある政治家が腹をくくって実行する必要がある。同様に、きちんとした政策議論が繰り広げられる必要もある。だからこそ、民衆の「数」による判断だけでは、必ずしも正しい道を選ぶことはできない。戦争も、ファシズムも、多くの場合大衆のマスヒステリーの結果として、圧倒的な支持の元に選択されていることを忘れてはならない。

しかし、地方自治というのは基本的には行政サービスだ。政治的、イデオロギー的なモノではない。そこに政治の論理を持ち込むから変な構造になる。住民にとっては、ポリシーなどどうでもいい。住民にとっての地方行政というのは、道幅が拡張されて渋滞が緩和されたり、保育園の受入枠が増えたり、要は公共サービスの中身と使いやすさの良し悪しでしかない。そしてそれは、知事が誰になろうとそう変わるモノではない。

逆接的な言い方になるが、地方自治が政治的なモノではなく、単なるサービス業にすぎないことを白日の元に示してくれたのは、誰よりも現青島都知事の功績だと思う。確かに、彼は都市博をやめたし、リサイクル・環境政策に方向を示した。だが、それらは都政の本質ではない。鈴木都知事がバブル期に、都庁舎をはじめ巨大公共施設を林立させたのも同じだ。金の問題としては大きいが、都の行政事務自体は、それとは関係なく粛々として進む。そして、都民にとってはそっちの影響の方が大きいのだ。

それならば、変な政治の論理が入る知事とか議会とかヤメてしまった方がいいだろう。この解決策もやはり市場原理、競争原理だ。住民税をサービスの対価と考えれば、地方行政は充分市場原理の対象になる。はじめに予算ありきでなく、住民から支持されない事業やサービスには予算がつかないようにすればいいだけのことだ。どう考えても、地方自治体は人が多すぎる。これも民間のコスト意識で対応すれば、驚くほど無駄をなくせるだろう。

そもそも地方自治なんて、それ自体民営化してもおかしくはない。教育にしろ、環境にしろ、保健にしろ、類似のサービスは民間でもやっているし、そのほうがサービスよく質が高い。警察や消防だって、警備会社の方がずっときめ細かくサービスよい部分もある。やっていることは、もともと公社や官庁の現業部門に近いのだ。それらの領域では、NTTやJRのようにそれらの組織が民営化してサービスが改善されたり、郵便小包のように民間の類似サービスのとの競争に破れてサービス改善を強いられているモノが多いことを考えれば、あながち荒唐無稽な話ではないだろう。

そもそも江戸時代には、江戸の町は実質的に町人の自治に任されていたという。幕政と直接関わりあることだけは、幕府の役人が介入したが、あとは基本的に町人の自主的な運営で切り回していた。そもそも与力とか江戸中で10人程度しかいなかったというから、介入しようにも無理だ。お上が、庶民の日常の暮らしにいちいち関わるのは、ヤボというモノ。粋好みの江戸っ子には、とても耐えられないモノだったのだろう。

いつも思うのだが、日本文化の日本らしいところは、ほとんど江戸時代の円熟した町民文化、庶民文化によっている。わびサビ、風流を愛するのは、心の豊かな町人ならではの文化。そう考えていけば、お上が介入せず、民間が民間の論理、つまり市場原理で地方自治を行うというのは、いかにも江戸っ子好みの粋で風流なやり方ではないか。江戸前の伝統を今に受け継ぐ東京でこそ、これを実現したいものだ。そしてそれができるぐらい、東京というサービス市場は大きいと思うのだが。

(99/03/12)



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