強いニッチに生きる





高度成長期のマネジメントやマーケティングの教科書をみると、戦略としてトップに追随する「フォロワー」という道があったことがわかる。昔はフォロワー戦略が成り立ったのだ。それは、リーダーが高付加価値戦略を取ることが多く、コピー商品を安く出せばそれなりに市場があったからだ。だから同じ業種に何社もの企業が並立できた。これ自体今となっては信じられない話だが、右肩あがりの時期にはこういう戦略が罷り通った。

このようなフォロワー戦略をとってきたのは、家電におけるソニーや松下に対する総合電機メーカー、自動車におけるトヨタに対する日産・三菱といったところが典型だ。まさに、いわゆる負け組そのものだ。競争原理・市場原理とは、こういう小判鮫的な姑息なマネジメントが通用しなくなること言うこともできる。しかし、人間安易に流れるとバッドサイクルに陥る。未だにこのイージーな発想から抜け出せないヒトも、日本の産業界には多い。

こういう企業戦略が通用したこと自体、市場や時代が甘かったことを示している。在庫の山があっても、在庫処分で叩き売れる余裕があった。それだけボロく儲かっていたともいえるのだが。その分、最初から絞ってかかれば、オリジナリティーがなくても商売ができたということだ。だがリーダーといえどもコストコンシャスにならざるを得ない、市場原理の世の中になると、この論理は通用しない。

つまり、「二番手企業」はありえない世の中ということができる。とはいうモノの、巨額の設備投資を必要とするインフラ事業を除けば、一社総取りといワケにはいかない。こういう市場で、トップ企業以外に生き残れる企業、それがニッチをきっちりとつかんだ企業だ。強いニッチとはどういうことは。それは、「1. 自分の土俵を持っている」「2. 自分の強みを持っている」「3. 自分の顧客を持っている」の3条件をすべてクリアしていること。これが新時代の強いニッチの条件だ。

スケールメリットを追及してゆくと、取りこぼし、喰いこぼしが必然的に出てくるし、そこを追っかけていたのではコスト割れしてしまう。大型の恐竜が闊歩していた時代でも、スケール感の違う小型の哺乳類は、その隙間で上手く居場所を持っていたのは有名な話だ。そういう領域を自分の強みがいきる領分として押さえられる企業が、ニッチ戦略で成功する。ニッチはキワモノというワケではない。

要は、「種目は一つではない」ということ。長距離の王者が短距離で勝てるわけではない。マラソンは陸上競技の華だが、マイナー競技でも金メダルは取れる。どっちで勝っても金メダルには違いない。この発想の転換がニッチでの成功を生む。ニッチとは、似て非なる種目を作って、そこで勝者となることなのだ。

そもそも単純なフォロワーが生き残れるようでは、環境が甘すぎるといわざるを得ない。トップが本気を出していないから、フォロワーの余地がある。真剣に勝負をかければ、フォロワーの居場所はない筈だ。これは市場の側からすると、得られるべき利益やメリットが得られていないことにつながる。こと競争に関しては、弱きを助け、強きを挫くのではだめ。強きを助けて一人勝ちさせ、弱きが別の種目での勝者となりうるように誘導すべきだ。

これは、市場や企業のみならず、一人一人の生きかたにもいえる問題だ。人生自体がフォロワーでは、生きてゆく意味はない。自分だけしかない世界や強みを持たなくては、生きては行けないのだ。しかし自分らしさとは、決して大きさで優劣が決まるものではない。どんな個性でも等しく価値がある。甘やかしてはダメ。55年体制下の野党=革新政党のように、親の脛を齧るがごとく、強いモノにぶるさがるだけては生きてゆけない。一人一人が自分の足で立ち、自己責任で考えて動くようになってこそ、社会は強くなる。


(99/03/26)



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