BSデジタル時代のビジネスモデル





TBSに続き日本テレビも、BSデジタル放送はHDTVの1チャンネルで対応する旨を記者発表した。放送業界らしいといえばらしいのだが、どうにもパッとしない、後ろ向きの選択だ。もちろんインフラのディジタル化による放送新時代といえども、地上波のディジタル化、CS/BSの110度一体化が実現までは、確かに過渡期といえば過渡期。旧来の放送型のビジネスモデルが、まだ通用する時期ではある。だから、当面の選択としてはベストとはいえないものの、アタマから否定すべき選択ともいえないことも確かだ。

だがその選択を評価する場合には、姿勢が問題になる。実は前向きに構えつつ、当面、旧来のシステムで稼げるだけ稼ぐという「振り逃げ策」が明確なら、それはそれで合理性がある。当面の道が後ろ向きの選択といえども、ある種の方便であり、まだ救いがある。だが現状での各局の選択には、旧来の放送=利権、電波=利権型の戦略の臭いが見え隠れする。選択の幅を狭めておいて、高く売ろうという戦略だ。何たる時代錯誤な発想。これでは、何をか今さらだ。もうこんな戦略は通用しないというのに。

BSに対し、基幹メディアとなるという幻想を持つのは自由だ。しかしそれは捕らぬタヌキの皮算用に過ぎない。このWeb内の論文でも何度も言っているように、基幹メディアとしての放送チャンネル数は、現行の地上波ネットワークで尽きている。いくらでも理由はあげられるが、ここでは、基幹メディアのチャンネル数にまだ余裕があるならば、現状のネットワーク間の熾烈な視聴率競争があれば、セット・イン・ユース(総視聴者数)が上がり、低視聴率で打ち切られる番組など存在しないはずだとだけいっておこう。

現状のネットワークの数でも、競争に敗れて低視聴率にあえぎ、途中打ち切りの憂き目にあう番組のなんと多いこと。はっきりいって、死屍累々である。それなりに努力しても、視聴者の眼は厳しい。レーティングを取れないということは、絶対的な視聴者数が限界にあるということ。これは、現状のチャンネル数でもすでに、基幹メディア、マス型放送メディアとしての数はサチっていることを示している。実際地上波でもNHK教育のように、準マスの教養チャンネルとしてみたほうが、そのパワーを正しくつかまえられるチャンネルもある。

そもそもアナログのBSだって、基幹メディアとは言い難い面がある。だからこそ、ニッチとなって地上波とウマく棲み分け、両立しているではないか。NHK総合とBSで、同時に野球の違う試合を中継したり、別のジャンルの歌番組をやったり、という編成が成り立っているのは、両者の性格が違うからだ。同様にWOWOWがマス路線を捨て、マニアにターゲットを絞った編成にしてから、顧客数の伸びは止まったものの、確実に利益を出せる経営に生まれ変わったことも記憶に新しい。ましてや他チャンネル化するBSデジタルである。もっとニッチ化するのは自明だろう。

この問題は、BSデジタルのような新しい「放送」に、利権型、許認可型の旧来の放送型ビジネスモデルを無理に当てはめようとしているところに端を発している。今必要なのは、ディジタル時代ならではの、新しいビジネスモデル。つまり、コストコンシャスによる利益確保モデルだ。ダイナミックなコストコントロールによる利益確保。それは会社経営の「イロハのイ」ではあることも確かだ。「売上>コスト」なら必ず利益は出る。売上がいくら少なかろうと、見込まれる売上に対してコストをそれ以下に押さえれば経営は成り立つということだ。

巨額の設備投資と生産資金を投入する必要があるメーカー型のビジネスでは、コスト弾力性が低く、このように機敏なコスト圧縮は容易なことではない。だからこそ、昨今のようにリストラが企業の死活問題となっている。しかし三次産業、それも放送のようなビジネスは、きわめてコスト弾力性が高い。極端な話、売上にあわせてコストをコントロールすることさえ可能だ。これを実践しているのが、アメリカのプログラムサプライヤーだ。実にコスト意識が高く、利益出しのためのコストダウンに本当にスゴい努力をしている。売上が少なくても、コストセービングにより、きっちり利益を出している。

体面やみてくれをどうこういう時代ではない。安かろう、悪かろうでも、利益の出るビジネスがいいビジネス。コストをウマくコントロールして、確実に利益を残すビジネス。これが、これからのディジタル時代の放送ビジネスの基本となるビジネスモデルだ。民放の収入の基本は広告費にある。今、広告主は効果を買っている。GRPのパーセンテージを買っているのであって、枠を買っているのではない。クズ枠でも、誰かが見ていれば、必ず効果は上がる。視聴者数は少ないが、それ以上に安くて効率が良ければ、広告ニーズはついてくる。

実は、安く、それでいてそこそこ話題性のある番組を作るのは、そんなに難しいことではない。既存の民放局の持つアドバンテージもここにある。すでに償却済みのフッテージがいくらでもある点だ。これを組み合わせれば、ネタはいくらでも生まれる。豊富にある素材の二次利用・三次利用は、アイディア次第でいくらでもふくらむのだ。これは、おいしい商売でこそないかもしれない。だが、人的資源にしても、設備にしても、現状の持ちごまをフル稼働させているわけではない。空いてるスタジオも、スケジュールを押さえられる局アナも、ほっておいてもコストは出ている。充分利益を見込める宝の山を抱えていることを忘れてはならない。

ワイドショーの取材で撮ってきても、使っていないフッテージも多い。それを多用して、一日中24h芸能ワイドというのでもいいではないか。あるいは、人気タレントのマンションの前にカメラをおき、24h張り込んで、リアルタイム写真週刊誌というのもいい。一日中、人気番組のNG集でもいいし、極端な話、スタジオでの収録風景の中継による、24h番宣チャンネルだっていい。ラジオのスタジオにカメラを入れただけのような、生トーク番組もいいだろう。アメリカのように、パーソナリティーがディレクターも兼ねて、その場のノリでフリーフォームに番組を進行させていけば、コストもかからず、中身もリアルタイム性が高まり一挙両得だ。

新たなコストをかけずに、それなりに興味をひくような番組はいくらでも作れるし、テレビなんてそれで充分だ。なにも高い権利金が必要なスポーツ中継など、やらなくてはいけない理由などどこにもない。ばかばかしくてけっこう。くだらなくてけっこう。どうせテレビは暇潰し。コストが安くて、それなりに利益を生むならば、金ばっかりかかって全然利益を生まない良質のコンテンツなんかより、経営上の評価はずっと高い。これがわからず、ハイブローなものにひかれるようでは、経営者として落第だ。だが、そういう経営者のなんとも多いこと。これがもしかすると、放送業界を待ち受けている最大の危機かもしれない。

放送事業は楽でおいしい商売、ではなく、ユニークなアイディアと経営的手腕で利益をひねり出すところが面白い商売。これがこれからの放送のビジネスモデルの基本となる。この発想自体ビジネスの常道といえばそれまでだが、放送といえども、こういう視点がないとやっていけない時代になったということだ。逆にいえば、こういうマネジメント・センス、マーケティング・センスさえあれば、まだまだ充分おいしいビジネスということができるだろう。こんな単純なことに気付かないようだと、放送局が潰れるかどうかは別として、上場企業でもある放送局の幹部は、社外の経営センスあふれる人材にその座を追われることになるのは確実だろう。


(99/06/04)



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