現れよ、新ビジネスモデル





ビジネスマン向けのメディアに氾濫する情報を引用するまでもなく、この世紀末は文字通り変革の時期となっている。特に現代社会をいろいろな面で規定してきた「企業」が、多くの変化を強いられていることは、常識に近いものとなった。企業経営のパラダイムシフト、新たな企業原理の必要性。コトバだけはもう充分に浸透しているといっていいだろう。しかし、発想そのものの転換はまだまだだ。コトバでは問題がわかっていても、どうしていいかわからない。これが実情だろう。

それは、ほとんどの人が旧来のビジネスモデルに拘泥しているからだ。もっといえば、今までとは違うビジネスモデルが有り得ること自体思いもよらない、というのが本音かもしれない。社会の情報化により、人々が量より質に重きを置きだしている。ところが今までの企業では、量の提供しか対応できない。これでは、ビジネスが成り立たなくなるのも当然だ。実は今求められている変革とは、ビジネスモデル自体が新しくなることなのだ。だからこそそこには、新しいビジネスチャンスも潜んでいる。

今ビジネス起こっている変化としては、勝ち組が業種ごとに水平統合して形作られる「メガ・グローバル企業」は、すっかりおなじみになった。強いところが弱いところを呑み込んで、その強みをより確固たるモノにする。これからはまるで、グローバルな超弩級企業だけしか生き残れないような印象さえ受けるマスコミの報道も多い。これが、新しいビジネスモデルだと思っている人も多いだろう。しかしこれは、ビジネスモデルとしては、決して新しくはない。それどころか、旧来の量やスケールを基準としたビジネスモデルの行き着くところでしかない。

たとえば通信の分野では、旧来の国営企業的な独占体の圧倒的な経営資源と体力の前に、新興企業が次々と呑み込まれている。結果的に、もともと大きく強い企業が、その存在感をさらに強めている。これなど、メガ企業が実は古いパラダイムの申し子であることを示している。しかしそれだけに、メガ企業の提供する商品やサービスは、「画一的だが安く」という、価格破壊戦略とならざるをえない。というより、そういう戦略が通じる領域だからこそスケールメリットがモノをいうし、メガ企業のメリットも生まれるといった方がいいだろう。

だからこそ、インフラビジネスのように「あればいい」型の業種では、メガ・グローバル企業だけですべてのニーズに対応できる場合もある。しかしこれは例外的だ。ソフト的、サービス業的なビジネス、コンシューマ相手のビジネスの場合はそうはいかない。今後一層多様化する、千差万別のユーザニーズにはスケールだけでは対応できない。逆に図体が大きすぎると、きめ細かい対応が難しくなる弊害の方が顕著になる。

恐竜の跋扈していた時代、大型の恐竜同士は激しい生存競争をしていた。しかし、図体が大きいだけに喰い残し、喰いこぼしも多い。小型の原始的な哺乳類は、その大きさの違いから恐竜との生存競争に巻き込まれることなく、共存が可能であった。また、それだからこそ、彗星の衝突で食料が減り、大型の恐竜が絶滅したときでも、ウマく生き残ることができた。今起こりつつある企業社会の変化もこれに似たところがある。

かつての大量生産、大量消費の時代の経験から、マスビジネスについてはビジネスモデルが完成している。今まではあらゆる業種、あらゆる領域で、このモデル一本でしのげた。しかし、これからこのモデルが使えるのは一業種一社しかない。それも、基本的には既存の強いところの総取りになる。門外漢がこれをマネしてもはじまらない。それより大事なのは、巨大なマスビジネスの間で、その取りこぼしをがっちりいただき、自分の土俵をきっちり持てる新しいビジネスモデルを作り上げることだ。

新たなビジネスモデルは、新たな発想からしかでてこない。その事実を、音楽ソフトを例に考えてみよう。この数年日本の音楽ソフトでは、100万枚を越えるアルバム売上を記録するメガヒットが続出している。これが音楽業界の基本パターンとなっているかのような感じさえする。しかし、その一方で手堅くファンをつかみ、売上をコンスタントに稼いでいるアーティストも多い。この両者が併存できるのは、全く違うビジネスモデルに基づき、全く違う「商品」として存在しているからだ。

みんなの目がメガヒット狙いにいってしまいがちだが、こういう大振りはビジネスとしてはハイリターンでそれなりにインパクトがあるが、実はそんなにおいしくない。あまりにリスクが多いからだ。結果的にメガヒット、というものはイザ知らず、ソフトをビッグビジネス化すると、それだけリスクは大きくなる。多額な制作費・宣伝費をかけても、コケるモノはコケる。大型だからこそ、コケた時の損失も計り知れない。

それにこういうメガヒット狙いは、作る側からしても余り面白くない。金を出す側の外野のちょっかいが多くて、やりたいことに徹しきれなくなるからだ。実は、数万コンスタントに売り上げるアーティストの方が、当事者のやりたいようにやらせてくれることも多く、製作側は面白い。それと同時に、ビジネスとしてもリスクが少なく、実にカタくておいしいものとなる。資金力をバックにメガヒット狙いもいいが、こういうアーティストを抱えている方が、ビジネスを投資効率、特に実際に生み出した利益の効率から考えれば、ずっとおいしい。

こういう確実な勝ちゲームをマメに拾えないようでは、リスクの落とし穴にハマる。プロのギャンブラーほど、実に固い打ち廻しで、大勝しないモノの、絶対に負けないことで稼いでいる。その反面、素人はすぐ熱くなって自滅する。この手堅いリスクヘッジがプロのワザなのだ。ビジネスでも、一方でメガビジネスが出てくれば出てくるほど、こういう手堅い「読める」ビジネスが拾える土俵が広がってくる。

こういうビジネスは、物量作戦ではどうにもならない。ユーザの心をしっかりつかみ訴えることがカギになる。才能は問われる。センスは問われる。だが、それをきちんと持ち、表現できる人材さえいれば、確実にビジネス化できる。俗にコミケで300億、全部で1000億といわれる同人市場。これは、どんなニューメディアコンテンツより大きい。それどころか、CD6000億、ビデオ4000億、映画興行2000億という実績と比較しても遜色ない。この市場が成立し得るダイナミズムとモチベーションを理解できなくては、これからのビジネスは語れないだろう。

アイディアとセンスがあれば、この領域は実においしい。利益の経済、効率の経済になればなるほど、こういう確実に稼げるビジネスは重要になる。しかし、この領域に関するビジネスモデルはない。近代工業社会のスケール追及の中では、余りかえりみられなかったからだ。どちらかというと、組織より個人レベルで対応してきた領域だからだ。今求められているのは、この領域のビジネスモデルだ。ここに新しいビジネスモデルを打ち立てたモノが、その領域での創業者利得を得られるからだ。


(99/07/02)



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