情報社会はコミュニケーションの時代





この十年ほどは、「KY」が流行語になったり「発達障害」「アスペ」などの用語が日常的に聞かれるようになったりしている。「空気を読む」ことは、日本社会においては昔から社会生活の基本能力とされており、最近になってはじめて特に問題となってきたものではない。しかしこれが21世紀になって大きな問題となってきた裏には、社会構造の変化に裏付けられたいくつかの理由が考えられる。

まず第一の理由としては、伝統的なフェイス・トゥー・フェイスのコミュニケーション以上に、コンピュータやネットワークを使ったコミュニケーションが多くなってきたことがある。1980年代から「パソコン通信」をやっていた人は、当時から「困ったチャン」と呼ばれたコミュニケーションが取れない人達が一定数いたことを覚えているだろう。相手のことを全く考えずに、自分勝手な話を独善的な論理で一方的に押し付けてくる人達だ。

直接的にはコンピュータに向かってコミュニケーションしているわけだが、実際にはそのコミュニケーションはネットワークの向こう側にいる「人」を相手にしている。もともと対人コミュニケーションが不得意な人は、直接人間を相手にすると引っ込み思案になって黙り込んでしまうことが多い。それにより相手との間で起こる可能性のあるトラブルは、自動的に未然に防がれることになる。フェイス・トゥー・フェイスのコミュニケーションでは、この機能が程よく働いていた。

ところが、こういう対人コミュニケーションが不得意な人ほど、コンピュータに向かってコミュニケーションしていると、あたかもAIと対話しているような気持ちになり、その向こう側に生身の人間がいることを忘れがちである。BlogでもSNSでもなんでもいいが、だれでも端末を操作できれば、自由に書き込むことができる。物理的に書き込めることと、書き込みの内容が是認されることは全く違うのだが、こういう輩はこの違いがわからない。

かくして、相手が見たら腹を立てたり感情を害したりするようなことも、物理的に書けるというだけで発言内容が許されたと勘違いしてしまう。たとえそう思っていたとしても、それを人前で言うことが憚られるような差別的な発言が、公然と、それも直接相手に向かって語られるようになったのも同じメカニズムである。コミュニケーションが不得意な人をコンピュータとネットワークの前に座らせるのは、殺人者に銃を渡すようなものなのだ。

次の理由としては、社会構造・経済構造が変化したため人に会わずに「押し込んでおける」作業が減ってしまった点があげられる。昔はホワイトカラーが行う情報処理をはじめ、職人による手工業的な加工など、人海戦術で行わなくてはならない作業がたくさんあった。これらの仕事では、まさに人間が機械と同様、黙々と定型作業を繰り返していた。このような職場では対人コミュニケーションはほとんど必要とされなかった。

このような仕事が多かった分、対人コミュニケーションが苦手な人も、ほとんどコミュニケーションをとらないまま仕事をし生活することができた。「無口でガンコな職人」も、腕さえ確かなら次々と仕事があり生活することができたのだ。だが20世紀後半に入ると、それらの作業は次々と機械化・コンピュータ化されていった。「無口でガンコな職人」は「しゃべらないが素直にプログラム通り動くNC加工機」に置き換えられてしまった。

こうなるとコミュニケーションが苦手な人を人に触れないまま「押し込んでおける」場がどんどん減っていってしまう。その一方で、仕事の口は機械で置き換えがたい「人に対する臨機応変なコミュニケーション」に関わる部分に集中していくことになる。このため、他人の目にさらされるところにこういう人達も大挙して出てこざるを得なくなった。その分、全体としての人数はかわらなくても、非常に目立つことになり問題化してきたのだ。

最後の理由としては、偏差値主義が浸透し、試験で高い点数さえ取れば人間力が低くてもそれなりに評価されてしまう点があげられる。少なくとも入試や学校のテストにおいては、人間力の評価というのはない。あくまでも学力の評価だけである。困ったことに、コミュニケーションが不得意な人の一定部分は極めて勉強が大好きという特徴を持っている。勉強は一人で籠ってできる一方で、その成果が手に取るようにわかるからだ。

彼らはこだわりを持った対象には、熱烈に没入してしまうという特徴がある。オタク趣味がそのいい例であろう。このため彼らの中の一定数は「勉強オタク」と化し、極めていい点数を取りまくるようになる。このようなタイプは昔から「ガリ勉」と呼ばれ、それなりに存在していた。しかし「変り者」として、周りの方がちょっと距離をおいて扱っていたのも確かだ。このためそのまま社会に出ることなく大学院に進み研究者となり、漫画に出てくる「マッド・サイエンティスト」のネタとなったりしたものだ。

しかし社会全体が偏差値評価を基準とするようになると、こういう人達もその偏差値の高さゆえに社会に出てきてしまうようになった。そして、それなりに人目に付くポジションに就くようになった。こうなるともともと人目に付くところにいる上に、人間関係からトラブルを起こすことでさらに目立つようになる。数的には少数派かもしれないが、こういう人達はその存在感から、目立ち方もひとしおなので社会的影響力は甚大である。

こうやって見て行くと理解できるが、コミュニケーションが不得意な人間にどう対応するかという問題は、産業社会から情報社会に変化していく中で起こっている構造的問題である。この変化はパラダイムシフトであり、従来の考え方の延長上では解決できない。情報社会では、知識ではなく人間力が人を評価する基本となる。次の時代に向かって最適化した社会を構築するためには、こういう問題があることを認識し、それに対し社会的に対応して解決することが必要なのである。


(18/04/13)

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