ハラスメントが尽きぬ理由(ワケ)





世の中が世知辛くなったせいか、このところセクハラ・パワハラなどハラスメントの問題が、いろいろな場面で大きく取り上げられるようになっている。右肩上がりで景気のいい時は自制心が働き、ちょっとヤバそうな発言や行動を控えることができても、余裕がなくなると考える一呼吸がとれず、即アウトをやらかしてしまうことが多い。そういうこともあって、このところ事件が多いのであろう。

ハラスメントは関係性の問題なので、グレーゾーンがかなり存在する。本当は「真っ白以外は全部クロ」というぐらいの捉え方をすべきなのだろうが、なかなかそうもいかない。ダメと書いてないことは全部OKという「官僚の法治主義」よろしく、「真っ黒意外は全部シロ」と思っている人が余りに多いからだ。これこそがハラスメントが蔓延する理由なのだが、大きく分けてその原因は2つある。

まず最初の原因は、セクハラにしろパワハラにしろ、加害者の側は圧倒的に男性であることと縁が深い。もちろん女性が加害者になることも多いのだが、その場合はセクシャリティーとしては女性であっても、価値観や行動は「オヤジ」そのもの、すなわち社会的ジェンダーとしては男性化していることがほとんどである。つまり、日本社会においてはハラスメントとは男性が引き起こす問題なのだ。

それはハラスメントが、人間の関係性の問題であることと密接な関係がある。異性へのキスは恋人同士なら愛情の確認だが、見ず知らずの相手にやるのは、セクハラも大セクハラの痴漢行為である。相手との関係性や状況をきちんと把握し、そこで問題とならない範囲で行動する分にはハラスメントは起きない。逆に、相手との関係性をウマく把握したり構築したりできないからこそ、ハラスメントになるのである。

そう、ハラスメントとはコミュニケーション障害が引き起こす犯罪なのだ。そしてこのコーナーでも何度も論じているが、日本の男性には極めてコミュニケーション障害を持っているヒトが多い。コミュニケーション障害の方が多いといっても良いだろう。昔多かった「無口で無骨な職人気質の男」など、コミュ障の典型である。昔「男は黙ってサッポロビール」などというコピーがあったが、これでは犯罪者予備軍ではないか。

結局「男性社会」というのも、発達障害・コミュニケーション障害を持った男性同士が、競争や苦労することなく甘え合って生きていくために「開発」されたものである。しかし、いくらそちらの方が数が多いからといっても、他人に迷惑をかけることが許されるワケではない。思想信条の自由・言論の自由は、他人に価値観を押し付けたり、迷惑をかけたりしないことが前提である。この「コミュ障男性の甘え」が、ハラスメントのタマゴを生み出す。

そしてもう一つの原因といえるのが、ハラスメントを増長させる「人間の性(サガ)」だ。ハラスメントを行うモチベーションは、イジメ・差別とよく似ている。というより、同じ人間の性に基づいている。相手に対する妬みと、なんとか相手を蹴落として自分が成り上がろうという強欲である。だからこそ、最下層の似た者同士の間でイジメや差別が最も深刻になるのと同様、生活に余裕がなくなればなくなるほど、ハラスメントも陰湿で深刻なものになってくる。

であるのなら、これはイジメ・差別と同じく「人間の業」として捉えなくてはならない。この世に生まれた以上、背負ってしまって消えない刺青なのだ。そうである以上、ハラスメント対策も、イジメ・差別対策と同様、禁止、罰則でいくら縛っても意味がない。業である以上やめようにもやめられず、かえって地下に潜って悪質になるだけである。ここで真のハラスメント対策のあるべき姿が見えてくる。

性善説に立って「悪いことだからヤメよう」では無意味なのだ。性悪説に立って「必ずやってしまうことを、どうやって無力化するか」にしなくては、解決策とならない。ヒトは必ず、イジメたがるし、差別したがるし、ハラスメントしたがる。これを前提に、どうやったら「被害を防ぐ」ことができるかを設計しなくては、有効な対策を生み出すことはできない。

それはなにより周囲の目である。「やってはいけない」ではなく、「やってもいいけど恥ずかしいよ」なのだ。ここに持ち込まなくてはいけない。コミュ障には暗黙の了解はなし、自制の精神もない。明示的に「それはアウトだよ」という周囲のメッセージが明確に伝わってはじめて行動が止まる。やりたいけどみんなの目が光っていると、大手を振ってできなくなる。こういう社会環境を作るのが一番いい。

「何でもあり」だけど、それを選んじゃうのは皆から馬鹿にされるよ。世捨て人になって、その道に人生賭けるなら勝手にやって。ただ、みんな白い目で見るよ。ハラスメントする人は差別されるよ。まさに目には目を、毒を以て毒を制すであるが、これが大事なのである。喫煙者をあれだけ肩身の狭い思いに追い込んだ日本社会である。このぐらいのことは、やろうと思えば朝飯前だろう。

ただ一つ問題があるとするならば、ここに持ち込むためには、唯一の正しさがありそれ以外は禁止という一神教原理主義ではなく、ひとまずはなんでも自由に選べるよとしておいて、その選んだ結果に責任を取らせるようにしなくてはならない点である。日本人は八百万の神の国でありながら、「正義は唯一の一神教」的なメンタリティーの人が多すぎる。イジメも差別もハラスメントも、結局はこの「多様性を許さない」精神が根本的な原因ということもできるだろう。こりゃアカンわ。


(18/08/10)

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