自浄作用は競争原理から





相撲、女子レスリング、アメフト、アマチュアボクシング。スポーツ界ではこの数年、不祥事が続いている。そのどれもが、運営組織が特権化・利権化することで腐敗し、自浄作用が働かなくなって引き起こされている。特にトップに立つ人間が、本来の競技の振興や発展よりも、利権構造を守ることの方をあらわに優先し出しているところから問題が大きくなっている。

一方教育行政においては、もともと学校自体が一大利権構造であるがゆえに、文科省自体が腐敗しきっていることが誰の目にも明らかになった。そのスピンオフ・ストーリーともいうべき東京医大の女子差別問題や、その背景にある附属病院の旧態依然とした労働環境、補助金頼みの大学運営など、芋づる式に浮かび上がってきた。これもまた同じような組織と利権の隙間から浮かび上がってきた問題である。

これらの問題は、「長」となった特定の人物の罪に帰されるべきものではない。少なくとも周りのメンバーを暴力で脅して、力づくで権力を握ったわけではない。それどころか、皆が甘い汁を吸い合える利権構造をベースとして、その総意の象徴として地位を手に入れている。執行部で運営に責任を持っている人間は同じ穴の貉であり、全員が「有罪」なのである。特定の個人の罪を問うたところで、また同じようなリーダーが出て来てしまう。

組織や運営自体が伏魔殿で不透明だからこそ、こういう不祥事は起きるのである。日本人である以上、ブラックボックスにすれば必ず利権に群がるし、自分達だけがおいしい目にありつけるような仕組みを構築してしまうのだ。根本的に不祥事が起きる原因を抜本的に解決しようとするなら、これまた性悪説に立ち、「人は利権を作りそこに群がるもの」であることを前提とした防止策を検討する必要がある。

防止策はなにも改善策である必要はない。悪いことをやったヤツは、その所業が誰にも明らかになり、皆からシカトされるという「天誅」が下されればすむ。そいつが改心したり、組織の風通しをよくする必要はない。このためには、事実が知られればそれだけでいい。 選ぶ方が自由に選べる仕組みさえできていれば、単に選ぶ方が決める問題になる。困ったヤツ、ヤバいヤツは選ばなければいいというだけのことなのだ。

このためには、社会に市場原理が貫徹していることが前提になる。常に競争原理が働けば、そういうヒドいところは競争に負けて客足が遠のき、その存在すら危うくなってしまう。こうなれば兵糧責めである。自然に淘汰されるのだ。保護や許認可で権益化しているから、競争原理が働かず腐敗するのだ。相撲協会然り、ボクシング協会然り。そして悪名高きJASRAC然り。問題は特権的な独占体制が守られているところにある。

だからこそ、市場原理が大切なのだ。ユーザーが付くか付かないか。お客さまからそっぽを向かれたら、すぐにその組織は立ち行かなくなる。今お客さまが多くても、明日もお客が来てくれるかどうかはわからない。努力を怠れば、盛者必衰である。ひとたび敗者になれば、即退場を強いられる。退場させられないためには、自助努力を続けなくてはならない。これこそが市場原理である。

このように健全な市場原理が成り立つためには、プレイヤーに対しては入口に差別が一切無く、ユーザーに対してはプレイヤーの全てがディスクロージャされていることが前提になる。この二つの条件が満たされているなら、誰も隠れて悪いことをし、利権を独占することはできなくなる。ダメなヤツに改心することを期待しても無駄である。甘い汁を吸いたがるヤツはのたれ死ぬ。不祥事が起こる世の中を変えたいのなら、このような社会システムを構築することが大切なのだ。


(18/08/17)

(c)2018 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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