霞ヶ関を粛清せよ





厚生労働省の勤労統計の不正問題で、この数年繰り返されていた中央官庁における不正や偽装に対して、ついに国民の堪忍袋の緒が切れた感がある。官僚は誤魔化すもの。官庁とよく仕事をしている人にとっては、そんなことは何十年も前から百も承知である。しかし、官庁自体がディスクロージャーの対極にある秘密主義の伏魔殿なため、余り関わりのない人達からは「何をやっているのか良くわからないが、きちんとやっているのだろう」と思われてきたのも確かだ。

そういう秘密主義は、世の中の情報流通が非対称的だった時代だったから成り立ったことである。21世紀に入り産業社会から情報社会へと移行すると、いろいろなところでパラダイムシフトが引き起こされた。「国民のほうにいい顔さえ見せておけば裏で何をやろうとバレることはない」と国民を見下していた官僚達は、社会の情報化の進展とともに見えるはずがないと信じていた「裏側」ものぞき見れるようになっていたことなど、予想さえもしなかったことだろう。

なにも官僚システムが全て悪だと言っているわけではない。これはいつも言っていることだが、日本がまだ貧しい発展途上国だった時期においては、民間においては資金も経営資源も乏しく、限られたリソースを傾斜生産方式のように効率的に集中して活用する必要があった。こういう時代においては官主導で公共投資も投入して計画経済的に産業振興を図る方が成長に結びつく。実際、戦後の経済荒廃からの復興や、高度経済成長の達成においては、官主導が機能したことも確かだ。

しかし、それが有効だったのは日本が「追いつく」までの時代である。高度成長の結果、1970年代に入り日本が経済大国の仲間入りをする頃には、グローバルな資本市場ができ、民間でも巨額な資金の調達が可能になった。70年代を通して、鉄道・道路・港湾といった大規模なインフラさえ、公共投資ではなく民間の純商業ベースの事業としても行える時代になった。それまで官庁が果たしていた大きな役割の一つは、ここで失われることになる。

だが組織というのは、一旦出来上がってしまうと「組織の維持・拡大」自体が、組織の目的となってしまう。特に責任が集中する特定のリーダーがいない組織ほど、「止めることができない組織」となってしまう。無責任システムの権化といえる日本の官庁組織は、自分達の存在意義がなくなったからといって、自分達の組織自体を縮小したり廃止したりする決定ができるわけがない。

この状態が1980年代以降続くわけである。もはや官庁は税金をバラ撒き、その中でおいしい天下りの椅子をなるべく多く作りだして自分達の利権とすることが目的となってしまった。それから30年たつと、官庁の職員全員がそういうマインドになってからの人ばかりになってしまう。それが2010年代になってから、官庁の劣化が露呈し出した理由である。それだけではない。80年代以降、そもそも質の高い人材は霞ヶ関を目指さなくなっていた。

これは偏差値教育が行き渡り、自分の夢やビジョンに基づき人生を設計するのではなく、偏差値の高い人ほど偏差値に合わせて進路を選ぶようになってしまったことによる。理系では医師への適正や、人を救おうという使命感とは関係なく、単に自分の偏差値が高かったからというだけで医学部を選ぶ学生が増え出した。この結果、本当に士気の高い人材が必要な現場ほど敬遠されるようになり、医師不足や勤務時間の増加によるブラック職場化が起こっている。

同じように、文系では単にテストの点がいいというだけの人ほど官僚になるようになった。もちろん偏差値が高い学生の中にも、それなりに質の高い人材はいるであろう。しかし、そういう人材は自分のアイデンティティーが偏差値ではない。したがって、偏差値で仕事を選ぶという発想はしない。結果的にこれまた試験の成績だけで勝負できる官僚には、点を取ることにしか自分らしさを発見できないような連中が集まることになる。

世間知らずな反面、点を取ることにオプティマイズすることしかできない官僚たちが、入省後は利権作りや天下りの椅子作りに邁進する構図も、こう考えてゆくと良くわかる。そこで点数を稼ぐと、出世が見えてくる仕組みになっている以上、善悪の価値判断が入る余地もなく、必死に点数を稼いでしまうのが彼らの性だからだ。各省庁間、省庁内の派閥間でそれを競い合うことで、ある意味このメカニズムは自己増殖的なものとなる。

この構造が顕わになってしまったのだ。もはや誤魔化しは効かない。実際輿論調査を見れば、官僚自体の信頼度が地に落ちているのがすぐにわかる。もはやいらないのだ。「大きな政府」とは「官僚の、官僚による、官僚のための政府」である。バラ撒きがなければ、財政の破綻もなくなる。「安部No!」などというたわごとを言っている時代ではない。「官僚No!」「秀才No!」と叫ぶことこそ、日本を救う道なのである。


(19/01/25)

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