「子供を育てる」ということ


どんな時代でも、子供の教育についてはその時代なりに問題になる。特に、時代が変化し、価値観が変化する時期においては、旧来の教育のあり方が破綻をきたす一方、それに変わる新しいシステムが確立していない分、シリアスな問題になりやすい。しかし変わらない本質はある。それは子供の教育の本質が、人格を確立すること、きちんとした個性を持たせることにあるという点だ。今の教育問題は、どちらかというと、この教育の原点を20世紀の教育システムが見失っていたことから引き起こされている。知識は教育の本質ではない。それは知識が人間の本質ではないからだ。

実は、今起こっている教育問題は、親や教師が人間として半端であるがゆえに起こっている問題だ。自分を持っていない人。自分の個性を見失っている人。そういう人達では、子供に人格を確立すること、きちんとした個性を持たせることができるワケがない。これでは、子供にいちばん大事なことを教えられない。高度成長期に大量に生み出された、人格も個性も持ち得なかった人々。こういう人達はこれからの時代に対応できないのみならず、これからの次代を担う子供たちを教育することもできない。

卑近な例で申し訳ないが、筆者には一歳の赤ん坊がいる。意味ある単語、意味ない発音等々、いろいろしゃべり出すようになっている。これをよく聞いて気がついたのだが、赤ん坊はrの音も、lの音も発音し分けることができている。raと言うときもあるし、laというときもある。これは聞く方が聞き分けられるからわかるのであって、聞き分けられなければ、きっと赤ん坊は区別しなくなる。日本人はrとlを区別できないのではなく、もともと区別できる能力をもっていたのが、区別できない親に育てられるとそれを失ってしまうということなのだ。これなどまさに、育てる側、教える側の器の大きさが、子供の器を決めてしまういい例だろう。

学校制度も問題だ。もともと近代教育制度は、人間を磨くためのものではない。そこが近世以前の教育と大きく違うところだ。そういうシステムが百年以上続き、世の中が変化から安定へとかわることで、大きな勘違いが起こった。学校が人間教育の場と勘違いされるようになったのだ。しかし70年代以降、いちばんアイデンティティーのない人間が教師になっている。心ある人、教育の志に燃える人はかえって自分で塾をはじめるいっぽう、寄らば大樹の陰という、心の貧しい、感受性のないヒトが教師になった。そういう教師たちが、心の豊かな子供たちを育てられるわけがない。

広告業界で語られるコトバに、夢を見られない人間は、人々に夢を与えられないというものがある。人間、自分が発想の基本になるのは当たり前。自分の見たことも聞いたこともない世界のことなど、考えがおよぶワケがない。個性を持っていない人間は、子供の個性を育てられるわけがないのだ。このように教育の問題は、子供の問題ではない。時代の変化についていけなくなり、もうごまかしの効かなくなった親達、教師たちの意識改革の問題だ。そういう意味では、近代社会が制度疲労し、社会全体のシステム自体のパラダイムシフトが求められている今こそ、答は出しやすい。

よく言われるが、いい学校でて、いい会社に入っても、そこから先が競争だ。確かに社内失業者になっても、いわゆる窓際として抱えていることができた時代もあった。そういう時代でも、企業を引っ張っているのは、個性を持ち付加価値を生み出せる人間だった。そういう人材がいたからこそ、パラダイムシフトの中でも企業は生き残っている。しかし、そういう時代でも窓際になるためにいい会社にはいるというのは、どこかおかしい。「いい学校、いい会社に入る」のが目的とは、たかだかそういうことだ。そのレベルの認識しかできない人なら、これは子供がそだれられなくても仕方がないだろう。

子供を叱るかどうかの問題も同じだ。アプリオリに叱ることがいけないのではない。筋が通っていて、きちんと叱るのなら教育効果は高い。少なくとも昔はそのやり方で立派な人格者が育っていた。そのポイントは親や教育者の側にある。自分の信念、生きかたがしっかりしていれば、筋は通るし、メッセージも伝わる。そういう人からなら、もしひっぱたかれたとしたも、子供は自分がなぜ叩かれたか伝わる。これは自分を持たず、常に居場所がぶれている人では無理な話だ。もっともそういう人は、そもそも自分のストレス解消のために叱ることになりがちなのだろうが。

この構造変革期にあたり、リストラが社会的テーマとなっている。確かに、今までの利権や手連手管は通じなくなった。しかし、そういう御為ごかしなワザが通じる世の中の方がおかしかったのだ。通じなくなったからこそ、正攻法に変える。これは自分が生まれ変わるチャンスと認識すべき状況だ。子供に勉強しろ、知識をつけろと言うのなら、自分に心を磨け、人間らしさを持てと言う方が先だろう。自分を変える努力をせず、子供にあわよくばと期待してもはじまらない。バッドサイクルをグッドサイクルに変えるチャンス、それは自ら努力することによってしか得られないのだ。


(99/09/10)



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