一元論から多元論へ




日本が国際化するときの最大のボトルネック。それは、日本人が気付かないまま縛られている「一元論」の呪いではないだろうか。日本人の行動を束縛し、日本人の発想を狭め、日本人の可能性自体を狭めている一元論の呪縛から、どう逃げ出すのか。かつてはこの一元論の幻想が、プラスの効果を生んだこともあった。しかし、今やその弊害の方が目に付く。たとえばジャパニーズウェイと、グローバルスタンダードは対立するものではない。両立させてこそ競争力を生むのだ。しかし、これを対立と考えてしまうところから問題が起こる。

そもそもグローバルスタンダードは多元論なのだ。一元論に固執している限り、グローバルにはなり得ない。アメリカでもWASP層の本音はさておき、実社会においては、多元性を無視して生きてゆくことはできない。だから前にも触れたことがあるが、アメリカ人は必ずしも相手とコミュニケーションが「最初から取れる」ことを前提に会話を進めない。そういう意味では、日本人が語学が下手という問題も、同じように一元論にとらわれすぎているから。大事なのは語学の良し悪しでなく、コミュニケーションが取れたかどうかということ。これは、自分と相手が違うことがわかってはじめて理解できることだ。

この矛盾の原点は、どうやら日本が単一民族であるという虚構にある。単一民族説は、単一民族でないがゆえに自然にまとまり得ない人々を、人為的にまとめたかった為政者によって生み出された人為的なものである。こういう「まやかし」を信じ込ませるために、「一元論」が国民的議論の基調となった。そういう意味では、国際化とは、「単一民族の幻想からどうやって抜け出すか」というプロセスとも考えることができる。しかし、単一民族を信じるメリットなどどこにもないのだから、そんなにこだわることでもないだろう。今でも、自分が見た通りに感じることができれば、そんなまやかし、すぐ化けの皮が剥げる。

個人的な話で恐縮だが、ぼくのルーツは、父方も母方も三代さかのぼれば、本州の最西端から北九州と、玄海灘の波の音が聞こえてきそうな地域にかたまっている。そういう人間からすれば、たとえば青森や鹿児島のネイティブな人達は、異人種とまではいわないが、とても血のつながった親戚とは思えない。これは、良い悪いでも、好き嫌いでもない。「直感的に違う」のだ。こういうことをいうと、単なる違いとは思わず、すぐどっちが上か下かという見方になること自体、一元論の悪弊といえる。差別的になるのも、一元論ゆえといえないこともない。

多分欧米のヒトが彼の地で、ぼくとそういう地域のヒトが並んで歩いているのを見ても、アジア系の人達だというくくりでは考えても、すぐには同じ国籍とは思うまい。逆に自分自身、韓国のある地域の人達の方に、土俗的な習慣も含めて、ずっと血の近さを感じるのも、まんざら訳無いことではなかろう。そもそも一元論なんて、このレベルの話なのだ。江戸時代には、もっと「国」ごとの違いがきちんと認識されていた。そしてそれが多様な文化を生み出す源となっていたことを忘れてはいけない。

日本社会自体が世界の一部分である以上、好むと好まざるとに関わらず社会の多元化は事実上進んでいる。それを素直に受け入れて多元的な価値観を理解するか。それとのかたくなに一元論にこだわるか。この姿勢の差が、日本国内においても重要な問題になりつつある。変化に対応するためには、国内においても多元的な価値観を持つことが求められている。実際日本企業でも活力のある会社、日本人でも活躍している人間は、すでに一元論からすっかり抜け出している。その反面、ここから抜け出せないばかりに、バッドサイクルにハマり、泥沼にどんどんはまっていく事例もいくらでもある。

負け組企業でよく見られる企業内の対立も、これが原因だ。営業・マーケティング部門と、生産・開発部門が意見対立し、互いにゆずらないという事例はよく見られる。これもよく原因を探ってみると、その企業の中でどっちの部門が「上」で、イニシアチブをとるのかという対立に行き着く。元来、こういう部門の差は、プロフェッショナリティー、スペシャリティーの差であって、どっちが偉いという問題ではないはずだ。だからこそ違う部門になっているはずなのだが、いざ一つの社内に入ると、意味のない一元論にとらわれ、自分達を一つの軸の上で比べようとする。

その結果、互いの足を引っ張りあう結果となり、企業の活力自体をそぐ結果となることが多い。大いなる無駄としかいいようがない。こういうつまらない考えに固執さえしなければ、企業としての総合力を発揮できたかもしれないものを、みすみす無駄にしているとしかいいようがない。日本の組織は、それぞれの強みを生かした「コラボレーション」をするのがとてもヘタだ。こういう連携プレイができないのも、一元論を引きずって、すぐに背比べを始めるからだ。企業の中で、社員の出身部門によって妙な「派閥意識」が生じてしまうのも、理由は同じだ。

しかし派閥といえば、55年体制下での自民党の派閥は、実はこの逆の例だ。確かに派閥政治には負の側面も多い。しかし、より多様なオピニオンを併存し、それをウマく吸収するシステムとしては、実は自民党の派閥はかなりウマく行っていたのではないか。よく知られているように、55年体制下の自民党には、ごりごりの復古主義・軍国主義的なオピニオンの持ち主から、当時の労組系の左翼政党よりずっとリベラルで革新的なオピニオンの持ち主まで、政界全体を包み込むような多様な政治スタンスを呑み込んでいた。

普通の日本的組織では、これをウマくまとめることができずに終わってしまう。しかしある種の政治的な利権の下、それぞれのオピニオンのいいところを取り入れつつ運用するという意味では、派閥は成功していたということができるだろう。いわば、一つの政党内に複数政党制がビルトインされているようなものだ。そういう視点から見れば、いかにも日本的な組織の最右翼といえる組織でも、多元論と組織目標の両立はできたのだ。決して日本人や日本の組織でそれが不可能ではないことを示しただけでも価値があるのではないか。

そういう意味では、これもまた心一つの持ちようだ。この状態は、はっきりいってどうでもいいような、意味のない呪縛にとらわれているだけ。ある種のマインドコントロールに縛られているようなもの。抜け出そうと思えば、抜け出せる。しかし、そこから抜け出すためには、自分の意思の力を発揮するしかない。得体のしれない「暗黙の了解」に安住せず、きちんと自分で自分の考えをもつこと。結局それ自体が、一人一人のグローバリゼーションにつながっているのはいうまでもないのだが。


(99/10/22)



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