サブカルの危機




10年代の後半以来、インターネットの普及が極めて進むと、それまでの「メジャーのレガシーメディア vs. マイナーなインタラクティブメディア」という構図が崩れ、どちらもインフラとしてはさほど変わらないユニバーサルなサービスとなった。それとともに、どちらかというとサブカル的なものが多く跋扈していたインタラクティブメディアが変質し、アンダーグラウンドが端に追いやられ、オーバーグラウンド中心の世界になってしまった。

インターネットが普及化し世の中の大多数が繋がっている現代では、ネットこそが最もメジャーでベタなものとなってきた。レガシーメディアは、逆にシニア層など一部の(数こそ多いが)階層の占有物となってきたということができる。ある意味それはいいことでもある。その一方で、ネットで流行ることと、マスで流行ることが同値になってしまったのだ。ロングテールがこよなく愛する世界は、ネットでも主流ではなくなってしまった。

ネットもショートヘッドを狙う人達が跋扈する世界になり、「爆発的ヒット」かどうかで評価される世界になってしまった。それとともに、ユーチューバーがお笑い芸人の主要な登竜門となったように、スターの才能を持った人間が、業界人のオーディションというバイアスの掛ったプロセスではなく、直接マスの人気を得ることで才覚を表すことができるようになった。逆にかつてインターネット的世界を代表していたマイナーでマニアックなネタは、ネット界でも居場所が狭くなっている。

それどころかビジネスモデルも変化した。ことビジネスモデルに関しては、レガシーマスメディア対インタラクティブメディアという構図は最初から成り立っていなかった。あるのは「テレビ型広告モデル」と「映画型有料モデル」という違いだけだったのだが、既存メディアが垂直統合型の事業戦略を取っていたがために、インフラ自体が対立しているように捉えがちだった。

しかし、実は対立していたのは垂直統合型か水平統合型かという点だけで、使用するインフラではなかった。筆者はこの点に関して、当時「ニューメディア」と呼ばれていた1980年代末から指摘してきた。このコーナーでも、初期の論説においては多くこの問題を指摘している。さすがにスマホの普及によりインターネット個人普及率が100%に近くなると、より多くの人にこの構造が理解されるようになり、一気に変化が進んだ。

完全にメジャーな無料系のものはもちろん、もともと課金しやすくクローズドな配信を管理しやすいということから、有料コンテンツ系の配信も、1980年代から90年代にかけては欧米で一世を風靡していたCS・BSといった電波によるものから、インターネットプロトコルによるパケットでの配信が中心になった。この方が、全世界をターゲットにした効率の良いビジネスモデルを組めるというメリットもある。

ネットフリックスのように、大きな資金をもち、それなりの視聴者数を獲得できるプラットフォームは、自らオリジナルコンテンツ制作に進出し、ファーストランを有料ネット配信でリクープするビジネスモデルも定着した。これはある意味、製作から興行まで垂直統合することで(一定の観客動員が安定して図れれば)リスクヘッジがかかるという、かつての「プログラム・ムービー」の再来ということもできよう。

まさに有料放送ならば、広告放送よりは一桁少ない動員で基本的な採算が取れるし、ネット配信の方がかかる固定コストも少ない。同程度の動員を図っていた劇場での興行と比べても、事業者が取るべきリスクはさておき(興行の場合、全体のリスクは大きいが、リスクのかなりの部分を興行主に転嫁できる)観客に届けるコストという面では、ネット有料放送は極めて有利になる。

また、かつてのようなペイ・パー・ビューではなく、現在の有料配信では定額サブスクリプションが課金の基本になっているため、いわゆる「0円感覚」でどれだか支払っているかという意識がなくなり、結果的に配信者側が有利になる点も見逃せない(「食べ放題」と同じで、ある程度満足すればそれ以上無理しても見ようという暇人はごく少数であり、価格設定を間違えなければ、実は定額分も消費していないユーザの方が多くなる)。

もちろん街に表通りと裏通りがあるし、経済にも表の経済と裏のアンダーグラウンドな経済があるように、ネットのコミュニティーにも表と裏、ショートヘッドとロングテールが併存している。とはいえ、一般の人にとってネットはマスを狙うものとなった。これは、ロングテールで生きる人たちにとっては、かなり深刻な問題である。自分達の人かなコミュニティーをインタラクティブ世界のどこかにわざわざ構築しないと、表に見えてしまうからだ。

どんな時代でも、裏世界のディープな趣味に浸るコアなファンは存在する。そして、そういう人たちが集う場というのは必ず生まれる。インタラクティブの主流が「表」の世界となってしまった今だからこそ、そのような真の意味でのサブカル・コミュニティーがインタラクティブ世界上に生まれる必要がある。そしてそこはクローズドでありさえすれば、かなりアウトローなモノでも問題は起きない。

かつて70年代に、メジャーの座をテレビに奪われたラジオが、当時興隆しつつあった若者層のサブカルと結びつくことで、アンダーグラウンドなメディアとして人気を博したことがあった。同様に雑誌は、マスを狙う総合誌から、セグメントしたコアなターゲット別の誌面作りにシフトすることで、80年代にはファッションなどエッジなカルチャーの推進役となった。逆にインターネットの時代は、世界で100人ぐらいしか同好の士がいないような余りに濃すぎる趣味であっても、その場を作り一同に会することが可能なのだ。

このように、数を競うメディアではなく、同人コミュニティーのようなカタチで、インターネットの仕組みは使っていても誰もがアクセスできる仕組みではないスタイルで、アンダーグラウンドは存続してゆくのであろう。インターネット上で同好の士だけが集まるサーバを作ることは、今ではコスト的にも技術的にも極めて敷居が低い。それならば、もう一度パソコン通信のようなコアでディープなクローズドな世界を作るのも悪くない。今時代はそこまで来ているのだ。



(20/05/29)

(c)2020 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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