宗教改革の功罪





私はかねてから、西欧の人達の二元論的な正義の押し付けに対して疑問を投げかけてきた。そしてその構造的問題のルーツが一神教にあることを指摘してきた。しかし、改めて一神教を生み出した流れであるアブラハム宗教の歴史を振り返ってみることにより、新たな問題点を発見した。伝統的に一神教には一神教であるがゆえのセーフネットが組み込まれており、それが千年以上にわたる平和共存を担保してきた。しかし、それを根底的に組み替えてしまったものがある。それが宗教改革だ。

宗教改革により生まれたプロテスタントには2001年の時点で全世界238か国に3万3千の教団教派があり、それ以降も年間300近く増え続けている。教団や教派が非常に多く、その全貌すら正確には把握できないのがプロテスタントの特徴なのだ。カトリックはカトリック、ギリシャ正教はギリシャ正教、ロシア正教はロシア正教と、キリスト教の中でも鉄の団結を誇る宗派があるにもかかわらず、キリスト教の中でもプロテスタントだけがここまで多くの教団教派に分かれ、今も分かれ続けているところに問題が潜んでいる。

その理由を探るには、まずプロテスタントのルーツともいえる宗教改革とは何だったかを知ることが必要だ。16世紀前半に起こった宗教改革とは、中世のカトリックに対して次のような問題意識を投げかけることからはじまった。その問題意識とは「1. 人はどのようにして救われるのか」「2. キリスト教の権威はどこに存在するのか」「3. 教会とは何のためにあるのか」「4. キリスト教徒としての生き方の本質はどのようなものか」への答えを求める動きである。

マルティン・ルターはこれに以下のような回答を示し、宗教改革の烽火を上げた。「1. 」に対しては「主イエス・キリストを信じる信仰のみ救われる」、「2. 」に対しては「権威は聖書の神の御言葉のみにある」、「3. 」に対しては「教会は信仰者の共同体である(これを万人祭司性という)」、「4. 」に対しては「聖職者であると信徒であるとを問わず、召されたあり方で神に仕えること」。これがプロテスタントの原点であり、諸教派に継承されている。

そしてこれを元に、ルター以後多くの流れが生まれてくる。この考えに従えば、もはや信者一人一人が「祭司」であり、それぞれに聖書を読んで解釈したものがその人にとっての教義となるのだから、多種多様な教派が生まれるのは必然といえる。神の赦しを重視したルター派、自由意志による洗礼を重視した再洗礼派(ルーツは違うがバプテスト派も同様)、神の主権と支配を重視した改革派などが次々と生まれてくる。それ以降も新しい解釈に基づく新しい教派が生まれ続けた。

すなわち、これらの多くの教派が生まれた要因としては、二つの理由が考えられる。それは「聖書に示されている教理自体をどう理解し解釈するか」という信仰的側面と、「民族性や国民性、文化的や政治的な事情をどう読み込むか」という現実的側面とである。その両側面を反映した「理屈」さえ筋だってつけられ、それに共感する信者がいれば、即、新教派が生まれてしまうのが宗教改革以降のプロテスタントの特徴ということになる。

初期において各教派は、基本的な教理に関して共通の認識に立っていた。当時の聖書解釈の最大公約数的な部分、救いに関する教理やキリストの理解に関しては同じ立場に立っていたからだ。それはプロテスタント各教派間の対立よりも、対カトリックという部分で一致していたからに他ならない。この時代においての教派毎の差異は主要教理以外の形式的な部分や教会の運営法に関する部分が中心であった。従って、互いを受け入れ合う寛容な態度が広く見られていた。

しかし、その後18世紀以降に西欧社会が大きく変化したことにより、その変化に対しどう対応すべきかという教理に関しては、いろいろな解釈が生まれてくるようになる。こうなると教派間での神学的理解の違いが強調されることになり、正当性を競うい合う中から教派主義が生まれることになる。ルターの主張は聖書を唯一の信仰のよりどころとする聖書主義に立脚しており、その分原理主義的になる危険性を秘めていたのだ。

この複雑性に着眼することで、宗教改革は西欧近代社会を築く基盤となっただけでなく、それまでのアブラハム宗教とは異なる宗教対立を引き起こす原因となったことがわかる。アブラハム宗教の掟に則れば、新たな預言者が受けた「神の啓示」により新しい一神教が生まれるときは、それまでのアブラハム宗教の教義を全て取り入れて教義を構築しなくてはならない。これがあったために、アブラハム宗教の伝統は曲がりなりにも守られ、神は神として唯一絶対的な存在であった。

ルターもカルヴィンも、モハメッドより後に生まれた。彼らがアブラハム宗教の伝統に則った「神が遣わせた新たな預言者」であったのなら、プロテスタントはアブラハム宗教の伝統上にユダヤ教、キリスト教(カトリック)、イスラム教の教えを全て飲み込んだ第四の波として現れたであろう。ところが宗教改革は、この伝統も断ち切ってしまった。プロテスタントは単にカトリックに対するアンチテーゼというスタンスしかなく、カトリックの否定に終始し、アブラハム一神教のアウフヘーベンとはならなかった。

ここに、一神教の体系は崩れてしまった。宗派対立が起こったのだ。宗教の対立といえば、その原点ともいえる十字軍にも大きな問題があったのは確かだ。しかしプロテスタントはそれ以上に問題がある。構造的に原理主義的なのだ。宗教改革といわれるが、プロテスタントは別名でキリスト教根本主義とも呼ばれるように、見方を変えればこれはキリスト教における原理主義革命である。確かにカトリック原理主義というのはない。

さて、この変化がもたらした「弊害」とはどのようなものであろうか。それまでの宗派の違いは、あくまでも神は一つであり、宗派によって受けた啓示の深さが違うということであった。それは宗派を越えてアブラハム宗教が脈々と受け継いでいたものだ。それが変化し、神は絶対的に一つではなく、宗派によって違う「一つの神」がいる状態になることになった。これは決定的なパラダイムシフトであり、一神教の伝統からすればゆゆしき問題である。そして、ある神の信者からすれば、他の神など絶対に許せない。

それまでのように、同じ一つの神からどこまで深く愛されているのかを競う問題であるならば、アマとプロの違いのようなものなので、より「深い啓示」に帰依する可能性さえあり、やり方さえ間違えなければ共存は可能である。実際中世までの中東のイスラム圏では、異教徒も税金さえ払えば迫害されることはなかった。それが教派主義の登場により、一神教同士の闘い、すなわちどちらの神が正当かを争う問題を引き起こす可能性をもたらした。

それぞれの「唯一神」の間での正当性を争うこととなると、最終的には相手の存在自体を否定しなくてはならなくなる。プロテスタントが即、教派主義というわけではないが、その教義の中に教派主義を生み出しうる素地を持っていたことは間違いない。こう考えてゆくと、宗教改革は社会構造における近代の入り口となっただけでなく、同時に近代の宗教対立の直接的原因を作ったものであることが理解できるであろう。

近代の一つの到達点が「高度な産業社会」であるとするならば、それを極めた上で次の段階である「情報社会」の時代に突入した21世紀は、宗教改革の悪しき遺産を清算するいい機会ということもできる。例の「戦いは、雌雄が決してからの方が犠牲者が多い」ではないが、価値観のコンフリクトが激しくなってきた昨今は、すでに雌雄は決したというところだろうか。確かに昨今の社会情勢を見ると、プロテスタントのキリスト教国が引き起こしている問題が大きい。そろそろ神は次の預言者を地上に遣わすころと思われるのだが。


(20/07/10)

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