「ダブスタ」な人達





この数年SNSなどでの指摘から、「ダブルスタンダード」が左翼・リベラル派の人士に特徴的な行為であることが注目されるようになった。自分達やその仲間に起こった行為に関しては、すぐに「我々は被害者だ」「差別されている」などと相手を非難する一方で、同じような事象が敵対する側に起こると「被害者面するな」「因果応報だ」とあたかも相手の側に原因があるようにこれまた相手を非難する。事実を客観視するという視点は彼等にはないようだ。

これがSNS上の揉め事のような些細なところでの出来事ならまだしも、立憲民主党とか日本共産党とかは国政レベルの論争でも出てきてしまうのだから困ったものである。少なくとも日本は法治国家であり、法治主義に立つのならば、行為そのもの是非を論じるべきであって、行為者によって対応が変化するというのはありえない。なのだが、同じことをやっても、自分達は当然の権利を主張し、敵対勢力には極悪非道のレッテルを貼る。

客観的に見ればいかにも厚顔無礼な行為だが、よく考えるとこれも「多様性を認めない」という彼等のルーツを考えればむべなるかなというところが見えてくる。それは相手を自分になぞらえて捉えるという視点だ。自分達が、被害者でもないのに被害者ぶったり、差別されているわけではないのにヘイトだと声高に叫んだりする癖があるからこそ、相手も同じようにやっていると思ってしまうのだ。

多様性を尊重する人であれば、まず「相手は全く違う考え方をしているかもしれない」と思うので、そう頭ごなしに否定から入ったりはしない。まずは相手の意見を聞き、その上で認めるなら認めるし、否定するなら否定するだろう。基本的には、自分の権利を侵害しているモノでない限りは、多少の違いがあったとしても「勝手にやってくれ」で終わることがほとんどだ。否定してもせいぜい「俺の目の前ではやめていただきたい」という程度の結論だ。

左翼・リベラル派の人達はそうではなく、「同じ穴の狢」しか世の中にいないという発想なので、「相手も自分達と同じような発想で、同じような悪事を裏で働いているのだろう」という憶測が働くし、それでは真っ向から利害が対立してしまうので相手を殲滅してしまおうということになる。実は相手に自分を引き写して見ているので、相手と思っているのは仮想的な自分自身の姿ということになる。

すなわちダブルスタンダードとはいっても、決して相手によって基準を使い分けているのではなく、相手と自分の所業を同一視した上で、自分達がやるのは全て正義、相手がやるのは全て悪と決め付けているだけなのだ。だから、やっていることは全く同じ事象でも、自分達がやる分には正義であり、相手がやる分には悪ということになる。そういう意味ではスタンダードは一つである。

その上で「自分は何をやっても正しく、相手は何をやっても間違っている」と主張しているのだ。フラット・アンド・オープンな立場に立つ人から見ればこれはある意味ご都合主義だし、ダブルスタンダードとなるが、そもそも彼らは定義が違う。やっていることの内容を検討するのではなく、やっている人間によって正義と悪を決めようという発想なのだ。このように、そもそも基本的な世界観というか、もっともベーシックな価値観が異なっている。

これでは議論自体が成り立たないのも当たり前だ。実際野党などは、モリカケ論争を始め、まったくかみ合わない議論で口角泡を飛ばしている。そういう意味では、そもそもスタンダードがあるわけではない。議論の対象となるような「自分達の主張」があるのではなく、そこにあるのは「敵か味方か」の二元論だけである。

しかし、状況がここまで明確になってしまうと、ある意味滑稽でもある。とにかく、世の中に敵と味方しかいなくて、他人をみるとどちらかレッテルを貼らなくてはとういう対応をすればいいかわからない人。どんな相手とも折り合いをつけてうまくやっていこうと思い、他人の意見をまず聞こうとする人。どちらが平和で心安らぐ社会を作れるかは一目瞭然だ。

20世紀後半は「冷戦」といわれていたが、これもどちらが戦争を仕掛けてきたのかは明確だ。社会主義・共産主義の人たちは、もともと自分達のアイデンティティーが「多数」というところしかないので、常に敵を作って二元論に持ち込み、相手を撃破することで仲間を増やし勢力を増強してきた。社会主義・共産主義の組織・社会を作るには戦争をやって勝つことが至上命題だったのだ。

だからこそ、彼等は意味なく思考停止を求めるような、反戦・反核・護憲運動に走る。自分の本質がわかっているからこそ、それを知られないようにこういう形式的な活動で偽装しているのだ。本当の意味で平和を求める理性的な活動は、彼等にとっては迷惑千万。だからこういう活動でも建設的な議論には与せず、ひたすらお題目を唱えるのみ。そんなに争いが好きなら、一丁セメントでぶつかりますか。負けるのはどう見ても少数派のあなた方ですよ。命は大切に。


(20/11/06)

(c)2020 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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