無駄な努力





苦労した人間はクリエイティビティーが失われる。努力ということは、他人に学び、他人に合わせることを意味する。苦労が多かったということはそれだけ努力したということと同値であり、それにより得たものも大きいとは思うが、その一方で失ったものも多いことを忘れてはならない。一兎を追うもの二兎を得ず。二方面作戦が無理なときには、勝ち目のある方にリソースを集中投入すべきだから、これは責めるべきことではない。

確かに自転車操業の人生というか、自分の裁量下にあるストックがなく、常に他人から金を貰っていなくては食っていけない人にとっては、他人に合わせることは必須である。しかし、常に相手に足元を見られていることになる。これでは悪魔に魂を売ることと同値だ。しかし、なぜか現代の日本人にはこういう状況に追い詰められている人が多い。それは自分に入ってくる金の全てをつぎ込んで、背伸びした生活を選んでしまうからだ。

確かに現代の日本は、よほどのことがない限り餓死するほどの危機に陥ることはない。とはいえ、そこでポケットの中のお金を全て何かにつぎ込んでしまうほどリスキーなことはない。自分のやりたいこととは、自分が欲しい物を買うことではない。本当に自分がやりたいことを持っていないからこそ、目先の浪費にうつつを抜かし、さらに自分の可能性を追い込んで狭めることになってゆく。まあ、元々たいした才能がないからとも言えるが。

ある程度の余裕ができてくると、選ぶべきポイントに立ち止まって迷うことになる。これが本当の「クロスローズ」である。今あるお金の範囲でできる、自分が本当にやりたいことをやるか。それとも、まだまだ儲けられそうなので、他人に合わせてもっと金をもらうか。実は、これは時間の使い方というか、人生の選択の問題なのだ。そして、これはある程度才能がある人ならではの、悩むポイントである。

もっとも才能がありすぎる人にとっては、立ちションベンをするぐらいの感じで他人がうらやむようなモノは作れてしまうので、そんなに悩むことはないだろう。何も考えずに、やりたいようにやっていればいいし、それですばらしい作品がどんどん生まれてしまう。すると作品そのものも評価されて、それ自体が金を生むグッドサイクルに入ってゆく。これは超幸せな人生だ。だが、そんな超天才は少ない。

その一方で、全く才能のないヒトは何も悩むことはない。基本的には純粋消費者で生きていけばいい。自分が表現したいものもないのだから、やりたいことがやれなくて悶々とすることもない。まかり間違って技術だけがそこそこあったとしたら、なにかやらなくてはいけなくなっても、それなりにモノまねでウケは取れる。「カラオケのウマい人」のレベルである。これはこれで幸せだ。

こういう両極端は、何があっても「それ」しか道はないのだから悩むことはないし、悩んでも始まらない。その一方で、多くの「そこそこ才能のある人」は、自分の限られたリソースをどこに振り向けるかで悩むのだ。もっと一途に打ち込んでいたら、もっとスゴいモノが作れたかもしれない。もっとビジネスライクに割り切っていたら、もっと儲かっていたかもしれない。取らぬ狸の皮算用と、「かも知れない」という強迫性障害の相克である。

ところで「家が太い」という言葉が、昭和40年代ぐらいまでの日本の芸能界、今でいうエンタテインメント業界にはあった。実家がめっちゃ金持ちの次男坊、三男坊、あるいは娘で、基本的に跡継ぎに何かがあった時のスーパーサブなので、教育とかはキチンと受けているが、あとは好き放題できる。こういう人間は、最も風流が身についている。そういう人が、業界のクリエイティビティーを支えていた。

それまでになかった新しいことを始めたのは、全てこういう「恵まれた」人間たちだ。海外に留学しロックの先端を学んで日本に持ち帰った人達。ロンドンに行った竹田和夫さんや、LAに行った。大村憲司さんなどが代表だ。加藤和彦さんは、フォーク・クルセダースのヒットで儲けた印税をつぎ込んで、ロンドンに渡り、そこで最新のステージ機材とPAシステムを購入して持ち帰り、日本初のライブステージ運営会社ギンガムを設立した。

彼らがいなければ、ロックギターの音はフルアップしたチューブアンプにギターをシールド一本で繋げば出るということさえわからなかっただろう。彼らは私財を投げ打って、日本の音楽文化の発展を支えてきた。まあこれは極端な例としても、彼らから学べることはある。それは「自分のできる範囲で、自分のやりたいことをやる」ということだ。彼等は「自分のできる範囲」がとてつもなくデカかったから、何かめちゃくちゃすごいことをやったように見える。

しかし、無理して、背伸びしてやったわけではない。自分のやりたいことを、自己責任で可能な範囲でやったからこそ、結果を残すことができた。ポイントはここである。自分のやりたいこと、表現したいことがはっきりしていれば、その中で今実現可能なのがどこまでかもはっきりわかる。そうであればプライオリティーをつけてバランスを取りながらそれを実現してゆくことも可能になる。そしてそれが最長不倒距離を飛ぶための最大の条件なのだ。

好きなように生きてこそ自分らしさを保存できるし、オリジナリティー、クリエイティビティーを磨くことができる。結果を出すこともできる。無駄な努力ほどクリエイティビティーを失わせるものはない。結果ではなく、プロセスを評価して欲しがるようになったら、人間はおしまいである。人間が定型作業をこなすだけで許された産業社会の時代はともかく、情報社会はそれでは生きてはいけないのだ。AIの時代の生き方や人間らしさはそこにある。AIに恐怖心を抱き嫌悪するのは、産業社会から抜け出せない人である。


(20/11/13)

(c)2020 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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