天皇の名を穢す者達





特高警察、憲兵隊、そして悪名高き関東軍もそうだが、これらの組織は戦前の日本社会の闇の部分を代表するものとして今もその蛮行が轟き渡っている。しかしそれら悪行の数々は、組織として「上から」命令されてやったものではなく、組織としてのガバナンスがないのをいいことに、自分達のやりたいことを「天皇の名」を勝手に利用し、命令になってもいない自分勝手なことを、さも正当な命令に従っているかのようにして行ったところに特徴がある。

昨今問題になっている「自粛警察」も同じメカニズムだが、命令されてもいない、自分達が勝手にやりたいことに大義名分をつけて「天に代わって」実行してしまう。これはある意味、大衆により構成される日本型組織の特徴である。そしてそれを許してしまうメカニズムを内包しているところが、日本のライン型組織が持っている構造的問題でもある。これは近代の日本がどのように形成され、その中で西欧的な組織がどのように日本化されて受容されたかというプロセスの結果でもある。

江戸時代は少数の責任階級である武士と、圧倒的多数の無責任階級である庶民とから構成される社会であった。多勢に無勢で、そもそも武士は庶民を完全には管理することができず、基本的には野放しにしておいて、時々一罰百戎で見せしめの生贄を晒して自粛を求めることしかできなかった。この結果庶民は、お上の目線が届くところでこそ背筋を正すが、それ以外のところではやりたい放題やりまくるという「面従腹背」の姿勢が基本的なスタンスとなった。

責任が発生するのは「お上」の目線が厳しい時だけで、それ以外は基本的に無責任ですますという発想が生活の基本になる。これを250年間繰り返していく中で、無責任を貫き通すための手練手管が発達した。すなわち、「お上」の目の届くところでは言われた通りに振舞う分には責任は全部「お上」に行く。責任を「上」に押し付けてしまえば、「鬼のいぬ間の洗濯」でいくらでも自分勝手な行動をやり放題という発想である。このため、自己責任で行動するという発想が全く失われることになる。

もちろん、下層の庶民には悪意はない。食い物を多少ちょろまかすぐらいの悪さしかない。だからこそ、江戸時代においてはこういうスキームでもさほど問題は起きず、平和な時代が続いていた。これが問題を生み出したのは四民平等の明治時代になってからである。富国強兵のためには欧米列強に追いつき追い越すことが必須とばかりに、欧米の先端文明や技術を一刻も早く学んで取り入れるため、出身階級を問わず「秀才」が重用されることになる。

この結果、無責任階級出身の秀才エリートも、官僚や軍人、技術者ヒエラルヒーの上位にあるリーダー層にも抜擢されるようになる。本来リーダー層は何よりも自己責任で行動することが求められる。士族出身者や豪商等の富裕市民層出身者は、それなりにリーダーシップの素養を身に着けていたが、庶民出身の秀才達の辞書にはもともと「責任」の文字はなかった。ここに近代日本における組織の不幸が始まる。「失敗の本質」の原因も突き詰めればここにたどり着く。

エリートポジションに就き、権限を入手してしまった庶民出身の秀才は手に負えない。それなりに頭がいいので、自分が屁理屈で上意下達の構造を作れば、何でも勝手にできることにすぐに気が付いてしまった。かくして虎の威を借る狸となり、部下に対するリーダーとしての権威を借りて、ありもしない命令をでっち上げ、自分達のやりたいことを、さも命令されてやっているかのごとく行うのだ。パワハラが起こる原因も、この「虎の威を借りた命令」に求めることができる。

このような状況がうまれると、そこにあたかも江戸時代の「お上と庶民」のミニ版ともいえるような構造的関係が生じる。マジョリティーであるフォロワーは、リーダーの目が届く時だけはリーダーにへつらい、そうでないときは面従腹背で勝手にやる。それはまああざとく考え抜いて対応するというより、昔からやってきたセオリー通りに振舞えば、それなりに自分の居場所が作れるという感じだったのであろう。ごくごく自然な成り行きである。

しかし、これこそが悪の温床である「忖度」を生み出す原因となったのだ。リーダーの目が届く間(「鬼がいる」間)は、これ見よがしにリーダーにへつらう。いかにも「気を使ってます」とあざとく振舞う中から、リーダーの気を引くべく「忖度」が生まれてくる。しかし階級が異なっていた江戸時代と違い、明治以降はリーダーといえども単なる秀才エリート。そのメンタリティーは庶民と変わらないのだ。

権力を持つ分行動を戒めることが礼儀として染みついていた武士とは違い、庶民出身の秀才エリートは、忖度を要求すればどこまでもへつらってくることを身を以て知っているし、それを抑える自制心も持ち合わせていない。ここに「気持ちの賄賂」としての忖度は、官僚や政治家が、暗に大衆に対して要求するものとなってしまった。それとともに、こういう人格が伴わない秀才エリートは、どんどん増長する。

ここから、「さらに上の権威」を借りて「下々」に対してありもしない自分の勝手な命令をさも上からの命令のような顔をして押し付ける、「逆忖度」が生まれる土壌が作られることになる。かくして庶民のマインドのままで権力だけ握った秀才エリートは、自分より上のポジションにある人間に対しては「忖度」しつつ、自分より下のポジションにある人間に対しては、権威を借りて命令を押し付けることになる。まさに一方忖度と逆忖度は表裏一体なのだ。

もっとも、こういう人格が欠如したところに知識だけを付け刃で習得したメッキ人間である秀才エリートも、不幸といえば不幸である。彼等はそもそも「自分」というものがなく、権威にすがってはじめて自分の居場所を作れる人達なのだ。そういう人達は、権威が実際の権威だとその威光にすがるが、権威が絵に描いた餅だと自分が権威に成り変わって、あたかも上からの命令のように、自分の勝手な妄想を下に押し付け出すことになる。

そういう人達にとっては、大日本帝国憲法下における天皇はまさに使い勝手が良すぎる存在であった。難解すぎて誤解されているが、帝国憲法第3条の「天皇は神聖にして侵すべからず」とは「天皇は政治的責任を負うべき存在ではない(=象徴)」という、19世紀立憲君主国の憲法には必ず入っている条文である。この表現が高尚過ぎて一般の民衆には理解不能・意味不明であったことから、これを悪用したのだ。

すなわち本来責任主体とはなり得ない天皇に責任を押し付けてしまえば、いわば「中間管理職」である秀才エリートの自分は無責任で自分勝手な命令を押し通せることに気付いてしまった。その成れの果てが特高警察、憲兵隊、関東軍である。CEOのように異なるステークホールダーの間でピボットとなって、全体のガバナンス図るの象徴であった天皇が、逆に、ガバナンスを亡き者にしてしまう手段となってしまったのだ。

その一方で天皇の名に対しては、庶民はいくらでも忖度してくれる。いわゆる「自粛警察」化である。戦前の軍国主義の時代においても、実際に権力が取り締まったものは少なく、ほとんどの規制が「自粛」によるものであったことを忘れてはならない。かくして天皇の名は、自分勝手な行動を無責任化してくれる「無敵の印籠」となった。「失敗の本質」が今でも日本の組織の本質であるのと同様、「天皇の名による無責任化」というマインドは今も日本の秀才エリートの中に根強くはびこっている病巣であることを忘れてはならない。


(21/02/05)

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