他人のせいにする人





悪いことは何でも他人のせいにして相手に文句ばっかりつけるのは、無責任な人間が取る典型的な行動である。交通事故の「責任割合」が典型的だが、ある事案が起こった時片方にだけ全責任があるという可能性はとても低い。問題が当事者同士のインタラクションの中で発生している以上、それぞれの責任はスペクトラム的なものとなっており、どちらがより責任が重いかという「多寡」を問うことはできても、その当事者の一方が全く関係がないということにはなりにくい。

ところが他人のせいにする人は、自分に責任の一端があることでも、他人のせいにして責任を相手に押し付けてしまえば、その瞬間から自分の責任は霧消してしまうと思っているのだ。責任というのはあたかもババ抜きのババのようなもので、それを相手に押し付けて今えば、自分の視野からはすっかり消え去ってしまうという考えである。そもそもそこに自分の行動があれば相応の責任が発生するという視点は見事に消え去っている。

このように無責任な人というのは責任に対する感覚がそもそも歪んでいるのだ。だからそもそも議論が噛みあわない。逆に責任感の強い人がこういう人と対峙すると、結果的に全責任を押し付けられ貧乏くじを引くことになりかねない。意図的にやっているのではなく、それがネイティブなのから手の施しようがない。まっとうな社会性を欠いたまま大人になってしまった、ある種の発達障害のようなものである。

そう考えてゆくと野党・左翼・リベラルの皆さんも、ある意味社会性が欠如したまま齢を重ねてしまった発達障害の人達と捉えることが可能になる。こういう人達は、社会通念や常識と重ねてみた場合、その主張や行動には大きなズレがあることが多い。財源を考えないバラ撒きの要求とか、国際情勢を全く無視した「平和主義」とか、実にオトナ気無い主張を臆することなく堂々と主張するが、発達障害のようなものと考えれば理解できる。

安倍政権の頃の野党の「反アベ」など、全く理論がなく感情論だけで突っ走っていた。政策を批判したり問題を指摘するのではなく、世の中の悪いこと・面倒なことは全部政権のせいにして押しつけることで敵愾心をあおる。キチンと政策論争をして、その中で既存の政策に反対するのであれば、それなりに支持者はいただろう。だがスジが通らない感情的な反対ばかりしていたのでは、やればやるほど支持者を失う結果となった。

野党に特徴的な「批判のための批判」「反対のための反対」も同様である。自分で責任を取ろうという精神の持ち主であれば、「自分ならこうする」というあるべき姿を提案して、それとの対比において問題点を指摘する。無責任な人は、そもそも自分が肚をくくって何かを推進するという発想がなく、なんでも人にやってもらおうという意識なので、あるべき姿を示すことができない。それでも「アンチ」たりたい一心から、とにかく相手のやることなすこと全てに反対してしまうのだ。

これも相手との関係性や自分の立ち位置が理解できないゆえに起こる、発達障害的な症状である。相手の一挙一動に対し「売り言葉に買い言葉」的に反対してしまうため、自分の主張としての一貫性がなくなり、ともすると相手を批判したい一心から、前に自分があげていた反対理由と矛盾する主張をしがちである。こういう人達の発言に、いわゆる「ブーメラン」が多くなるのも、この刹那的で一貫性に欠く主張ゆえである。

これだけならばまあ、どちらかというと「かわいそうに」という同情と哀れみをもったやさしい視線で少数派として暖かく受け入れられる余地があるのだが、このような勘違いととともにあわよくば口止め料的にバラ撒きに預かろうという魂胆が見え隠れするから手に負えなくなる。これも悪意というよりは、現状に対する不満をぶつけて、それで自分にとってお得な案が出てきたらめっけモノという程度のダメモト意識が始まりなのだろう。

それが自分で繰り返しているうちに「当然の権利」であり「もっとよこせ」になってしまうと目も当てられない。ロス疑惑の三浦和義被告のように演技性人格障害で虚言癖のある人は、「ウソも百回つけばホント」になって自分でも信じきってしまうといわれる。どうやら野党や左翼・リベラルの皆さんは、こっちの症状も持っているようだ。疑うことなく信じているだけに、傍から見ると困惑を通り越してこれも「かわいそう」になる。

そう、野党や左翼・リベラルの人達は精神の病気のような症状のある「かわいそう」な人達なのだ。まさにある意味「弱者」ではないか。社会としては大切に扱ってあげる必要がある。考えてみれば、昔から選挙になると「諸派」と呼ばれた泡沫候補がワラワラ湧いてきて、なんとも面白いパフォーマンスを見せてくれたではないか。そういう形ではこれからも伝統芸能として残って行くのだろう。いや見世物のようにして残っていってほしいものだ。


(21/04/09)

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