誰に合わせるか






何かはじめるときに、そのリファレンスをどこにおくかというのは、けっこう大きな問題だ。効率にしろ、モラールにしろ、このリファレンス次第で大きく変わってくる。その割に、どうもわが国ではリファレンスの置き方自体をあまり議論しない。何も考えないまま、それが当たり前とばかりに、基準を下に合わせたり、低きに合わせたりするのが一般的だ。だがこれは、日本社会の悪弊ということができる。確かに、現状の日本式のやり方を持って、人にやさしい、社会主義的な博愛性、ということもできるが、それは一面にすぎない。ものには両面がある。その得失を考え、トータルとしてメリットなのかデメリットなのかを判断しなくてはいけない時代なのに。こういう建前主義では、何の解決にもならないのだ。

それだけではなく、こういう「低いリファレンス」が、持てるもの、努力したものが報われないという「悪平等社会」の根源ともなっている。頭数だけが求められた「労働集約的人海戦術」の時代なら、そういう考えかたもそれなりに意味があっただろう。戦前の軍国主義の時代。戦後の復興期、高度成長期。質はともかく、数がほしいというのが、社会の基本的ニーズだった。しかし、そういう時代ももう終わった。だが、長い間日本に定着していたその発想は、色々な制度に色濃くその跡をとどめている。この「下に合わせる悪平等」が典型的に現れているのは、労働行政だ。

もともとホワイトカラーの生産性は、知的能力にのみ依存するものであり、時間とは関係ないはずだ。だが、コンピュータもネットワークもなかった頃のオフィスでは、単純事務作業を労働集約的にこなさざるをえなかった。ここからオフィスでもブルーカラー的な時間管理が行われるようになった。しかし、それが今となっては時代錯誤的なものになってしまったのは、ホワイトカラーにおける時間による残業管理の無意味さに典型的にあらわれている。進んだ企業では、時間管理はやめ「みなし残業」に移行しているもののまだまだ時間管理も横行している。「生活残業」などというコトバが生き残っているのはその証拠だろう。

時間管理ということは、生産性の悪い人間を評価の基準にするということ。そうしたら、みんなだらだらやり出すに決まっている。そういう状況の中で、サクッと仕事をして8時前に終わらせてしまおうと思うのは、よほどストイックな「変わり者」ということになる。どうせみんないるんだから、メシでも喰いながら、だらだらと10時ぐらいまでかけてやろうと思うにきまっている。残業代がつく範囲であれば、みんなで渡れば恐くないとばかり、後者になる。かくしてどんどん管理は甘くなる。人による生産性の違いを無視した単純な時間管理しかない環境では、後者の方が残業量も多くなり、手取りも増す。自己管理能力が高く、自己向上努力をする人間が報われない。こんなバカなことがあるか。

取柄のないヒトを評価するならば、能力の高い人とは別の仕組みで表彰を与えるべきだ。そういう人も含めてすべての人間を、同じ尺度の中で評価し、すべてをそれなりに待遇しようというほうに矛盾がある。そういう意味では、靖国神社というのはすばらしいシステムだったと思う。靖国神社は元来武功をあげた将のためのものではない。お国のために犠牲になった、無名の兵隊さんを奉るためのものだ。その政治的意味はさておき、クソマジメなだけで何も取柄のないオジさんを表彰し、モラールアップするシステムとしては、これ以上のものはない。

お国のために死ぬぐらいしか、社会的な役に立たない人は歴然と存在する。いざ戦争となると頭数がいるし、どんな周到な作戦でも、捨てダマは必要になる。戦時下ではそういう人でも、必要とされる場合があるのだ。そんな死ぬしか取柄のない人達を「英霊」として高く評価し、国を守る神々の一員として奉る。すばらしいではないか。そういう人でも役に立つ道が開かれえる。昨今のように、それを窓際だ、リストラ失業だというカタチで貶めることなく、自ら役に立つ道を選ばせると。こういうものを失ってしまったのは、欺瞞に満ちた悪平等が跋扈するようになってしまったからだ。

平等なんてウソだ。お国のために死ぬしか役に立たない人達のためは、喜んでお国のために死ねるシステムを造ってあげなければ浮かばれない。その裏返しで、実は能力のある人達が、能力のないヒトでも生きていけるような甘いシステムの社会であるがゆえに、努力せずにすませてしまう、向上心を喪失した社会もタマらない。今いちばん変える必要があるのは、枝葉末節の各論のシステムではい。平均以下の能力の人に合わせて作られ、そういう人達でもほどほどに幸せなつもりでいられる、社会の根本原理としての悪平等性を打破し、能力に応じてきっちりと差がつくシステムに置き換えることだ。悪平等の幻想は、20世紀とともに捨ててゆこう。21世紀こそ差別化の時代なのだ。


(00/06/02)

(c)2000 FUJII Yoshihiko


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