団塊共産制







もともと日本の庶民には、悪平等、無責任の気風が強かったコトも確かだが、今のような、本格的な悪平等社会、無責任社会が確立したのは、高度成長の「恩恵」が全国に行き渡り、豊かな安定社会となった1980年代以降ということができる。この原因としては、経済力や社会構造の変化があることも確かだが、それ以上に見逃してはならないのは、この時代性が、団塊世代が社会のリーダー的役割を果たし始めたことと軌を一にしている点である。

「バブル経済の主犯は団塊世代だ」とよく言われている。「バスに乗り遅れるな」「みんなで渡れば恐くない」。この二つの標語で象徴される、高度成長が飽和し戦後文化が爛熟した80年代には、団塊世代的なメンタリティーが色濃く反映されている。それは、もともと団塊世代に刷り込まれた価値観そのものの発露だといえるだろう。それには二つの特徴がある。一つは潜在意識の中に色濃く残る「共同体主義」である。

日本の伝統を強く受け継ぐ「農村共同体」の中に生まれた団塊世代には、日本の伝統的な個々人と社会集団の関係性が色濃く刷り込まれている。このため、そもそも近代的な意味での「責任感」は芽生えなかった。そして、まさに団塊とよばれる由縁ともなった大きな集団の中に「紛れる」ことで、自立した個を確立することなく社会の第一線にまで上り詰めた。責任は集団にあって、自分にはない。このような人間が、リーダーシップをとるべき立場にまでついたのは、団塊世代が最初である。

団塊世代とは、まさに「無責任世代」なのだ。さて、もう一つの特徴は、理屈としての「民主主義」である。まさに、戦後の進駐軍によって押しつけられた「民主化」が進むプロセスとともに育ってきたのも団塊世代である。「民主教育」の寵児とも言える。だから彼らの理屈は、何においても、「平等」をそして「リベラル」を主張する。その徹底ぶりは、ほとんど屁理屈に近い、「悪平等リベラル」にまで昇華する。この面では、団塊世代とは「悪平等世代」なのだ。このように、彼らこそ、日本社会の暗部である「甘え・無責任・悪平等主義」を最も体現している集団ということができる。

もっとも、「甘え・無責任・悪平等」は戦後の団塊世代の専売品ではない。それは、江戸時代の庶民から滔滔と流れる伝統である。近代に入り「大衆社会」が到来するとともに、農村共同体の論理から、社会そのもの主要な論理として浮上した。20世紀前半の「大衆社会化」の到達点である昭和10年代は、資本主義、自由主義を主張する「有産者」と、国家社会主義を含む社会主義を主張する「無産者」の対立が、社会問題の重要な構造となった。ここでは「有産者」が自由主義の当然の帰結である「自立・自己責任・市場主義」を主張するのに対し、「無産者」は「甘え・無責任・悪平等主義」を主張した。

まさに、この無産者の主張のベースにあるのが、日本的な農村共同体の「共同体主義」なのだ。社会主義、国家主義的な主張と、家族共同体的な共同体主義の結合こそが、日本型ファシズムの温床となった。そして、戦時体制が確立した「40年体制」こそが、その到達点ということができる。この40年体制は、軍と官僚主導の一種の共産社会化である。この社会構造は、進駐軍による間接統治に利用され、戦後も温存されるとともに、一段と高度化した。40年体制こそが、戦後の日本社会の原点といわれる理由はここにある。

まさに団塊世代は、単に偶然に「甘え・無責任・悪平等」を刷り込まれたわけではない。そのメンタリティーは、近代日本社会の「なるべくしてなった」帰結である。「甘え・無責任・悪平等」を求め続けてきた日本の大衆社会があり、その「甘え・無責任・悪平等」な社会への期待を一身に背負った孝行息子、孝行娘として、彼ら、彼女らは生まれてきたのだ。昭和の歴史が、大衆社会化の歴史とするなら、団塊世代は時代の寵児なのだ。

そして、その期待をついに実現してしまったのが、80年代であり、バブル経済という「甘え・無責任・悪平等」な世の中なのだ。そういう意味では、最終的には、社会の隅々までバブルの恩恵の金が廻るに至る80年代は、「団塊的共産主義」が実現した時代だったということができる。そもそも「原始共産制」的な意味で、日本の農村共同体は共産主義と親和性が高かった。それを求める人からすれば、日本は理想社会である。

しかし、共同体主義と共産主義の蜜月は、別に日本だけに見られた現象ではない。世界史的に見れば、かつて共産主義政権が樹立されたエリアは、自立した個という存在が確立せず、農村共同体が強固に残り、人々の拠り所となっていた地域と一致する。かつて、共産主義、社会主義が実現した社会では、判で押したように「甘え・無責任・悪平等」が実践された。共産主義、社会主義とは、アンチ「自立・自己責任・市場主義」として存在したのだ。

さて、日本型農村共同体の持つ「甘え・無責任・悪平等」の原理は、共同体が元来持っていたフラットな構造によって支えられていた。その一つの例としては、「夜這い」に代表される曖昧な男女関係がある。誰の子供でもいいから、みんなで育てる。子育ての責任は共同体全体で取り、特定個人には帰されない。子供を作ることも、育てることも、特に責任が問われないからこそ、安心して「夜這い」ができたのだ。このように全ての構成員が、「共同責任による責任の曖昧化」を保証されていることこそが、共同体主義の特徴である。

共同体の中にいれば、匿名的に身を隠せる。従って「個人」が問われることがない。常に、気楽に適当に過ごしていればいい。これが、共同体主義的組織観である。そう考えると、団塊世代が率先して組織人となり、組織に身を隠し、会社にすがる世代であることも納得できる。いや、もっと一般的に、共産主義社会自体が、出家信者と同様に、組織の一部として同化し、自分という存在を消してしまうことで成り立つものであるということさえ言えるだろう。

彼らの世代のエリート達が行った70年安保の新左翼運動が、結局は共同体回帰的な行動になってしまったことも、この文脈から理解できる。、また、差をつけること、差を認めることが嫌いであり、能力や人格のように、定性的で、かつ差のつきやすいものを評価の軸とすることを避けるとともに、所得などのように、定量的で外在的に均一化しやすいものを評価軸としたがってきたことも理解できる。まさに団塊世代こそ、昭和の日本が目指してきた「共産主義」の到達点である。その団塊世代が社会の一線からリタイヤする今こそ、日本における「共産主義社会」崩壊へのカウントダウンが始まったといえる。



(05/04/01)

(c)2005 FUJII Yoshihiko


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