メディアの「責任」






猟奇的な殺人事件やワイセツ事件等が起きると、一部の識者は、決まってゲームソフトやアダルト向けのヴィデオソフト、あるいはマニアックなインターネットサイトの影響を指摘する。そして、責任をそれらのメディアやコンテンツに押し付けようとする。しかし、本当に事件はそれらの影響で起ったのだろうか。そもそも、コンテンツは何かを教唆するような影響力を持っていない。このような論調は、あきらかにメディアやコンテンツに対して「買い被り過ぎ」だ。

たとえば、ホモセクシュアルに関するコンテンツを考えてみよう。ホモセクシュアル関係のコンテンツは、ヴィデオや雑誌をはじめ、昔からたくさんあるし、インターネットのサイトも盛んだ。さらに、広義のメディアを考えれば、そういう嗜好を持った人たちが多く集まる店や街もある。では、考えてもらいたい。こういう情報の氾濫が、ホモセクシュアル人口を増やしているのだろうか。

もちろん、一人で悶々と悩んでいたヒトが、世の中には同じ嗜好を持ったヒトがいることに勇気付けられ、堂々とカミングアウトする、ということはあるかもしれない。しかし、これは潜在人口が顕在化しただけである。そもそもノンケな男性が、情報に触れることによって「開眼」し、新たに「その道」に萌えだす、ということはあり得ない。それ以前に、そのケのない男性が、そういうコンテンツに喜んで接すること自体あり得ないではないか。コンテンツの影響力など、この程度のものなのだ。

さて、こういう論調をしたがる「識者」は、決まって団塊世代以上か、あるいはそれと同種のメンタリティーを持った人々である。こういう発想をする裏には、メディアリタラシーの違いがある。そもそも日本社会においては、「自分にとってのメディアやコンテンツの意味」が、昭和20年代以前生まれの層と、昭和30年代以降に生まれた層で、決定的に異なる。当然、メディアやコンテンツとの接し方、受け入れ方も大きく異なることになる。

団塊世代が代表的とも言える、昭和20年代以前生まれの層は、そもそも世の中には、「正義」や「真実」を代表する軸が存在すると信じている。団塊世代の世界観は、極めてイデオロギー的なのだ。だから、メディアやコンテンツは、世の中の「軸」を具現化するものとして捉えている。まさに、メディアが言うことは「正しい軸」なのだ。それは、「外部の価値観を「拠り所」として、自己を正当化する」行動がベースとなっているからに他ならない。

もちろん、軸にはプラス側とマイナス側があり、そういう意味での対立はある。しかしこの対立は、かつての55年体制よろしく、互いにもたれあって、ひとつの価値観を支え合う関係にある。そこが「軸」の「軸」たる由縁である。そういう意味では、自分の判断や行動の責任を、「正義」としてのメディアやコンテンツに押しつけているがゆえに、なんでもかんでもメディアやコンテンツの責任にしたがる、ともいえるだろう。

一方、新人類世代に代表される、昭和30年代以降に生まれた層は、根本的にこの立ち位置が違う。物心ついたときには、すでに社会には情報があふれていた彼ら・彼女らにとっては、「正義」や「真実」とは、唯一絶対的に社会に存在するものではない。「正義」や「真実」とは、あくまでも自分の中に、自分の主観に基づいて存在するものなのだ。百人いれば、百様の「真実」があっていい。この違い、は当然、メディアリタラシーの違いとなる。

団塊世代にとっては、あくまでも、メディアは「正義」や「真実」の基準なのだ。だからこの世代は、無類の「情報好き」になる。基本的にメディアを信じ、なんでもかんでも情報とあれば集めて受け入れ、自分の行動の基準にする。一方、新人類世代においては、自分に都合のいい情報は、自分の「正義」や「真実」を補強するものとして受け入れるが、自分の主観にとって都合の悪い情報は、無視して触れないようにする。

このように、昭和30年代以降に生まれた層においては、そもそも興味のない情報にアクセスすることはあり得ない。そういうコンテンツが世の中にあるからといって、興味がなければ、一生触れることはない。これでは、いくらドギツくエゲツないコンテンツがあったとしても、そもそもそのジャンルに興味のない人間がそれを見ることはなく、影響を与えることもありえない。

まさに、これもまた、もう一つの「2007年問題」なのだ。メディアに載ったり、コンテンツになったりしたというだけで、社会的影響力を感じるという、団塊的メンタリティーを持った層は、社会の一線からリタイアしてしまう。これからの社会を動かすのは、「正義」や「真実」を「主観」で語る層である。2007年になれば、少なくとも「情報」に関しては、自己責任が基本の社会となり、責任をメディアやコンテンツに押しつける議論など霧散してしまうのだ。。


(05/10/07)

(c)2005 FUJII Yoshihiko


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