清い政治






不祥事続きの安部内閣が、参院選後をうけて内閣改造を行った。とはいえ、今度の内閣の大臣でも、叩けばいろいろと埃が出てくるだろう。少なくとも日本社会においては、政治家の不祥事というのは、タテマエとしてはゆゆしき問題だが、制限速度超過と同じで、ホンネでは、全くやっていないひとはいない「常識」の範囲である。これは、別に政治家だから、という問題ではない。日本人なら、多かれ少なかれそうである。

日本人なら誰でも、他人が見ていなけりゃゴマかすし、おいしい利権があればホイホイ乗る。もっとも、それが大好きで仕方なくて、そういう可能性を常に捜し求めているようなディープな人もいる一方、偶然そういう状況に出くわしたときなら、ちょっと乗ってしまうかもという「出来心派」まで、その関わり方は千差万別であろう。とはいえ、心としては、これが日本の大衆のアベレージである。

いわゆる不祥事を起こしている政治家センセイのマインドは、まさにこの大衆そのものである。そういう意味では、今の時代は、日本人の大衆の代表として、まさに大衆のアベレージといえる人が選ばれていることになる。実はコレは、日本の大衆社会は「極めて民主的」ということの証明である。もし政治家の不祥事に問題があるとするなら、「大衆のアベレージ的な素養を持った人間が、大衆の代表となっている」ことに問題があることになる。

現状においては、日本の大衆は、大衆と乖離したエリートではなく、大衆と同じ視線・身の丈を持った人間を、自分達の代表として選び出している。鈴木宗雄氏が、中央でこそいろいろ言われるものの、地元では圧倒的な人気と支持を誇るのは、まさに鈴木氏が、北海道のあの地域に住む人々の声を代弁し、代表としてふさわしいからである。民主主義を「良いもの」とする立場なら、これ以上理想的な「代表」はないはずである。

ところが知識人や学識者など、日頃リベラルで民主主義と人権が大好きで、「我こそは、民主主義の擁護者でござい」というような顔をした人たちが、なぜか、この問題についてだけは棹を刺す。それは、アカデミックな民主主義モデルが、有権者を合理的判断を行い、理性的な行動を行う人間として取り扱っており、現実の有権者の行動を説明することができないからだ。合理的でないからといって、大衆を怨んでも、それは逆恨みである。

合理的人間を想定しなくてはいけない、モデル自体が非現実的なところに、問題がある。現実の大衆は、決して合理的に行動しない。気分の赴くままに、感情的な判断、どっちがおいしいかという利権誘導的な判断でしか行動しないのだ。しかし、この現実を受け入れることは、自分達のモデル自体の破綻を意味する。そこで、執拗に批判を繰り返すのだが、それが自己撞着を起こしていることには気付かないらしい。

そもそも「大衆」というのは、アカデミズムからすると「鬼門」である。ある理論体系が学問たりうるためには、定量化・モデル化して、誰がどのように取り扱っても、同じ結論が証明できる、ロジカルな再現性を持つ必要がある。したがって、正解の近似値がそれなりに得られる理論体系でも、経験則の積み上げでは、学問にならない。ヨーロッパのアカデミズムでは、「マーケティングや経営学は、学問でない」とする立場が強いのも、ここに理由がある。

しかし、大衆というのは、いつもいっているように熱力学的存在である。大衆を構成する個人一人一人を考えたとき、その個々の行動は、あくまでも偶然の産物である。とても理論的に扱える代物ではない。しかし、それが多数集まってくると、統計的傾向値が生じ、マクロ的に見れば一定の方向性が現れる。この結果、大集団においては、行動の法則性を見出すことが可能になる。しかし、これは熱力学が層であるように、あくまでも結果論でしかない。なぜそうなるかは、説明できない。

大衆は、純粋消費者である。あくまでも、受動的に消費者として社会と関わるからこそ、大衆なのだ。あくまでも少数派である「クリエーター」とは、立場が違う。これは、戦略的判断や政治的決断を行う能力についても同様。そういう能力に長けた人間は、「政治的大衆」にはならないし、そういう能力がないからこそ、「政治的大衆」になる。そして、「政治的大衆」の意見をもとに政治を運営しようというのが民主主義なのだ。

こう見ていけば、民主主義が深く根付けば根付くほど、政治家の発想や行動が大衆と同化することは、容易に理解できる。政治家の腐敗といったところで、それは民主主義の必然的な帰結なのだ。アカデミックな人たちは、こういう状況を「愚衆政治」と称するが、大衆の本質を考えれば、民主主義が貫徹すれば、彼らの言う「愚衆政治」になるのは必然である。本当に政治家の腐敗がゆゆしい問題なら、民主主義システム自体をやめてしまう以外、解決する手はないのだ。




(07/08/31)

(c)2007 FUJII Yoshihiko


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