大衆は、バッシングがお好み





伊勢の銘菓「赤福」が、製造年月日の偽装で問題になった。北海道みやげの菓子「白い恋人」に続き、「ご当地名物」で人気のお土産がヤリ玉にあげられた感がある。昨今、食べ物に関連するトラブルとなると、どれも鬼の首でもとったような騒ぎ様になる。確かに、製造年月日や消費期限の付け替えは、決して良いことではないが、果たして、ここまで騒ぎ立てるべき問題なのかは、冷静に考えてみる必要がある。

そもそも、この「偽装」の被害者は誰なのだろうか。傷んだ食品を食べて、誰かが食中毒になるというような事件でない以上、たとえば雪印の事件とは性質が違う。ミートホープの事件のように、中身と表示が異なる場合には、場合によってはアレルギーを持つ人に対し、深刻な状況をもたらす危険性がある。このように、消費者の身体に対し、直接的に影響がある事件なら、過失傷害であり、問題を追及してしすぎることはない。

また、狂牛病発生時のアメリカ産牛肉の偽装のように、補助金等を不正にせしめようという行為は、詐欺である。その補助金などは、基本的には税金からまかなわれている。ということは、国民一人一人が、不当な金銭的負担を強いられることになる。これは、許認可行政に対し、必然的に伴う現象ともいえ、税金を私物化し、自分達の権益拡大のためのツールとしてしまう役人の責任も重大だが、そこにつけ込んで恩恵をせしめるほうにも責任はある。

これらの事件のような例は、まさしく犯罪であり、国民が被害者となっているか、被害者となりうる状況にある。ところが、賞味期限の付け替えは、誰がどういう被害者となるのだろうか。もし、その付け替えにより、変質して傷んだ商品を売ろうとしたのなら、確かに先程の例と同様、購入者が被害者となる。しかし、賞味期限の設定自体が、恣意的でかなりのアローワンスを含んでいるものであり、「科学的な賞味期限」からすればずっと短いものになっている。

今回の場合、それを食べて食中毒になったとか、腹を下したとか、そういう被害が出ているワケではない。ということは、付け替えはしたものの、それは「科学的な賞味期限」の範囲内であり、品質上のクリティカルな問題にはならなかったことになる。そういう意味では、賞味期限や製造日の設定をどうするかという問題に過ぎず、当初から、付け替え後の期間に相当する賞味期限を設定するなり、製造日ではなく、出荷日と表示したりすれば、それで済んでしまう問題でしかない。

さて、「科学的な賞味期限」の内側であっても、製品が変質し、製造当初の味が保たれなくなった場合はどうだろう。購入者は、結果的にあまりおいしくない製品を食べるハメになるので、それなりの迷惑はこうむる。しかし、おいしい・おいしくないは、感覚的な程度問題である。系時変化でなくても、コスト削減で材料をケチったり、製造プロセスが手抜きになったりして、味が落ちることはよくある。このケースは、それらの場合と同じである。

レシピと全く違うものの混入、たとえば、味醂と間違えて酢を入れたというような場合ならいざ知らず、そのような「程度問題」の場合、「マズいから金返せ」とは中々言い難い。つまり、おいしくないことについては、迷惑ではあるものの、被害とは言いがたい面がある。こういうとき、買った消費者はどうすればいいか。やることは一つ、「次からは二度と買わない」だ。したがって、こういう「質の低下」は、即、ブランドイメージの低下につながるワケだ。

その結果、売上は間違いなく低下する。こうなると、被害をこうむるのは製造社自身である。そうである以上、市場原理が働いているなら、こういう質の低下につながる行為は抑制されることになる。今回の事件も、客から「味が変だ」とかいう苦情が寄せられたわけではない。ということは、「質の低下」をもたらすほどの変質はなく、この面での問題もなかったことになる。要は、最初からもっと期限を長めに取っておけば、それで済んだコトなのだ。まあ、騒ぐほうが「大衆の好み」というだけのことなのだろうが。



(07/10/19)

(c)2007 FUJII Yoshihiko


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