リーダーシップ






日本には、部分最適はあっても、全体最適はない。日本には、戦術はあっても、戦略はない。これは、日本の構造的問題点を語る上では、もっとも本質的なポイントである。もちろん、日本人の中にも、全体最適を実現できるヒトや、戦略的思考ができるヒトもそれなりにいるし、だからこそ、日本発のグローバル企業が世界で活躍できている。しかし、こと日本そのものという全体集合においては、この問題点がモロに露出する。

かつての日本が、太平洋戦争でボコボコに負けたのも、突き詰めて考えれば、この全体最適と戦略の欠如に求められる。巷間語られている敗因は、戦術レベルのものが多い。確かに、個々の会戦、戦闘で考えれば、戦術レベルの敗因を抽出することはできる。しかし、戦争全体として「負けた」のは、個別の戦闘で負けるのとは意味が違う。まさに、その原因まで戦術に求めてしまうことが、なにより戦略の欠如を如実に示している。

秀才というのは、「与えられた命令に対して、それをいかにソツなくスマートにこなすか」に長けた人たちである。お題は降ってくるのだから、自分で考え出す必要はない。誰かが考え出した「戦略」をもとに、個別の事象に対しての「最適解」を出すのが得意なのだ。その最たるものが、官僚である。官僚とは元来、政治が決めた戦略を元に、個々の戦術を行う「実施部隊」である。従って、官僚に秀才が求められるのは、当然の帰結といえる。

しかし、それはあくまでも戦略を決める人があって、はじめて活きる能力である。それが与えられなければ、自己目的的な部分最適の追求、戦術のための戦術の追及に走るのは、自明の理である。戦後復興・高度成長という「目標」が達成される一方で、次なる戦略目標が見つからない1980年代以降、日本の官僚が、許認可とばら撒き、そして天下りという、自分達の利権確保に血道を上げだしたのも、こういう官僚が本質的に持っている特性に根ざしたものということができる。

厳密に言うと、戦後復興・高度成長というのは、決して「戦略的」な目標ではない。誰かがヴィジョンを持って決めたものではなく、当時の世界情勢の中では、「それを実現しなくては、生きてゆけない」という、外在的な要件であった。とはいえ、「西欧に追いつく」という目標は、戦前戦後を通じて一貫したものであり、ひとまずは全国民的にコンセンサスを得やすいモノであった。また、当面達成する必要がある目標という意味では、決して外れているものでもなかった。

外側から目標が与えられる分には、官僚制は極めて効率的に機能する。世界史的に見ても、強力な独裁者に絶対的権力が集中している国ほど、官僚制が有効に働く。中国の歴代王朝然り、フランスの絶対王政然り。20世紀においても、ヒトラーのナチスドイツや、スターリンのソビエト連邦などが、官僚システムが最も有効に機能した国である。そういう意味では、秀才の集まりとしての官僚制は、延髄から下のカラダで、頭脳は必ず別にいる。

日本においても、それなりに官僚制が機能した時期は存在した。それは、明治憲政期である。少なくとも、江戸時代に生まれ、武士としての教育を受けていた元勲が、政治家として日本を引っ張っていた19世紀の明治日本においては、政治面での戦略性は担保されていたし、限られた国力というリソースを、どこに重点的に配分するかという全体最適が必要とされていた。それらは、明確に当時のリーダーとしての元勲たちが、自らの責任において決めていた。

このように、日本の官僚システムは、創成期にまでさかのぼってみれば、その本質が理解できる。あくまでも、政治的な有責任階級が存在し、その人々が、腹をくくって戦略的意思決定をしてはじめて、なんらかの合目的期行動がとれる。元来、そういうシステムなのだがら、テクノクラートでさえあれば、官僚本人は「甘え・無責任」なヒトでも問題はない。与えられたコトを、手際よくこなせれば、それでいいからだ。問題は、彼ら自身に、モノを考えさせるところにある。

それは、つまるところ、政治力の欠如である。リーダーシップとは、ノブレス・オブリジェを持ち、命懸けの決断ができることである。そして、そういう「自立・自己責任」なヒトが、自らの存在を賭けた意思決定をするからこそ、「甘え・無責任」な人たちもついてくる戦略となる。官僚に綱紀粛正を求めても、そもそもお門違いである。大事なのは、秀才でしかない官僚に、余計なコトを考えるヒマもなく戦略的命令を出せる、政治のリーダーシップなのだ。


(07/11/23)

(c)2007 FUJII Yoshihiko


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