弱いヤツほど隠したがる






一般に競争原理が働く場合、強者はディスクロージャーを好む一方、弱者は往々にして秘密主義に陥る。ひた隠しにするモチベーションがあるのは、戦略的に弱いところである。これが講じて、全体として「強み」より「弱み」のほうが多い場合は、おのずと全体を隠すほうを選ぶことになる。自分が弱いことを自分で知っているからこそ、隠したい、秘密にしたい。隠したからといって何も変わらないのだが、弱者は隠したがるものなのである。

さてその倫理的是非はさておき、現状の世界においては、軍事力ではアメリカが突出して「強い」事実は否定しようがない。その最強者であるアメリカは、昔から伝統的に、兵器の生産、保有量、配備など、ほとんどの基本的戦略情報を公開している。第二次世界大戦当時から、すでに公開原則は徹底しており、当然その情報を分析していた日本も、彼此の圧倒的な物量差に、本格的な消耗戦になったら絶対に負けることは認識していた。

なぜ、アメリカは情報を公開するのか。ディスクロージャーを正義とする、アメリカ的なマインドもあるにはあるが、それ以上の戦略的効果も折込まれていることを忘れてはならない。アメリカの軍事力ははもともと強いし、圧倒的に強いことがブランドとして確立している。だからこそ、公開すること自体がある種の威嚇になる。「こんなスゴい武器をもっているんだぞ、それでも楯突く気か」というブラフである。ヤクザがスゴみを効かせて練り歩くだけで、みんな後ずさりするのと同じだ。

そういう意味では、軍事的に本当に隠すべきは、戦術、それも個別・具体的な「作戦」だけである。敵の総兵力がわかっていても、実際の戦闘では、どこからどのぐらい攻めてくるのかが最大の問題になる。これがわかってしまえば、それなりに対抗策が取れてしまう。その一方で、全く情報がなければ、あらゆる可能性に対応させざるを得ず、結果的に個々の正面における兵力を分散させてしまうことにつながる。

さすがに、この面でもアメリカは伝統的に強い。史上最大の作戦で知られる、Dデイのノルマンジー上陸作戦でも、戦略的にはオープンに、「これだけの大兵力で、連合軍が上陸してくるぞ」と見せつけることで、ドイツ軍をおびえさせる一方、「いつ、どこにくるか」というところは、トップシークレットにするとともに、数々の偽装作戦を発動し、恐怖と混乱を一段と強めた史実は、よく知られている。

日本人は、そもそも自分の力に自信がなく、ひた隠しに隠し持った「秘密兵器」で、いきなり奇襲、というパターンが多い。このやり方の度が過ぎると、本末転倒して、セコい武器でも、極秘で隠しておけば「秘密兵器」になってしまう、という、妙な信仰が生まれてしまうことになる。そして、より強く見せるためには、より秘密の度合を強くすればいい、ということになる。

しかしどう考えても、秘密にしておくことで、相手に守りに入る余裕を与えない「奇襲」効果をあげることはできても、武器そのものの威力を増すワケではない。「奇襲」したからといって、竹光で勝てるワケではない。逆に、竹光の脅しでも効果がある相手なら、奇襲でなくても、脅しようはいくらでもあるといえる。かくして日本の組織では、なんにでも「○秘」のハンコを押したがる風潮が蔓延することになる。

これもまた結局は、甘え・無責任な日本人特有の、「戦術あれども、戦略なし」という特性に行き着く。公開か秘密かの判断には、戦略が必要である。誰かが責任をもってリーダーシップを発揮するなら、「戦略目的への最適化が成されるならば、どんどん情報は公開すべきだ」と判断できる。また、何を公開し、何を秘密にするかという線引きも、リーダーが責任を持って行うことが可能になる。

もちろん、リーダーが自己責任において決定したのなら、「あえて隠す」という選択も可能である。そういう意味では、公開か秘密かという結果ではなく、そこに至ったプロセスが重要なのである。理由もなく、ただ責任を曖昧にしたいがためだけに秘密にする。これでは、単に「自分が弱虫の負け組」だと自白しているようなものだ。そういえば、社会保険庁や厚生労働省の不祥事など、官僚はなんでも隠したがるが、その理由も明白になるというものだ。


(08/08/29)

(c)2008 FUJII Yoshihiko


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