ソフトパワーの源泉





ソフトパワーというと、第二次世界大戦以降の世界の文化における、アメリカのプレゼンスを指して、ジョセフ・ナイ教授が提示した概念である。そのプロセスにおいては、アメリカ製の映画、テレビといった映像コンテンツが、全世界のエンターテイメントを席巻することで、アメリカ的な生活や価値観を広める上で大きな役割を果たした。それはある面では、冷戦下における戦略的な要素もあったが、基本的には創発的な結果論という要素のほうが大きいだろう。

アメリカの消費市場は、世界の中でも圧倒的に大きく豊かであるとともに、アメリカのエンターテイメント市場も、同様に他の諸国を大きく引き離し、ダントツの規模を誇っていた。したがって、アメリカの生活者を相手にしたエンターテイメントである以上、その豊かな消費文化を前提としたものでなくてはならないと同時に、相当な製作費をかけ、巨額の利益を得るというビジネスモデルに基づくことが可能だったのだ。

すなわち、アメリカの消費者のメガネにかなうコンテンツは、アメリカの消費文化を反映した内容を持つとともに、アメリカ国内市場だけでも充分リクープが可能であった。そしてそのコンテンツが、アメリカ国内でリクープ済みであったからこそ、世界のどのエリアにも、相手の間尺に合うコストで輸出が可能であった。かくして、アメリカの消費文化を反映したコンテンツが、世界中にあふれ出した。

日本のテレビ界でも、初期においてはアメリカ製の番組が多く放映されていた。これも裏返せば、当時の日本の放送局でも充分購入可能な価格で、それらの番組を販売してくれたからこそなせるワザである。映画も同様である。世界のどの国、どの地域に対しても、入場者一人に対して一律の権利料を要求するのではなく、すでに制作費を回収済のコンテンツだからこそ、民度が低く、国民所得も低い国に対しては、相手がそれなりに納得できる価格を提示することができた。

実は、コンテンツがソフトパワーに貢献するためには、自国内のコンテンツ市場が充実して、国内でのリクープが可能ということが、極めて重要なのだ。グローバルに展開して、はじめてリクープが可能なビジネスモデルをとった場合、その内容の色合いもまた、グローバルなモノとならざるを得ない。つまり、どんな国でも、どんな民族でも、どんな宗教でも受け入れる内容ということだ。こうなると、自国の文化的プレゼンスなど、どこかに消し飛んでしまう。

逆に、自国市場でリクープ可能なコンテンツなら、自国文化にオプティマイズすることが可能だ。というより、自国文化にオプティマイズした内容だからこそ、自国で大ヒットするわけである。このようなコンテンツが、他国に輸出されるからこそ、文化的影響を与えることになる。極めて政治的だったり、宗教的だったりするコンテンツでは、他国に受け入れられることはないが、エンターテイメントなら、容易に国境を越えられる。

日本のアニメやコミックス、ゲームなどの「オタク文化」が、世界でヒットしている状況を踏まえて、昨今、クールジャパンというコトバが広まっている。これが、ある種のソフトパワーを発揮していることも確かだ。だがこれも、アニメやコミックス、ゲームといったコンテンツにおいては、日本国内の市場が充分に大きく、そこでリクープが可能だからこそ、「日本仕様」のコンテンツが世界に流布していったからこそ、成せるワザなのだ。

そういう意味では、ソフトパワーの発揮に必要なのは、グローバルマーケットをにらんだコンテンツの企画でもなく、コンテンツクリエータの頭数を増やす人材育成でもない。最も重要なのは、国内コンテンツ市場の拡大・活性化なのである。生産者の問題ではなく、消費者の問題なのだ。大体、官僚や政治家が目を付け出したら、そのビジネスはオシマイというのが定説だが、「クールジャパン」にも、そういうニオイがプンプンする。

コンテンツ産業の育成が声高に叫ばれているのは、工業製品輸出という旧来のビジネスモデルが制度疲労を起こしたためだ。単純な産業政策という視点からは、そういう見方もできるだろう。しかし、それではソフトパワーは発揮できない。「クールジャパン」とは、元来経済政策ではなく、日本のソフトパワーの話ではなかったのか。だとするならば、必要な施策は一つ。日本国内での、コンテンツ消費の活性化である。それはまさに、コンテンツ市場が、消費ドリブンのプル型マーケットだからこそ必要なのだ。


(09/04/10)

(c)2009 FUJII Yoshihiko


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