おたくとヤンキー





岡田斗司夫氏が提起した、ひらがな「おたく」とカタカナ「オタク」。難波功士教授が提起した、狭義のヤンキーと広義のヤンキー。どちらも、かつてバブル前においては、アンチ・マス、反主流派的なノリを持っていたマイナーな文化が、21世紀に入ってメジャーなマス消費マーケットの中核となった現象である。デフレ感、不景気感がつきまとう昨今の消費市場において、元気の良いマーケットという意味では双璧である。

しかし、これは単なる偶然であろうか。リアルタイムでこの二つの「文化」を見てきた者としては、そうとは言い切れない。いや、そうではなく、この両者には深い相関があると断言すべきだろう。広義のヤンキー的ライフスタイルを持った、ロードサイドファミリーが、ショッピングセンターで、アニメキャラの食玩を大人買いするだけではなく、ひらがな「おたく」と狭義のヤンキーもまた、共通の根を持っている。それを解き明かすために、まず「族」の全盛期を振り返ってみよう。

古くは昭和30年代から、改造バイクや改造車でスピードを競うストリート・レーサーはいたし、そういう「同好の士」が集ったチームもあった。しかし、それはカーマニアの延長上の存在であり、あくまでも主眼はクルマだ。彼らは決して、生きかたとしての暴走族ではない。スピードやレーシングテクニックを競うサーキット族ではなく、「歌舞伎者」としての目立ち度を競う暴走族になったのは、1970年代の中盤である。今に繋がるヤンキースタイルのルーツは、この時までさかのぼることができる。

それは奇しくも、コミックマーケットが始まり、ひらがな「おたく」が登場した時期と一致している。これは故ないことではない。一言で言い切ってしまえば、「暴走族」もひらがな「おたく」も、カウンターカルチャーとして「突っ張った」生きかたである。カタカナ「オタク」(以降「オタク」と表記)しか知らない、現代の若者からすると驚きかもしれない。しかし、ひらがな「おたく」(以降「おたく」と表記)は、あきらかに社会に挑戦する「突っ張った」生きかたであった。

それはなにより、「おたく」の自己規定が如実に示している。何度もここで述べてきたように、「おたく」は、単なるコミックファン、アニメファン、SFファンではない。彼ら・彼女らは、なにより(稚拙かもしれないし、稼ぎがないかもしれないが)「漫画家」であり「監督」であり「SF作家」なのだ。その自己認識が、「おたく」の証である。これを、一般社会に対する強烈なツッパリといわずして、なんということができるだろうか。

実は、ここには世代的構造が潜んでいる。狭義のヤンキーも「おたく」も、当初その主体は広義の「新人類世代(昭和30年代〜1960年代生まれ)」であった。一方、広義のヤンキーや「オタク」は、広義の「団塊Jr.世代(1970〜85生まれ)」が中心となってる。新人類世代は、当時から「タコツボ世代」などと呼ばれたように、マスに対して突っ張るオルタナ指向が強い。一方、団塊Jr.世代は親世代と同様、群れて数を味方にする傾向が強い。この違いが反映されているのではないか。

ヒトと同じコトはしたくないか、なるべくヒトと一緒でいたいか。たとえばグループでレストランに行って料理を注文するとき、新人類世代のグループと団塊Jr.世代のグループとでは、その行動に際立った違いがある。自分が食べたいモノを、ヒトが先に注文すると怒るのが、新人類世代である。一方、誰かが注文したモノに、ぼくもぼくもと付和雷同するのが、団塊Jr.世代である。結果として、グループ全体での注文は大きく異なり、団塊Jr.世代のほうが、ランキング上位への集中度が高まる。

昔の考えかたなら、若ければ若いほど、より若い世代に見られる世代的特徴は強くなるはずである。しかし、現実には団塊世代→新人類世代→団塊Jr.世代という流れの中で、世代的特徴はリニアな変化ではなく、サイン波のように振動している。この団塊Jr,世代の世代的特徴は、世代効果としての「二つの刷り込み」から捉えることができる。それは、物心ついた時代からの刷り込みと、家庭環境による親世代からの刷り込みだ。

前者については、確かに新人類世代と団塊Jr.世代の間ではリニアな関係が見られる。しかし、問題は後者である。これが極めて強く影響しているがゆえに、彼ら・彼女らは団塊的なるものを受け継いでいる。それは、共同体的な「群れる」意識だ。それは、自分の基準が自分の外側にあるコトに由来している。集団の中の相対的な関係によってしか、自分の立ち位置を捉えられない。つまり、一人でいられないのだ。

これに対し新人類世代では、都市部の核家族二代目が多く、前後の世代と比較して、自立した個を持つ傾向が強い。だからこそ付和雷同して群れず、サブカルの蛸壺に入って嬉々としがちになる。狭義のヤンキーにしろ、「おたく」にしろ、世間とは違う価値観に立脚し、世間から批判的な目で見られれば見られるほど、自己のアイデンティティーが強まるという、ニヒリスティックな構造もここに由来している。

クリエイター気取りの新人類世代。純粋消費者の団塊Jr.世代。その違いは、年代的上下関係における発信者vs,受信者関係というよりも、それぞれの生活行動の基本パターンが、社会へのツッパリという能動性を持ったものか、一番大きな群れの中に自分も群れたいという受動性を持ったものかという違いがもたらした結果なのだ。30代の草食男子の腑甲斐なさと、40以上のオヤジのパワフルさが比較されることも多いが、これもまさにそれぞれが背負う世代的な違いが現れたものに過ぎないのだ。


(10/03/19)

(c)2010 FUJII Yoshihiko


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