こころがけ





かつて、右肩上がりの経済の追い風に乗り、どんどん生活レベルを向上できた時代があった。それはそれでいい時代だったかもしれないが、もはや歴史の一ページ。いまや、生活のアップグレードはありえない時代である。ほとんどの場合、成り上がることはできない。成り上がる努力をしても、報われない世の中である。それだったら、現状に満足し、喜びを見出す方が、余程建設的である。

どんなことも、悪いことばかりではない。人間には、どこかいいところがあるように、全てのコト・モノには、何がしかいいところが必ずある。それが見えるか見えないかは、心がけ次第である。邪な心でしか見られない人には、悪いところしか見えない。清い心で見られる人なら、いいところを発見できるはずだ。ツラくキビしい試練も、全てが全てネガティブなモノではない。どこか、自分にとって良いところがある。そこを見つけられるかどうか。

イヤだイヤだ、ダメだダメだ、という気持ちでいると、全てが否定的にしか見られない。確かに悪いことが多いかもしれないが、そんな中でもチャンスがやってくることがある。モノゴトを否定的に見ていると、せっかくのチャンスが回ってきても、それをチャンスと捉えることができない。結果として、バッドサイクルが回り始め、世の中が悪い方悪い方へと、どんどん傾斜してゆくことになる。

逆に、イヤなことでも、面倒くさくても、逃げることなくキチンとこなしていれば、数少ないチャンスも、きっちり自分のものとすることができる。その秘訣は、現実を運命として受け入れ、それを精一杯こなしてゆくことが、急がば回れで幸せに繋がると信じることだ。世の中の宗教の多くは、現実の試練をきっちりと受け止め、乗り切ることで、来世で救われるという教義を持っている。それと同じ。まさに「人の道」の極意なのだ。

多重債務で自己破産を申請するヒトも昨今多いが、日本では「貸した方が悪い」という考えかたがあり、常に貸した側が加害者、借りた側が被害者、という構図になりがちだ。確かに、金貸しにはブラックというか、悪徳業者も多いコトも確かだ。しかし、生活資金にしろ、事業資金にしろ、ある意味バブルというか、身の丈以上、甘い将来計画やあわよくばという可能性を期待しすぎて、本来返済可能な以上の額を借り入れている場合も多い。

なにより、同じように苦しい状況にあるヒトたちの中でも、安易に借入せず、つつましく生活してバランスをとっている人のほうが圧倒的に多い。また借金をしたヒトでも、自分の収入可能性を考えバランスの取れた金額に押え、キチンと返済しているヒトの方が多数派だ。だからこそ、消費者金融業が成り立ってきたことを忘れてはならない。借りた人間がみんな自己破産されては、金融業者自身も破産してしまう。

なにも、未来に希望を持つこと自体がいけないといっているワケではない。キチンとした計画と、客観的な予測に基づいて、無理のない範囲で将来に期待をする分には何も問題ない。希望のない社会では、生きている意味がなくなってしまう。だが、夢物語と現実とを混同してしまい、「成れるといいな」というモノをホンキで目指し始めたら、ロクなことはない。本当に破綻してしまうヒトは少ないが、こういう「取らぬ狸の皮算用」をする人は、なぜか日本人には多い。

そして、それを正夢と思わせてしまい、あらぬ期待を抱かせてしまったのが、高度経済成長だったり、バブル経済だったりという、20世紀後半の経済状況だった。そう、昨日より今日、今日より明日の方が、良くて、大きくて、立派だという発想自体が、今の時代にはそぐわない、過去の栄光に過ぎないのだ。明日はあわよくば濡れ手に粟、ではなく、今日をキチンと堅実に生きること。そこに喜びと希望を感じることこそ、これからの日本人が目指すべき生きかたである。


(10/06/25)

(c)2010 FUJII Yoshihiko


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