科学的判断





どんな災害にも絶対安全な、「万全の対応」などありえないことは、ある意味、観念的には広く理解されていることだと思う。矛盾の語源となった、「どんな盾でも貫く矛と、どんな矛でもはね返す盾」という故事のように、世の中に「絶対的」なモノなどありえないことは、実感として広く共有されている。しかし、ここに一旦「科学的データ」が入り込んでくると、様相は一変する。

なぜか知らないが、「定量的データ」には日本人は弱い。定量的データで示そうが、定性的な「お話」で示そうが、絶対的なスキームが変わるワケではない。万全な対応がありえないという構造は、定量的データを使おうが使うまいが変わらない。それは、説明の仕方の違いにしか過ぎない。しかし、定量的データで示されると、あたかも「完璧にそうである」かのよう思い込んでしまう。

すっかり流行りコトバになったが、「想定内」「想定外」という対比がよく使われる。しかし、想定内と想定外とで、何かが根本的に違うわけではない。想定内なら大丈夫で、想定外だから大変という発想は、全く無意味である。定量データで示されたとしても、その「想定」そのものが、あくまでも便宜的なものだからだ。皮肉なことに、日本人の科学音痴、数字音痴ぶりが、ここでも遺憾なく発揮されている。

定量的な想定とは、現在の科学理論を元に、今わかっている情報の範囲で、妥当性のある基準を示したモノにすぎない。それは、あくまでも妥当性であり、絶対的真理を示しているワケではない。歴史的に振り返ってみればすぐわかるが、科学というモノは、新事実が発見されれば、すぐに書き直され、リセットされ続けてきた。それがすばやくできることもまた、理科的発想でもある。

天動説でも、惑星や恒星の運動を正確に予測し、記述することができるように理論化が進んだが、地動説に取って代わられた。可視的な世界を記述したニュートン力学を超えて、人間にとっては観念的にしか捉えられない量子力学が生まれた。宗教家は地動説を受け入れがたかったが、科学者は受け入れることができた。このように、体系が進歩し、世界が広がっても、それをすぐに受け入れられるのが、科学なのだ。

このような例は、ごく最近でもある。昭和40年代ぐらいまでの教科書には、恐竜は絶滅したと書かれていた。ご丁寧に、彗星の衝突による環境の激変に対応できなかったから絶滅した、というのがその表記の最終形である。しかし、今の教科書には、恐竜は絶滅したのではなく、環境に適応し鳥に進化したと書かれている。それは1990年代以降、中国でミッシングリンクを結ぶ新化石の発見が相次いだからだ。

ファクトが示されれば、コペルニクス的転換をすんなり受け入れることこそ、科学的姿勢だ。現時点における科学の理論とは、あくまでもテンポラリな正当性しかない、所詮そのレベルのものである。唯一絶対のものではないし、不磨の真理でもない。これがわかっているかどうかが、科学的な判断を解釈する上で重要になる。その限界がわかっていれば、なかなか使い手があるのが科学なのだ。

東日本大震災の津波被害以降、起こりうる地震や津波に関する、いろいろな予測が出されている。それを元に、安全対策の議論が行われている。しかし、予測数字の意味を考えれば、それをそのまま「想定値」として扱うのは非常に危険である。想定する地震の規模にしろ、津波の高さにしろ、あくまでもシミュレーションとしての妥当性の問題である。そのレベルの災害が必ず起こるというワケではないし、それ以上の被害が起きることはないというワケでもない。

当事者たる学識者の皆さんは、当然そんなことは百も承知で発表されていると思うが、それを聞く方がわかっていないから、始末に悪い。あくまでも、想定は現状の情報や知識を前提にした、合理性や妥当性から判断した、統計的に導かれる最大値でしかない。新しいデータが加わったり、新しい理論が生まれて数式のパラメータが変わったりすれば、想定値などたちどころにかわる。

東日本大震災以降、まさに想定値が変化したのが、なによりその証である。ここでまた世界のどこかで、未知のメカニズムによるさらに巨大な地震が発生すれば、当然「想定値」はまたまた変化するだろう。絶対安全という閾値は、どこにも存在しない。あるのは、既知のデータだけを前提に、たとえば70%の事象に対しては安全だろうという、確率論的な判断だけである。

科学的視点に立てば立つほど、あるレベルまでの確率的な安全性については、実用上妥当性のある判断はできる。しかし、そのレベルを超えたときどうなるかは、なんら保証されるものではない。閾値を超えた部分については、文字通り、運を天に任すしかないのだ。客観的で妥当性のある予測が意味を成さない以上、これはどうしようもない。「杞憂」ではないが、そこまでの大災害がきたら、どうせ生き残れないのだから、と、腹をくくるのが一番合理的といえるだろう。それも、科学的判断である。


(12/04/20)

(c)2012 FUJII Yoshihiko


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