団塊の貧困 その3





さて、二回に渡って、前提となる認識を確認できたので、そろそろ本論ともいえる、いわゆる団塊世代、ここでいう「地方型団塊世代」が日本社会にもたらした影響の分析・評価に入ってゆこう。一般的な現代日本史の認識では、それは、貧しい発展途上国に過ぎなかった日本が、「Japan As No.1」といわれる経済大国の一つになったプロセスの一部として、ポジティブに捉えられている。確かに日本の高度成長は、20世紀の世界史においても特筆すべきエポックである。

まだ「棺の蓋を閉じた」ワケではないので、決定的かつコンセンサスとしての評価が下されているワケではないが、冷戦下においては、西側と呼ばれた先進資本主義諸国の間でも、主要国間での分業体制が組まれ、第二次世界大戦での連合国側が軍事的に主要な役割を果たす一方(長らく核保有国=常任理事国は、東西含めて連合国に限られた)、枢軸国側は、経済エンジンとしての役割を期待された。日本の高度成長は、その下支えとなったことは間違いない。

民族大移動ともいえる「地方型団塊世代」による第二期集団就職なくして、日本の高度成長がなかったのも確かである。そういう意味では、定説同様、ポジティブに評価しうる面を持っていることは間違いない。しかし、モノゴトには必ず裏表がある。今まではあまり語られることがなかったが、貢献も多くあったものの、負の遺産を生み出し足を引っ張る原因となったものも多い。産業経済の時代が終わった今だからこそ、客観的に振り返って、全体の収支決算ができる。

明治以降の日本の近代における経済の歴史は、常に期待される経済発展に対して、投入できるリソースが足りない中での、リソース不足との戦いであったということが出来る。資金も、経営資源も足りないし、社会インフラも不充分な中、限られたリソースをどう配分して経済成長を実現するか。これは、企業レベルにおいても、国家レベルにおいても、常に頭を悩ませてきた問題である。全体最適の解など、望むべくもない。その中で、せめてプライオリティーをつけて部分最適を実現する。

日本社会が、いわずと知れた「部分最適の鬼」になってしまった裏には、この「ナイナイ尽くし」のジレンマにより、「貧すれば鈍する」に常に陥っていたことも大きく影響している。よく、軍事予算優先体制に問題の原因を求めることがあるが、それとて、潤沢な予算さえあれば、軍事もインフラも経済も、全て理想通りの全体最適が可能である。軍事予算も含めて、絶対額が足りないからこそ、「部分最適のぶん取り合戦」になってしまったというのが正解である。

それでも歴史を見る限り、その中で精一杯背伸びしてがんばってきたと見ることが出来る。部分最適のワリには、それなりに苦労しつつバランスを取り、創発的に「結果オーライ」になったことも多い。少なくとも、戦前においても昭和10年代前半には好況を呈し、そのGDPレベルを取り戻すのは昭和30年代に入ってから、という事実がそれを示している。しかし問題は、部分最適が「短期的視点での最適化」という方に発露してしまった点である。

短期的にはウマく行っても、中長期的に見れば、その投資は、けっきょくは「安物買いの銭失い」になることが多かった。この典型的なモノが、大正期における改軌論がらみでの、鉄道建設の「改主建従」「建主改従」の議論である。この問題は、政友会と憲政会の政争がらみで、「我田引鉄」を図った地方議員の利権構造の中で捉えられがちだが、鉄道に詳しい人間の視点から見ると、実はそれだけではない。

そもそも幹線といえども、当時の路線の多くは、明治時代に開通を急いで建設された区間が多く、急勾配や急カーブが多い上に、路盤そのものが弱く、大正以降の経済発展に起因する輸送量の増大に対応するためには、改軌する、しないに関わらず、路線の改良は必須であった。実際、主要幹線においては、その後昭和40年代の電化・複線化時に至って、ルートそのものを一新した新線区間として建設することで、やっと路線改良が実現した。

確かに、この時期に建設された路線には「我田引鉄」そのもので、その後赤字ローカル線となって廃止されてしまった区間も多い。しかし、まだまだ基本的な社会インフラとしての基幹路線網が整備されていなかった時期であり、建設が必要だった路線も存在した。ここでも、予算さえ潤沢にあれば、幹線を路線改良し標準軌化するとともに、同時に必要な新路線を建設することも可能だった。その原資がないからこそ、予算の取り合いになり、政争の具となったのだ。

問題はこれだけにとどまらない。路線の改良が不充分だったため、強力で高性能な機関車を導入できず、中途半端な大きさと性能の機関車しか作れなかった。機関車というのは、「大は小を兼ねる」性質を持っており、大きい機関車を軽負荷で使うと、ランニングコストが下がるメリットもある。逆に、小さい機関車に無理をかけると、たちどころにランニングコストが上る。そういう意味では、短期最適の裏で、将来的なコスト増をもたらしたことになり、後の国鉄赤字の遠因の一つもここにあるといえるだろう。

そういう意味では、「地方型団塊世代」の民族大移動も、リソースが決定的に不足している中で、「短期的視点からの部分最適」でお茶を濁してしまうという、日本の社会投資の典型例ということができる。すでに、戦時下の好景気により確立していた「四大工業地帯」は、社会インフラや裾野産業も充分整備されていた。そこに労働力や資金を追加投入するのが、短期的な費用対効果は最大だし、投資余力もそれが限度だったのだ。

さらに、戦時中の破壊から復興するための投資や、戦前からの「短期的視点からの部分最適」で不足していた社会インフラそのものへの投資など、必要な投資をまかなうことすら難しい状況であった。中長期的視点から考えると、資金さえあれば、もっと全国的視点からの最適配分をすべきだったはずだ。しかし、それができなかったところが、高度成長期の日本の限界であり不幸である。そして、その生贄となった最大の犠牲者が、「地方型団塊世代」だったのだ。


(12/06/01)

(c)2012 FUJII Yoshihiko


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