犯罪ホームレス





貧困層に対するセーフティーネットや就業支援施策は、社会的に必要である。これについては論を待つまでもない。そして、それは公的資金を配分する作業ではあるが決して「バラ撒き」ではない。それらの制度は、バラ撒きのために仕組まれたものではないからだ。後から制度を悪用する人が出てくるかもしれないが、それは制度そのものの問題ではない。運用に問題があるだけである。

それらの施策は、本人に働く意思、自立する意思があっても、不幸にも病気や家庭の事情等でそれが叶わない人たちを支援しバックアップするものである。そして本人にそういう意欲があれば、親方日の丸、寄らば大樹の影のバラ撒き依存症には決してならない。しかしどうやら、世の中はそうではない人もたくさんいるようだ。特に、ホームレスや貧困層の「支援」を行なっている人達の中には、妙な主張をする方々が多い。

「ホームレスの人達は皆不幸な人だから、何をやっても全て許される」ということは断じてありえない。しかし、それに近い主張をする人達はいる。ホームレス支援を行なっているボランティアの一部の人などは、公園にブルーシートと段ボールで建ててしまった「住居」を、当然の既得権とし、それが多くの人が公園を憩いの場として使うチャンスを奪っていることに目をつぶっている。それどころか、不法占拠なので排除しようとすると、実力で抵抗したりする。

公共のもの、税金で賄われているものとなると、バラ撒きのイメージが連想されるのか、自分達にはそれを独占的に使用する権利があるという主張になってしまう。公共のものとは、誰でも共同で使えるという意味であり、誰でも勝手に独占できるという意味ではない。ましてや、自分達は弱者で保護されるべき存在なので、当然独占的に使える権利があるというのは、主張として飛躍しすぎている。

公園の水道を使って毎日クルマを洗車したり、公園の街灯から勝手に電線をひいて電気を無料で使ったりした事例については、窃盗としての司法判断がある。「みんなのもの」は、誰でも勝手に占有できるものではない。「公園だから」といっても、そこを通ったり佇んだりしても不法侵入にならないだけで、勝手に占有できないという意味では個人の敷地とかわらないのだ。

不幸なことは確かだし、そのためのセーフネットが必要なことはもちろんである。しかし、だからといって違法行為を行なって、周りの人々に迷惑をかけても免罪されるということにはなり得ない。それは、法治主義の否定である。その論理でいくと、不幸な人は腹が減ったら、他人の飯を盗んで食っても構わないし、正当な権利だ、となってしまう。こんな論理がまかり通ってしまえば、社会の秩序など成り立たなくなってしまう。

「革新」政党や左翼運動を行なっている人ほど、こういう妙な主張と親和性がある。そもそも共産主義自体、大衆に広まるときには、「他人のモノは俺のモノ」的な「横取りOK」とでもいうような主張がつきまとっている。まあ「革命」自体秩序の否定だし、暴動とか起きるときにはかならず商店の略奪とか起きるので、左翼的な発想はそもそも法律を破るところにアイデンティティーがあるといってもいい。

しかし、それなら最初から非合法活動、反社会活動でやるべきである。合法的な活動を装いつつ、その中に社会秩序を否定する行動を密かにビルトインしてしまうというのは、あまりにご都合主義である。ホームレスであろうと、弱者であろうと、犯罪は犯罪である。それを意識した上で、確信犯として「法を破るのが革命だ」と主張するのなら、それはそれで筋が通っている。自らリスクを取っているからだ。犯罪を犯していながら、これは犯罪でなく当然の権利だ、と主張するのは余りに無責任である。まあ、もともと「甘え・無責任」な人達だから、仕方ないといえばそうなのだが。


(15/10/02)

(c)2015 FUJII Yoshihiko


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