Gallery of the Week-Apr.00●

(2000/04/28)



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日本の絵本100年展
小田急美術館 新宿

世紀末企画の一環として、明治以来の、日本における子供のための絵本の歴史を振り返る企画。ガキがいなかったら、こんな企画に興味を持つとは思えないのだが、毎日子供の絵本を見ていると(読み聞かすというより、破ったり、ちぎったりしたページを直すということで、毎日のように絵本を見るハメになっている)、それなりに興味をひかれるし、自分の子供の頃の絵本との違いから、その歴史についてもそれなりに知りたいと思うようになる。会場は、圧倒的に女性が多い。というより女性しかいない。
明治初期においては、児童書はあっても絵本という考えはなかった。従って、本の中の挿絵は、「子供向き」というよりは、当時の浮世絵、引札といった、木版カラー印刷美術そのものである。これはこれでレベルが高いのでびっくりする。明治末ごろから、多分近代的な核家族や教育システムと機を一にしていると思うが、子供のための絵で中身を示す本というのがではじめる。それが確立するのは大正期なのだが、この時点ではあくまでも絵「本」であり、文字でお話を伝える本の一ジャンルとして、絵も重要な役割を果たす絵本があるという位置づけである。この流れは、そのまま戦後にまで持ち越された。ぼくたちが小さい頃に見た絵本は、確かにこういう絵「本」だった。
しかし、その後流れは大きく変わる。60年代末から、70年代初め、日本の高度成長期がその成熟した成果を見せはじめる頃、絵本も「絵」本として、アート表現のひとつのジャンルとしての地位を確立することになる。それ以降の絵本は、一つの作品である。だから出版物としては似ているし、書店で販売されることも共通だが、一般の大量販売される「メディアとしての本」とは違うポジショニングを獲得することになる。そういうワケで陳腐化しない。1970年の情景を描いた絵や、撮影した写真が、作品としては陳腐化しないのと同じである。
これで、なぞが一つ解けた。ぼくらの頃には、現代的な意味での「絵本」というジャンルは、まだ成立していなかったのだ。そして、ぼくらが絵本から卒業してまもなく、日本におけるオリジナルの「絵本」という表現ができ上がった。それらの作品は、作品として完成しているがゆえに、今も生きている。60年代末生まれ以降の後輩は、うちにある絵本を見てけっこう懐かしがる。それが不思議だったのだが、やっと謎が解けた。しかし、日本の文化というのは、けっこう深いものがある。改めて思い知った。



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アンディ・ウォーホル展
Bunkamura ザ・ミュージアム 渋谷

いろいろな面で20世紀後半、第二次世界大戦後を代表するアーティスト、アンディ・ウォーホルの生涯を回顧する総合展。ウォーホルのコレクターとして知られる、マグラビ氏のコレクションから、世界で行われている巡回展の一環。それこそ50年代のデザイナーとしてのデビューから、80年代に亡くなるまで、それぞれの時代を代表する作品を網羅的に展示している。特に、デザイナー、イラストレーターといった商業美術に従事していた50年代の作品群は、その後の軌跡を暗示しているかのように、キーワードともいえる要素がきちんとかいま見れるのが面白い。その後の作品はおなじみのシリーズも多いのだが、こういうカタチで流れを見ると、変わったもの、変わらないもの、それぞれが見えてきて面白い。
しかし、ウォーホルってわかりやすいよね。まあウォーホルのポピュラリティーって、そこに基づいているんだと思うけど。けっきょくは、割りきれるものはわかりやすいし、とっつきやすいってことなんだろうね。「モダン」が好まれる黄金率。いわば、レゴみたいなものは、理解しやすいってこと。それがそのままカタチになったのは、モダニズム。そのストレートさを精神性に活かしたのがアンディ・ウォーホル。こういう構図なんでしょう。そういう意味でまさに近代の申し子だし、もっとも近代的なアートということもできるだろう。これが実は人気のある理由じゃないのかな。
そういえば、50年代、60年代って、「モダン」が輝いてたよな。手書きの文字より活字。木の窓枠よりはアルミサッシ。ぼくらが子供の頃、明らかに近代は「カッコ良かった」。そういう時代だったし、子供の頃はそれに憧れてさえいた。アンディ・ウォーホルの作品を見ていると、その頃の感覚がなつかしく思い出される。カウンターでもなんでもない、メインストリームなアメリカンフィーリングだよね。しかし会場には、けっこう20代とか、今の若い人が多かった。近代が輝いていた時代、人生と夢がが輝いていたその時代を、本とビデオの中で「復習」することしかできない時代に育った彼らは、アンディ・ウォーホルの作品に何を求め、何を見ているのだろうか。なかなか不思議なものがある。



4/2w
'00 TDC展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

忙しいときの強い味方の一つ、ギンザ・グラフィック・ギャラリーだが、今回はそれだけではない。何といってもタイポグラフィーである。デザインの原点というか、書の芸術の伝統というか、文字の造形にはなんともそそられるものがある。それも、いろいろな意味で、文字と文字でない「アイコン」のボーダーライン上のものを見ると、異常にゾクゾクしちゃう。本当の文字だけど西夏文字とか、相当にくるよね。
そういう面では、一般参加の金賞「かいわれ」はアイディア賞。思わずうれしくなっちゃう。自然の力で、文字がボーダーラインを越えて文字でなくなっちゃうのは、タイポグラフィーを越えて、現代アートの作品としても秀悦。ハッピーにしてくれますねえ。
そしてやっぱりあった、架空の文字。これは燃えるよね。意味を伝えるために生まれたはずの文字なのに、意味がない。純粋に造形だけという純粋文字。ぼくの場合は、いまだかつて中国の長い歴史の中でも使われていない「偏と旁」を組み合わせた、意味無し漢字がいちばん好きなんだけどね。それでも漢字なら読みは合理的につけられるんだよね。こいつを書道とかで書いたらスゴいと思うんだけど。
けっきょく、デザインのディジタル化は、タイポグラフィーの一層の重要化というもっとも当たり前の結末を生み出してハッピーエンドということなのだろう。最後に愛は勝つ(笑)。右往左往するヤツ、尻馬に乗って火に油を注ぐヤツ。変化のプロセスの過程では、確かにいろんなことがあるし、いろんなヤツが出てくる。でも人間の感覚ってそんなにヤワじゃない。最初生と区別できなかったサンプリングピアノの音も、すぐにサンプラーの機種まで簡単に識別するようになってしまったじゃないか。雑魚が淘汰されるだけ。本物はいつの時代も微動だにしないということでしょう。



4/1w
デペロ展
東京都庭園美術館 目黒

デペロである。未来派である。ぼくは基本的には、モダニズムとファシズムというのは、物事の裏表、同じDNAをもった双子の兄弟だと思っている。モダニズムとファシズムの権化といえば、バウハウスとナチス。この両者は一見仲が悪そうに見えるが、そんなことはない。ぼくみたいなアンチモダニストからすれば、どう見たって兄弟喧嘩とか、内ゲバとかのたぐいでしかない。バウハウスの面々は、間違いなく誰よりもナチスになりたかったに違いない。しかし、国籍とか民族とかの問題で乗り越えられない壁があったがために、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」になっただけのことだろう。その証拠に、後になってナチス時代のモニュメンタルな建築を設計したり、ナチス関連のデザインや広報活動に携わったデザイナーの中には、バウハウス出身者が少なからずいる。
要はどちらも、ある種の大衆社会像を徹底的に最適化したものを求め、それを作ろうとしたということだ。それが徹底しすぎたドイツでは、結果的にストレートな蜜月関係は作れなかったが、その歴史と風土ゆえに、曖昧なモダニズムと曖昧なファシズム(本家はこっちなのに)のつかず離れない関係性が生まれたイタリアでは、未来派というそれなりに幸福な関係がうまれた。20世紀のはじめに来たるべき近代社会への期待を描き、ローマ以来のイタリアの文化に反旗をかかげつつ、けっきょくイタリア文化そのものを背負ってしまったというのが、なんともイタリア的でいい。余談だが、モダニズムが生まれるきっかけになったのは、ヨーロッパになかった「商業芸術」というコンセプトでショックを与え、19世紀に旋風を巻き起こしたジャポニズムであり、ここに枢軸国三国が顔を並べてしまうというのも深いものがある。
未来派には、いろんなカタチでアンビバレントな思い入れがあるので、つい前置きが長くなったが、今回は、未来派の主要なメンバーにして、イタリアの商業デザインの父ともなったデペロの総合展。その作品や作風は、日本でもよく知られており、名前やオリジナルは知らなくとも、そのスタイルは誰もがどこかで見たことがあるだろう。確かにモダン指向であり、未来派ならではの躍動感を具現化しているのだが、饒舌で、その後のモダニズムからいえば蛇足とさえいえる表現情報量の多さは、タイトル通りイタリアンデザイン源流と呼ぶにふさわしい。
あきらかにぼくからすれば、マインドにジャストフィットする表現形態ではないが、「気持ちは良くわかる」というところだろうか。晩年に行くに従って、オリジナリティーあふれるその造形スタイルこそかわらないものの、表現トーンがどんどん先祖帰りしていった足跡が偲べるのも興味深いところ。このあたりがイタリアンデザインの本質なのかもしれないし、ぼくがイタリアンデザインを好きになりきれない理由なのだろう。



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