Gallery of the Week-Oct.00●

(2000/10/27)



10/4w
芸術の旅人 堂本印象の世界展
高島屋東京店 日本橋

堂本印象である。とにかく、この人の作品は好きだし、この人の生きかたは尊敬している。日本人のアーティストではダントツに気に入っている。ちなみに、西洋美術のアーティストでは、ルーチォ・フォンタナがナンバーワンである。どちらも、美術史上に孤高の存在感を放っているところが好きなのだ。既にある土俵にのって、その上で誰かの後を継いでチャンピオンになるということなく、自分が勝負すべき土俵から自ら創り出してしまう。ここまで突き抜けてはじめて、真のクリエーティビティーともいえる。そんなマイ・フェイバリット・アーティストの生涯を展望する展覧会だ。
会場は、日本画期、宗教画期、洋画期、抽象期、晩年の5期に生涯を分け、代表作や大型の障壁画を中心に、大きなスケールで見せてくれる。しかし、のっけからこのオリジナリティーはなんなんだ。日本画ではあるけれど、既に日本画の歴史からは大きく踏み出した、かつてない輝きを放っている。当時から高い評価を受けていたということだが、当時の人はここに何を感じたのだろう。そして、過去の評価や手法を一度封印した上で、「近代西洋美術史をひとりで駆け抜けた」戦後のもう一つのキャリア。どの時期の活躍をとっても、それだけで存在感があるのに、何度もリセットをかけ新たな表現に挑戦、それでいながら全てが自分の世界になっている。
それにしても、この「全世界を自分の心の中に呑み込んでしまう」かのような位相のスケールは、いつ、どの作品を見てもワクワクするものがある。彼にとっては、あくまでも「世界」とは自分の心の中にあるもの。心の中こそが真実であり、リアルであり、外界の手で触れうるものこそ、カタチだけのヴァーチャルな存在だったのだろう。だからこそ、日本画の歴史も、中国の墨絵の歴史も、近代西洋画の歴史も、果ては仏教もキリスト教も日本神話も、あらゆるものをブラックホールのように取り入れつつ、それを自分のスタイルの中に昇華してしまうことができたのだろう。彼の心の中には、太陽以上のエネルギーとそこからもたらされるネグエントロピーがあふれていて、どんな外部の波もそのパワーの前には副次的な影響を与えるのにとどまってしまうのだ。
そんな唯一無二の堂本印象の作風。これだけのオリジナリティーを持ちうる人がいない以上、それをうけつぐことはできない。それ以上に、フォロワーがうけつごうとした時点で、そのオリジナリティーパワーを否定してしまうことになってしまう。彼の前に彼はなく、彼のあとにも彼はない。そこがいいところなのだが、一つ残念なことがある。それは、もし彼の方法論をうけつぐ後継者が生まれたら、尾形光琳のフォロワーが「琳派」と呼ばれたように、「印象派」と呼ばれたに違いないだろうからだ。表現者として洋画の印象派とは両極端の、こういう「印象派」がいたらけっこう面白かったのにとは、いつも思ってるギャグなのだが。



10/3w
没後60年
長谷川利行展 -下町の哀愁と叙情を描いた異色画家-
東京ステーションギャラリー 丸の内

恥ずかしながら、長谷川利行という作家については、全然予備知識がなかった。純粋に、今回の展覧会を紹介するコメントと、そこに添えられたカットの小さな写真が、妙に呼ぶものがあって、心に引っ掛かったので行ってみたのだった。しかし、それだけに新鮮な驚きがある。いろんな意味で天然な人だ。ものスゴいパワーがある。画面の情報量を越えて、作者の心の動きがつたわってくる。何百年たっても放射能をだしつづける放射性同位元素のようだ。
勢いに任せて一息で描きあげたようなその独特の荒いタッチは、写実性とかリアリズムといった形式的なまとまりからはほど遠い。しかし、リアリティーという意味では、この上ない実在性がある。作者が確かにその時に見て感じたことが、実に正直にキャンバスに写し取っている。技巧やギミックを考える間もなく、感じるや否やカタチになっているという感じだ。
それだけに、ムラは激しい。すばらしい輝きを今も放つ作品がある一方で、筆が滑ったような作品も確かにある。しかし、そこまで含めてこの作者らしいということなのだろう。アウトサイダー・アートに通じる構成や色調のプリミティブな魅力も、そこがポイントなんだろう。長生きしなかったのもよくわかる。この勢いで、このペースで作品作れば、そりゃ消耗するよね。
しかし、面白いのは作品と時代がシンクロしていること。気分や空気をそのままキャンバスに定着させているのだから、なるほどといえないこともない。荒俣師匠の帝都物語でも描かれた、大正デモクラシーから震災復興、普通選挙による政党政治といった、戦前日本の文化の爛熟期が彼の最も活躍した時代だ。そして、その時代の作品はまさにその時代の東京が持っていたに違いない活気を今に伝えている。その一方で、軍国主義の波が強まった昭和十年代の作品は、だんだんと内向的で勢いの萎んだものとなっていく。まさにナチュラルであるがゆえに、時代が作品を描かせていたということなのだろう。そういう時代の心を読める資料としても重要だと思う。



10/2w
日蘭交流400周年記念
秘蔵 カピタンの江戸コレクション -オランダ人の日本趣味- 江戸東京博物館 両国

一連の日蘭交流400周年記念行事の中で、江戸時代に出島にやってきたオランダ人たちが脈々と収集し、蓄積してきた日本関係の資料を中心に、内外の関連資料とともに展示する展覧会。個別には、シーボルト関連の展覧会等で公開されたことのある資料もあるが、ライデン国立民俗学博物館、ライデン国立自然史博物館、ライデン大学に所蔵されている、江戸時代の日本関連のコレクションを圧倒的なボリュームで照会してくれる。
18世紀から19世紀は、東西交流の活性化とともに、博物学が全盛の時代でもあった。未知のもの、未知の土地に対する好奇心が、体系的なコレクションを求めるパワーとなる。この膨大なコレクションは、そういう博物学的なモチベーションがどういうものだったかを今に伝えるものとしても貴重だ。とにかく、その関心の持ち方はハンパじゃない。目にしたものすべてに興味がある。そんな感じで、貪欲に集めまくっていたことがよくわかる。
日本は、世界的に見ても伝世品の資料が多い国柄だ。とはいっても、大事に保存されてきたコレクションは、やはり「ハレ」の品が多い。当時の一級の美術品や、技工を尽くした工芸品などは、比較的良く残っているものの、庶民一般の生活に根ざした「ケ」の品は余り残っていない。特に江戸時代は徹底したリサイクルの時代だっただけに、日用品はぼろぼろになって使い切るまで大事に活用された。その気風はその後も続き、なかなか一般の生活だったり、一般の環境や風景を伝えるものは残っていない。
ある意味で会場になっている江戸東京博物館自体が、実は希少な庶民の生活レベルの資料を体系的に見せるべく作られた場であるということが、それを示しているだろう。そういう意味では、江戸時代の庶民の生活や生活環境、果ては自然環境までをもきめ細かく収集したこれらのコレクションは、巨大なタイムカプセルとしてわれわれの前に、江戸時代の活きた姿を見せてくれる。お寺のお札は、江戸時代からほとんど変わっていない。それだって、目の前に現物が現れて実感できるというのは驚きだ。実に、知的好奇心を刺激される展覧会だ。


10/1w
トーマス・シュトゥルート:マイ・ポートレート
東京国立近代美術館フィルムセンター展示室 京橋

ひたすら淡々とした視線で撮り続ける写真が売り物の、ドイツの写真家、トーマス・シュトゥルート。これは、彼の代表的な作品シリーズである、街路、肖像、美術館などのシリーズを集めた展覧会だ。作品はどれも、写真の原点ともいえる構図と題材で、あたかも匿名の記念写真のような外見をとっている。それだけでなく、それはカメラが大衆化し、スナップショットが、旅行や個人的な出来事のもっとも基本的な記念物となる以前から、オーソドックスな絵画のスタイルとして親しまれていたものにも似ている。あるいは、アンセル・アダムスに代表される「偉大なる絵葉書」にも通じるものがある。
それだけに、自分の内側にある感情を排して写真を撮る、と評されることも多い。しかし、それはあくまでも表面的なこと。確かに、アマチュアの記念スナップは、アマチュアの印象派ぶった絵画のごとく、なにも感情なく、ただシャッターを押したというだけのものが多い。だからといって、そういうスタイルの写真が全てむ感情かといえばそういうことはない。それは、執拗なまでにハイレゾリューションにしあげられた画面に写しとられた現実は、悪意とさえいえるぐらい冷酷であり、醜いところ、取るに足らないところをあざ笑うかのように強調していることからもわかる。
このクールなまでの現実を見通す視線があるかぎり、彼の視線には強い意図が感じられる。その意味で彼はあくまでもカメラマンではなく、フォトグラファーなのだ。写真には、写真ジャーナリズムというスタイルがあるように、撮影者の意図を活かして、クールに現実を切り取ってくる機能がある。彼のスタイルはまさに、この機能を表現にまで高めたものといえるだろう。淡々と事実だけを語っても、けっこうぐりぐりといじめられるようなものである。ところで世代的にちかい関係か、ぼくには彼の作品の発想の中に、なぜか60年代末から70年代の激動期へのノスタルジアが感じられてしまうのだが、どうだろうか。



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