Gallery of the Week-Dec.00●

(2000/12/22)



12/4w
Point Of Purchase グラフィティー・アートの新しい波動
パルコ・ギャラリー 渋谷

アメリカで活躍する、ストリート、グラフィティー・アート出身のアーティスト、サンフランシスコのTWISTことバリー・マッギー、ニューヨークのESPOことスティーブ・パワーズ、同じくREASことトッド・ジェームスの三人の作品を紹介する展覧会。彼らが発信してきたグラフィティーそのものというよりは、現在のアーティストとしての彼らのスタンスを中心に見せる。
そういえば、あれは何だったんだろうというぐらい「なんでもあり」の60年代を過ぎ、70年代に入ったベトナム戦争後のアメリカは、いかにもグラフィティー・アートにふさわしい退廃感と倦怠感に包まれていた。やはりグラフィティーアートのやるせなさ、出口のなさは、そういうけだるい社会背景と行き場のないストレスが渦巻いてこそ輝いてくる。そう考えれば、昨今の情勢では、アメリカ社会より日本社会のほうが、よほどグラフィティーアートのキャンバスにはふさわしい。
実際、街で秀作の落書きもよく見る。単に70年代からのアメリカのスタイルをマネたモノだけでなく、オリジナルなスタイル、手法を取り入れたものも出てきた。もともと、日本には「族」以来の、スプレー書きの伝統(笑)がある。これらもとりこんで、閉塞感をラッカースプレーのエアとともに吹き飛ばせという意気込みは、これはこれで共感を呼ぶものもある。
そういう時代の日本で、「アート」になってしまった、もとグラフィティーの人達の作品を見るというのは、何とも複雑だ。表面的なタッチやマテリアルこそストリートの伝統を感じさせるものはあるものの、明らかに表現はポジティブになっている。はっきりいってストリートより、アメリカ現代美術や商業美術のタイムスケール上にのせたほうがいい。そんな彼らが、ゲストとして来日したようだが、一体、今の日本の渋谷の空気に何を見たのだろうか。そっちのほうがもっと気になる。



12/3w
書物変容-アジアの時空 西遊記版 本とコンピュータ展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

今週も時間がないので、手近にすます。忙しいときの味方、gggである。今回は、日本、韓国、中国、東アジア3国の、3人のエディトリアルデザイナーの作品展。西遊記をテーマにした、文字のオリジナルデザインと、アナログ・ディジタル双方の「出版物」での作例の紹介とで構成されている。各々、特定の個人の作風によるところも大きいので、必ずしも各国の出版デザイン界そのものを代表しているとは言い難い面もあるが、それぞれの置かれている事情や、かかえている課題・テーマといったものが、作品の裏に見え隠れして面白い。
まず日本。日本は商業印刷・デザインという面では、ジャポニズム・ブームで近代デザインに多大なる影響を与えた位、独自の基盤を持っている。江戸時代の大衆印刷文化は、世界的に見ても特異なものであり、グラフィックデザインも含め御家芸ともいえる。実際、今も使われる印刷・デザイン用語は、江戸時代の浮世絵製作作業にルーツがあるものも多く、印刷技術のレベルとも併せ、脈々とつづくものを感じさせる。当然、発想の幅にしても、取り入れる技法にしても、余裕が感じられる。
さて中国も、ここにきて一気にデザインの花が開いた感じがある。もともと独自の印刷・出版文化を持っているところに、他の文化を呑み込んで自己同化してしまう消化力の強さが身上だ。ハンバーガーも「アメリカ式の肉饅頭」になってしまうお国柄。異文化をとりこんで、中国式にしてしまってからが面白い。そういう意味では、グラフィックデザインも、輸入品から土着スタイルに移りつつあるのが見て取れる。好き嫌いはあるとは思うが、何か底知れない4000年の歴史を感じさせるうねりのパワーは文句なしにスゴいと思う。
一方、韓国の作品は、ここにきて何か迷いにも似たものが感じられる。何か、「オリジナリティーを出さねば」という使命感は強く感じられるのだが、それが重圧になっているような感じ。かえって、追いつき追い越せでイケイケだった90年代前半のほうが、欧米や日本のデザインの模倣も多かったが、突き抜けてた作品も多かった気がする。これがある意味で、現状の社会の雰囲気なんだろうか。デザイン自体、時代の気分を反映するものだし。そう思うと、けっこう面白いモノがある。



12/2w
広告、もう一つの出発点 「昭和20年代の広告」展
電通ギャラリー 銀座

年末、多忙な折り手前味噌で失礼ながら、今週は「昭和20年代の広告」展である。ポスターを中心に、雑誌広告など、主としてグラフィック系の広告作品から、日本の昭和20年代の広告事情と文化事情を探る展覧会だ。高度成長期の昭和30年代、テレビが登場して以降にスポットライトをあてた企画展は、デザインでも、文化風俗でも、世紀末企画ということで目白押しだが、昭和20年代というのは珍しい。なかなかシブい着眼点である。
とはいうものの、実際のヴィジュアルインパクトという意味でも、実にシブい。この時期自体が、戦中・敗戦のギャップとマイナスをどう取り戻すかという時期だったこともあり、ダボハゼのように何にでも食い付くバイタリティーこそスゴいものの、新しいものをクリエイトしようとか、楽しいもの、ワクワクするものを求めようというほどには、心の余裕がなかったということなのだろう。
しかし、よく見てゆくとこの時期自体が大きく二つに分けられる。一つは、まさにミッシングリンクを取り戻す時期。戦前のピーク期にすでに完成されていた技法や方法論を用いて、戦後になって自由になったテーマを語ろうという時期だ。これは今からみると、いかにも大時代的である。政治はさておき、文化や生活という面では、高度成長期までは戦前からの連続性のほうが強いという明かしだ。そしてもう一つは、その後の高度成長期を形作る、戦後文化の胎動である。20年代も末期になればなるほと、高度成長期の文化の胚芽が芽生えているのがわかる。しかし、その二つがどこかの時点でわかれるのでなく、渾然一体となって進んでゆくところに時代の特徴がある。
その二面性は、昭和30年代にまで実は持ち越される。ぼくらが物心ついてからも、それは都会と田舎だったり、大家族と核家族だったり、現れる局面はさまざまなものの、裏と表の二面性がどこにでもあった。多分20年代においては、それが外在的になるところまで行かず、一人の人間の中での二面性の様なカタチをとっていたのだろう。とにかく、闇市戦後風俗・カストリ雑誌みたいなテーマ以外、あまりスポットライトをあびない時代だけに、なかなか興味深く、勉強にはなると思う。50代以上の人には別のインパクトもあるとは思うが。



12/1w
写された国宝 -日本における文化財写真の系譜-
東京都写真美術館 恵比寿

われわれは、普段目に触れることのない文化財も、写真により鑑賞し味わっている。それだけでなく、実際の文化財を目前にしてもみることのできないようなディティールも、写真によりはっきりと認識することができる。このように、文化財と写真とは切っても切れない関係にある。この展覧会は、この写真と文化財の蜜月が、どのようにしてできあがってきたか、明治以降の歴史を振り返って見せてくれる。
展示されている作品は、仏像が中心となっている。明治初期においては、写真術自体がまだ揺籃期であったこともあり、いかに忠実に記録を取るかというところからスタートした。しかし、かなり早い時期から、その美術品のもつ味わいも含め、写真の中に定着させる試みがくりかえされてきた。そして、昭和の声を聞くとともに、美術写真の一つのスタイルとして確立した。
この裏には、代表的なビジュアル文化財としての「仏像」を、どう写真の中にとらえるかという問題があったことは間違いない。本来置かれているお堂の中で見上げる仏像と、それを美術館で面と向かってみたのでは、その味わいは大きく違う。また、修学旅行の観光バスのようにあわただしい中で見るのと、ひとりじっくり静かな中で見るのとでは、感銘は大きく違う。この表情の幅が、日本の仏像の魅力でもある。これを写真に撮るとなると、単なる風景写真としての観光写真や、ブツ撮りのような商業写真とはまた違うテクニックが必要になる。
まさに、ポートレートを撮るような発想とテクニックが必要となる。それだけに、撮影する側の表現意図やイメージが、大きく問われることになる。これはもはや、記録や記念の域にとどまりえない。そういう意味では、日本の代表的文化財である仏像が、日本の文化財写真を、そして写真表現自体を拡げたということができるだろう。写真を見ているだけでも充分楽しめる展覧会だ。



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