Gallery of the Week-Nov.01●

(2001/11/30)



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世界の巨匠10代の作品展 きらめく才能との出会い
O美術館 大崎

おかざき世界子供美術博物館というのがあるらしい。有名なアーティストの子供の頃、若い頃の作品の収集をキーコンセプトに運営している美術館だそうだ。この展覧会は、そのおかざき世界子供美術博物館が収集している主として日本の有名なアーティストの子供の頃、若い頃の作品コレクションを展示する企画展だ。子供のころの作品、というのはアイディアとしては面白いし、アーティストとしてめざめる前の、本当に「子供」の頃の作品もあるらしい。これはけっこう興味をひかれる。
ぼくとしては、個人的好みからすると「子供のときから、あっちへ行きっぱなし」みたいな人がいないかな、というのが楽しみだったのだが、これはアッサリ裏切られてしまった。まあ、日本人のアーティストの作品が多いということもあるんだろうが、一般的な意味で「写生の上手な子供」が描いた絵か、キチンと先生について「基本的画法にのっとって勉強した」感じの絵か、どちらかがほとんどである。けっこうイケてる子供だった方もいないわけではないが、それを感じられるものはごく少数、それも片鱗が感じられるというところであろうか。
まあ、江戸時代から美術教育のシステムはあるし、多くの作品を作った年齢である十何歳といえば、それなりに興味をもってレッスンをつけてもらっている年頃だろうから、そういうことなんだと思う。それはそれで事実としてそうなんだろうから仕方ないが、やっぱりつまらない。栴檀は双葉より香ばし。ガキの頃からぶっ飛んでるような人が「一流」と呼ばれる国にならないと、日本なんてダメだろうね。職人の国は滅びるよ。プロジェクトXなんて見て喜んでるような国じゃダメだ。



11/4w
life/art '01展
資生堂ギャラリー 銀座

かつて資生堂ギャラリーを舞台に行われていた「現代工芸展」を、現代的な視点から再構成した展覧会。今回は5人の作家、今村源、金沢健一、須田悦弘、田中信行、中村政人のメンバーを固定し、今後5年間にわたって毎年秋に新作の合同展を開くという企画で行われることになった。工芸とはいっても、今回のメンバーはかなりアートよりの人選である。
とはいうものの、全体としてみると、やはり通常の作品展とはちょっと違う。あまり作品が雄弁ではないのだ。解説があって、はじめて「ふむ、そうか」とわかる要素も多い。何をもって評価のポイントとすべきか、今ひとつ掴み切れない感じもする。そういう意味ではけっこう見るほうの視点が難しいともいえる。
そんな中では、中村政人氏の作品が面白い。どこに線が引けるというわけではないが、ならべてみるといちばんアートよりにあることがわかる。特に屋外に展示している「トコヤマーク」はおもしろい。しかし、惜しむらくは、あれを銀座通りの側にならべてほしかった。何か規制があったのかもしれないが、それができていれば出色だと思うのだが。



11/3w
「うたたね」 竹内倫子写真展
パルコ・ギャラリー 渋谷

渋谷のパルコpart1に行ったら、エレベーターに8Fのボタンがない。8F改装中となっている。いつの間にか、パルコギャラリーは、パルコpart1の地下に移ってたのであった。新設のパルコギャラリー。そういう会場は消える傾向にある中で、まずはけっこう。美術書のロゴスギャラリーの並び、というのも、美容室の隣よりは文化の香りがしてけっこう。ということで、竹内倫子の写真展である。
とにかく、展覧会の案内のページにのっている小さい作品の紹介を見ただけで、妙に気になってしまった。そういう意味で、作品のインパクトは相当なものがある。しかし、実物のプリントは別の意味でインパクトがあった。何か感じるものはあるのだが、果してそれを語る言葉をもってない。説明のしようがないインパクトが、それも強烈にあるのだ。
表面づらは写実というか、相当にリアリティーのある写真ばかりだ。しかし、何といえばいいのだろうか、虚像というか、スカというか、あると思って掴みにいくと何も手応えがない。それが次々とくりかえされると、気持ちいい脱力感に包まれる。多分、この浮遊感とでも言うようなニュアンスが表現したかったものなんだろうと思う。
しかしこんな世界は、つくろうと思って作れるものではない。ある種、天才的な能力の賜物だと思う。リアルでもヴァーチャルでも、そんなものはどっちでもいい。ウソでも真実でも、それだってどっちでもいい。それはそれで、とても時代にあっているし、時代が求めている感覚なんだと思う。そのうち、これを語る言葉が生まれてくるのだろう。おもしろいよ。



11/2w
サイトウマコト展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

日本のグラフィックデザイン史上に、燦然とその名を轟かすグラフィック・デザイン・アーティストとも呼ぶべきデザイナー、サイトウマコトの作品を、ポスター作品を中心に振り返る展覧会。アパレル関係ブランド企業を中心に、強力な存在感と個性をアピールする作品が集められている。もちろん、個々の作品の内容的な充実も見所だが、それ以上に、こうやって作品を通してみることにより、これらのポスターから伝わってくるメッセージとしての、「クライアントの志の高さ」が一際目立つ。
元来、広告とは手段である。クライアントがそこでコミュニケートしようとしている目的とメッセージの内容が明確であればあるほど、広告はパワーを持つ。手段としての広告のためには、芸術から科学まであらゆる方法論を動員することができる。しかし、手段としてのフリーハンドが広すぎるがゆえに、目的や内容があいまいなままコミュニケーションを図ろうとしても、その曖昧さや空虚さを強くアピールするだけで終わってしまう。何をコミュニケートしたいかわからないCFを何千GRPも流した日には、「私は自分の名前もわからないバカです」ということを天下に知らしめる以外の効果はない。
その正反対に、クライアントの意思が明解で強固ならば、使われるツールがプリミティブであっても、それ自体が強力なメディアとなってしまう。ここに展示されているポスターの多くが、アパレルブランドという、それ自体の主張やメッセージの明解なクライアントであるということはさておいても、コミュニケーションしたい中身と、広告というカタチがピッタし一致したときのパワーにははかり知れないものがあることを改めて感じさせる。なにはともあれ、コミュニケートしたい中身。企業としてさえ文化や中身のない「負け組会社」には、どこを探してもマーケティングのマの字もなかったのは、むべなるかな。もともと広告ってそういうものなのだ。
これに触発されて士気が高まらないようでは、一流のアドマンとはいえない。これはアートの領域でも存在感を示す作品である以前に、立派に企業からのコミュニケーションを成り立たせている広告なのだ。広告はアートをも呑み込む、もう一枚スケールの大きい表現なのだ。そう考えてゆけば、名前だけは一昔前に流行ったメセナではないが、企業からの文化発信がなんでアドマンのプロデュースすべき領域なのかまで見えてくる。時代の閉塞感を打ち破るのは、広告のコミュニケーションパワーしかない。そんな気もしてくる。業界関係者必見。



11/1w
20世紀イタリア美術
東京都現代美術館 木場

久々に時間が取れそうだったので、久々に現代美術館へと行ってみる。思えば、都営地下鉄の大江戸線が開通してから行ったことがない。木場公園の地下は大江戸線の車庫になっていたりするのだが、そんなことはどうでもいい。で、「20世紀イタリア美術」である。2001年日本におけるイタリア年の一貫として行われるこの展覧会は、20世紀のイタリア現代美術100年の流れを、およそ10年ごとの10章でくぎり、代表的作家の作品100点で振り返ろうというものである。
ただでさえ集客力の問題が指摘された立地にある東京都現代美術館である。こういうご時世の中でいったいどうなっているんだろうと気にはなったが、行ってみると案ずるほどではない。人が一杯いるわけではないが、それは昔からのこと。海外の現代美術館と比べても、そんなに違うわけではない。ちょうどゆっくり鑑賞できる、という程度の人数はいる。掛けたコストの大きさはさておき、施設の立地としてそんなに無理というワケではないのかもしれない。
さてイタリアの現代美術というと、未来派以来、個々のアーティストについてはよく知られているし、特にグローバルな現代美術のムーブメントの中ではよく紹介もされている。しかし「イタリアの現代美術の流れ」となると、個々のアーティストほどには接する機会がない。もともと「なんでもあり」のイタリアだし、歴史の長さが閉塞感を生むという、ヨーロッパの中でも異色の文化環境を持っているワケで、それなりのモノがあるとは思うのだが、触れるチャンスが少なかった。
そういう意味では、今まで知っていた「横糸」とは別の「縦糸」の構造が理解でき、とても興味深い。ある意味では、欧米から見た日本の現代美術もそうなのかもしれない、とふと思った。けっこういろんな人がいろいろやっているし、長い文化的バックグラウンドとのインタラクションの中で、葛藤したり、イマジネーションを拡げたりという面では、なかなか共鳴するところも多い。イタリアそのものが好きな人も、そうでない人も、知的好奇心を満足してくれるイベントである。しかし、やはりフォンタナはスゴいなぁ。



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