Gallery of the Week-May.02●

(2002/05/31)



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東日本-彫刻
東京ステーションギャラリー 丸の内
東日本地域(JR東日本のフランチャイズという意味での「東日本」らしい)に在住、またはアトリエを持っている現代の立体作家39人を、やはり東日本で活躍するキュレーターや評論家が選び出し、それぞれ新作を制作して行う企画展。エスタブリッシュされた作家から若手まで、同じ土俵で作品を競い合う。1立方メーター以内の体積で屋内にかざれるもの、という条件から、最近の立体作品としては珍しく、見るものにとっても親しみの湧く大きさの作品がそろった。
これが功を奏している。立体作品の展覧会というと、なんでもありの異種格闘技戦になってしまうことが多いのだが、作品群はきっちりと四つに組んでいる。それに、生活空間の中に存在してもオカシくない大きさなので、全体像からディティールまで、バランスよく見れるのも、逆になんか不思議な気分になってしまう。確かに、自分の家に置いたらメチャクチャ大きいのはわかるのだが、なんか一つ欲しくなってしまうようなものも多い。妙に新鮮な気がした。
しかし、そうだろうな、とは思って言ったのだが、東京ステーションギャラリーはこの手の彫刻、立体造型にはぴったりの空間だ。その線で行くと、今回の39作品というのはちょっと詰め込みすぎの感がある。4つの展示室で、各2〜3作品。計10点ぐらいで、空間をいかしたインスタレーションをするとスゴくいい感じ。レンガの間の隙間に焦げた材木が入っているという、廃墟感も一段と生きてくる。なんかそういう企画も期待したくなった。





5/4w
仲條のフジのヤマイ タイムトンネルシリーズvol.15 仲條正義展
ガーディアン・ガーデン 銀座
高度成長期の日本におけるデザイン界の変化の中を、1950年代からリアルタイムで活躍してきた生き証人の一人である仲條正義氏。彼のたどってきた50年にならんとする道を作品により振り返る展覧会。グラフィックデザイン界の中でも広告界から比較的離れた独自のポジションをもって活躍してきただけに、作品にしろ方法論にしろ、独自のものが光っている。
大胆に時代を取り入れても迎合することなく、さりとて我流を貫いても時代から乖離することなく、常に一定のペースで独自の方法論を持ちつづけられたのは、やはりこのスタンスによるところが大きい。そういう意味では、依頼主があり、そのオリエンテーションがあるということは、何とも因果なものであると感じてしまう。
そういう視点を持っているだけに、変化する時代のどまん中で、一人のクリエーターがどういう道筋で駆け抜けてきたかだけでなく、一人グラフィックデザイナーの目を通してみた日本のデザインの変化という視点からも見ることができ、大いに興味をそそられた。でも、もうこういう人が出てくる土壌ってないのかな、という気もしてきてちょっと寂しい。



5/3w
フォト・アートの誕生 マン・レイ展
Bunkamura ザ・ミュージアム 渋谷
ダダイズム、シュルレアリズムといった20世紀初期の現代アート勃興期に、写真というメディアを駆使して、新たな表現の地平を探ったアーティスト、マン・レイ。その作品を、多数のオリジナルプリントを含む数百点に渡る展示により網羅的に紹介する展示会。とにかく、その物量には圧倒される。そして、その数ゆえに見えてくるものもある。マン・レイといえば「写真は芸術ではない」という言葉で有名だが、このありあまるほどの「作品」を見渡すと、その意味も自ずと伝わってくる。つまり写真自体は彼の作品にとっては、あくまでもメディア、絵画にとっての額縁や美術館のようなものなのだ。
あくまでも彼のイメージする「作品」は、そのフィルムに定着されている「インスタレーション」だったり「パフォーマンス」だったりする。商業写真家としての実績もあった彼は、写真のもつ可能性も、限界もよく知り尽くしていたのだろう。その分、ビジュアル表現としての写真作品の可能性以上に、写真というメディアを通して、限られた時間軸や空間軸の中でしか存在しえなかった作品のイメージを、時空を越えて固定することを目指したのだと思う。短編の実験的映像作品も二作出品されているが、現代だったら、ヴィデオアートやCGなどを駆使した作品を発表していたことだろう。
さて、今回の見所の一つは、商業写真家、ファッション写真家として「ヴォーグ」「ハーパースバザー」といった雑誌で活躍していた時代の作品である。アート的な作品や習作的な作品は目にする機会も多いものの、この時代の作品をまとまって見られるというのも実に興味深い。まるでアラーキー師匠の電通時代の作品を見るようなものである(笑)。レンズとカメラとフィルムで写せるものは「真」でもあるし「虚」でもある。そしてファッション・グラビアの撮影でも、ブツ撮りでも、その道を極めた人だけが、その「真」と「虚」を自由にコントロールする術を知る、ということだろうか。



5/2w
DRAFT展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座
宮田識氏の率いるデザイン事務所「DRAFT」の業績を集めた作品展。彼らの作品は、基本的にはグラフィックというよりビジュアルイメージのデザインが基本発想のようで、プロダクトデザインや、店舗・環境デザインのほうへその領域を拡げていったのも自然な流れということがよくわかる。ある意味でそれぞれの時代を背負った、極めてオーソドックスな作風を見てとれる。
しかし一連の作品を見ていると、文字のアレンジメント、タイポグラフィーとかレイアウトの芸風については、どうしても違和感を覚えてしまう。「好みの問題」といえばそれまでなのだが、そういう言い方でいくなら決して好みではないということだ。しかし、個人的にはグラフィックデザインにおいては文字に特に思い入れがある分、ちょっと見過ごせないということだろう。色、カタチ、という部分が「王道」で行っているだけに、あえてハズしてきたのか、というくらいガクッときてしまう。
極めて生真面目な人が、ひとことだけジョークを言っても、聴いているほうには、それがジョークなのかマジなのかわからなくて困っちゃうのに似ている。もっとも、気に入っている人にとっては、そこのハズし感がこよなく気持ちいいんだろうな、ということも「理解」はできるのだが。だとすると、次はどこに行くのだろうか。メインストリームなくして、ハズし感は出しえないものだし。



5/1w
みうらじゅん"キョーレツ!"3本立! 〜描いた!貼った!捜した!〜
ラフォーレミュージアム 原宿

みうらじゅんといえば、その微妙な立ち位置が特徴である。あっち側に行きそうで、ギリギリボーダーラインに乗っていて、それでメジャー感を出す。こういう芸風を持つ「サブカル的」な人はそれなりにいる。しかしそういう多くの同類とは違い、彼は決してメジャー側からカウンター側を覗いているわけではない。それぶってはいるが、基本スタンスは「あちら側」にある。それは彼の造詣の深さやこだわりのポイントを見てもわかる。決して一朝一夕のミーハー的なマニアにはなれない。あちら側から、思いっきり手を伸ばしてメジャー側に球を投げ込んでくる。ぼくの場合このアタりの感じは、世代的に近いこともあり、なんか見えてしまうのだ。実は面識がないのだが、会ったらきっとものスゴく仲良くなるか、あいつだけは許せないという強烈なライバルになるかどっちかだろう。中間的なものはないと思う。
さて、今回の「個展」は、3+1部構成をとっている。思い入れをカタチにした近作の絵、誰もが経験ある愛用スクラップブック、こだわりのレコードコレクションをメインに、イベントの写真展を加えたテンコ盛りの構成である。しかし、この中でもなんとも気をひくのが、愛用のエロスクラップコレクションである。誰もがやっているが、中身を見られるのがもっともハズカしいという、エロスクラップ。かつて関根勤が、往年のアイドル特集番組の中でアグネスラム等の巨乳系アイドルの話題になると、「ぼくもスクラ」まで言いかけて、流石にその先「ップブックでお世話になりました」とはいえなかったという、一部では有名な事件もあったぐらい、それは秘すべきモノなのである。それを公開するという。一体どう見せるのか。秘部が見れるのか。ワクワクしながら会場に向かった。
しかし結論を言うと、見事にはぐらかされてしまった。基本的に公開されているのは、白夜等に代表される、自販機や古書店等の特殊ルートで販売されていたエロ雑誌からの切り抜きに限られている。エロスクラップにはそういうものもあるが、それはメインのオカズではない。箸やすめである。雰囲気を盛り上げるような前戯の部分だ。本当のオカズは別にある。それは人によって違うが、ロリだったり、熟女だったり、プランパーだったり、毛深かったり、筋肉質だったりと、人には言えない本心の反映である。そういうページもあるには違いないと思うのだが、そこは想像力の先でしかない。まあこの切り替えしが、彼のメジャーたる由縁なのだろう。
そういう意味では、まるでかつてのビニ本のごとく、勝手な妄想をアッサリ裏切られてしまったわけだが、彼も流石にやっさんとか勝新とかいった破滅型の芸人ではないので、そこまで自分をさらけ出すことはできないだろうし、ましてや原宿で若い女性もやってくる個展にはならない。それはそれとして、個展という意味ではけっこう面白い。彼の場合コトバがあって芸になるところも大きいので、スクラップにもそれなりにコメントが欲しかったのが残念といえば残念だ。



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