Gallery of the Week-Nov.03●

(2003/11/28)



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中国五千年の名宝 上海博物館展
そごう美術館 横浜

横浜と上海の友好都市提携30周年記念事業の一環として企画された、上海博物館の所蔵品による、文物で振り返る中国の歴史の展覧会。上海の博物館は、北京の故宮、南京の博物館と並んで中国の博物館の中でも存在感の大きいところである。実は上海博物館といえば、個人的には昔、上海に行ったときに見に行こうと思って前まで行ったら、改装のため休館中という苦い思い出がある。それはさておき、そごう美術館も、そごうが西武と一体化して完全復活してからはじめてである。確かに、店内もかつてのそごうではない。雰囲気からしてそごうと西武が一緒になっている感じ。実際、そごう美術館も、クラブONカードで割引になったりする。
展覧会は、大きく4部構成で、おなじみの青銅器にはじまり、仏像、陶磁器、書画というブロックになっている。この手の展覧会ではいつも思うのだが、いったい古代の青銅器というのはどのくらい存在しているのだろうか。中国のどこの博物館でも、「これでもか」という物量で迫ってくるし、こういう出開帳でも、こと青銅器に関しては質・量共に相当のヴォリュームである。それに比べると、仏像、陶磁器は、一通りその歴史を概観できるコンパクトな展示となっている。
残念なのは書画である。確か、それなりにコレクションがあるはずなのだが、ここでは明・清の文人画にほぼ絞った展示となっている。これも、古い拓本とかでもいいから、ある程度の歴史をレビューできるような構成になっていれば、中国美術の入門としていい感じになっていたと思うだけに残念な気もする。それより、もはや孤塁となってしまった感のある百貨店の併設美術館が、一度はツブれてしまったそごうに残っているというのは、何とも感慨深いものである。



11/3w
ハピネス アートに見る幸福への鍵
森美術館 六本木

バブルの頃は、新しいスポットができると、とるものもとりあえずまずは行ってみる、というのが日常だったが、この一年ぐらいに続々と生まれたスポットについては、余程の用事があったついでとかでないと足が向かない。なんといっても、仕事場自体がそういうスポットの高層ビルの上のほうにあるので、見晴らしがいいのも付加価値にならないし(ちなみに、会社のぼくの席からの眺望は、ビルのてっぺんにある鳴り物入りのバーの眺望とほとんど変らない)、ましてや高齢者の観光客であふれかえっている中をかき分けていくのも、毎日毎日やっているので食傷気味だからであろう。そんなワケで、六本木ヒルズもワキはよく通るものの、中に入ったことはなかったが、行く用事ができたので、ついでに森美術館へも初見参となった。
しかし、これはなんと評すればいいのだろうか。少なくとも、今までの「美術館」とか「美術展」という枠の外側にあることは確かだ。もし、ここに集められた作品が、全て森一族のコレクションならば、これはまさにあるコンセプトに基づいて、作品をコレクションしてゆくという、ヨーロッパの正統的な美術コレクションそのものである。しかし、これらの作品は企画展の借り物であり、コレクションとしてはヴァーチャルでしかない。その一方で、たとえば万国博協賛の美術展のように、そもそもテンポラリーなイベントであれば、ハコも含めて「ヴァーチャル」というような見せ方もあったが、少なくともハコは永続的なものを目指している。
違和感はあるものの、新しいあり方を目指していることは感じられたので、その評価についてはもっと長い目で見るべきだろう。しかし、その存在感という面で脳裏を過ったものが二つある。その一つはディズニーランドである。ディズニーランドというテーマパーク自体は実在の存在であり、そのアトラクションもリアルな存在である。それだけでなく、たとえばウェスタンリバーなどは、本当の蒸気機関車(重油焚きではあるが)を作って走らせているほどの凝りようである。だが、そのリアルさ自体が、ヴァーチャルなイメージをより堅固なものにするための道具となっている。それと同じように、この企画展自体は全てフェイクでも成り立つだろうが、あえてホンモノのアートをその構成要素としてしまうことで、リアリティー自体(六本木ヒルズという場所のリアリティーも含めて)をうすめてしまうかのようである。
もう一つは、京都である。ここもディズニーランドと同様、多くの観光客が訪れる。京都の観光地としてのバリューは、京都には確固とした歴史があり、その根に支えられて寺社や文物があることによって支えられているのは言うまでもない。しかし、多くの観光客にとって、そんなことはどうでもいい。空海の活動や真言宗の教えを知らなくても、「東寺は東寺だから」でいいのだ。五重塔があって、仏像曼荼羅があれば、ここの仏像の意味など問わなくても、観光客は来る。ほとんど美術館にこないようなお客さん(わずかな時間だったが、出展品に触ろうとして注意されている観覧者を何人も見た)にとっては、ここはそういうトコロなのかもしれない。それを確信犯でやっているとしたら、デヴィッド・エリオット氏はタダモノではないぞ(笑)。



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伊能忠敬と日本図
東京国立博物館 上野

日本の近代地図の祖、伊能忠敬の業績を、江戸開府400年記念協賛イベントとして一堂に集めた展覧会。伊能図の大図、中図、小図の展示はもちろん、日本地図の歴史を考える上でなくてはならない各種地図を集め、展示する。伊能忠敬の地図は、知らない人はないと思うほど有名であるが、実際に見るチャンスとなると、これが中々少ない。さらに、一枚、二枚の断片ならいざ知らず、まとまった分量を集中的に見れることは珍しい。実際ズラリと揃ったところをみると、教科書とかで見る以上にヴォリューム感と迫力がある。
今回の展示は、特に大図、中図では、北海道と九州の地図が中心となっている。北海道と九州といえば、その昔SLブームの頃、蒸気機関車の撮影にゆき、実際に主要な路線にそって撮影しながら、延べ何十キロと、相当距離を踏破した経験がある。つまり、その図上の距離を実際に歩くとどのぐらいかかるかという感じが、経験的にわかる地域でもある。そういうこともあり、改めて忠敬一行の測量ツアーが、いかに大変なものであったか、改めて感じられた。
さて、いつの間にか本館のリニューアルも進んでいて、新しいコンセプトで全体の展示が再構成されていた。一階は、今までのジャンル別展示を踏襲しているものの、ジャンル概観だけではなく、各ジャンルごとの特集テーマを決めた展示も取り入れられている。二階は先史時代から近代までの「日本美術の歴史」がテーマのストーリーのある展示になった。全体に展示もスペース的な余裕が大きく、見やすく分かりやすい構成になっている。財宝が死蔵されている「博物館」というイメージから、見せる場に変わりつつあることは伝わってくる。
独立行政法人化ということで、今まで長年慣例化していたパターンを脱し、新しい博物館像を築こうという意気込みは感じられる。とはいうものの、まだ世の中一般のミュージアムの展示からすると、まだ「追いつけ」のレベルであることも否定できない。収集品のレベルについては、圧倒的な強みがあるのだから、オリジナリティーあふれる見せ方さえ確立できれば、大英博物館やスミソニアンのように、それを見に観光客が来るような感動を呼び起こすことも不可能ではない。来年に向かって、まだまだリニューアルの試行をするということなので、この面でも期待したい。



11/1w
工芸の世紀 明治の置物から現代のアートまで
東京芸術大学大学美術館 上野

江戸時代の町人社会の文化の高さは、浮世絵に代表される独自の大衆美術を生み、それがめぐりめぐってジャポニズムを生み出した。日本の伝統工芸品も、その流れの中で高度な発展を遂げ、幕末から明治期にかけては欧米で尊ばれ、重要な輸出品として富国強兵の外貨獲得に貢献した。東京美術学校は開校時から、岡倉天心の発案により、金工、漆工の工芸科を開設し、工芸の発展を人的、質的両面からバックアップした。それ以来一世紀にわたる工芸教育の成果をもとに、近代日本の工芸の姿を振り返る展覧会である。
そういう流れがあるので、初期、明治期の工芸は、あくまでも技術であった。江戸時代からの技術を体系化して伝え、それをさらに発展させてゆくところに主眼があった。従って、作品そのものは、過去の名品の復刻であったり、動植物といった自然物であったり、絵画に代表される他の芸術作品のレプリカだったりする。しかし、社会の大衆化・工業化が進み昭和に入ると、表現が先に立ち、それを具現化するための技術というカタチで主役が入れかわってくる。その変化を現物で実感できるところが一番のポイントだろう。また、明治期の技術の粋を集めた金工作品は、今ではあまり見るチャンスがなく、新鮮な驚きがある。
さて、工芸の領域で使われる技法は、また別の趣味である模型工作とも関係が深い。青銅や銀の鋳造作品では、ロストワックス手法が使われているし、彫金はプレスに通じる。エッチング技法がないくらいで(明治時代には写真製版ができなかったので仕方あるまいが)金属加工のプロセスは同じである。また、漆の仕上げは、塗装に通じるテクニックが多い。手法を示す教材を見ると、意外なくらい共通点が多い。
そこで、ハタと気がついてしまった。スーパーテクニックを駆使し、最高の精度と技術で組み上げたクラフトワークの模型作品。これははっきりいって脱帽モノだし、それを作った作者の熱意と技術には、ただただ尊敬するばかりではあるが、その作品の向こう側に何を見たくて、その作品を作ったのかが第三者には伝わってこない場合がしばしばある。スゴいんだけど、スゴいだけなのだ。その一方で、テクニック的には稚拙なところがあっても、その作品に込めたかった「気分」が溢れんばかりに伝わってくる作品もある。この両者は、やはりここでいう「明治期の工芸」と「昭和期の工芸」のように、似て非なるモノとしてとらえることができるし、そのほうがそれぞれの真価をとらえることができるのではないか。長年モヤモヤしていたわだかまりが、思わず氷解した。



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