Gallery of the Week-Nov.03●

(2003/12/26)



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平賀源内展
江戸東京博物館 両国

今年もはや年末進行、ということで、今年の更新もこれにておしまい。今週は、江戸東京博物館の平賀源内展である。江戸開府400年記念イベントの締めくくりとして、江戸時代を代表する天才・奇才、偉人・怪人である、平賀源内の活動を、その多方面の活躍の後から振り返る。どちらかというと鑑賞より見学というか、「お勉強」的な資料が多く、冬休みということもあって、中・高生の入場者が多いのが目立つ。
それにしても、その業績を見てみると、源内がなによりハードではなく、ソフトのヒトであることがよくわかる。実際にからくりを作る技術、絵を描くテクニック、文章をひねり出す技術といった、ハード的技術力も高いのだが、その本質はそちらではなく、それらの技術はあくまでも彼にとっては手段である。それらの技術を使って達成したい成果というか、ソリューションこそが、彼の目指していたモノであることがよくわかる。当時から、日本ではプロジェクトXというか、手先の技術指向だけの職人(もちろんその技術力は極めて高いのだが)が多かった分、彼の発想力は大きく光っていたことが理解できる。
しかしやはり気になるのは、こういう活動の資金を彼はどうして得ていたのかという点である。もともと今に続く地方の名家の三男ということで、江戸時代によく見られたように、基本的な生活については特に気にせずとも苦労がなかったのだろう。それだけでなく、いろいろなパトロンや出資者も多かったとは思う。しかし、こういう「知的な風流人」に、それなりの金が廻ってくる社会というのは、どう考えても文化度が高い。
確かに、明治期ぐらいまでは、飛び抜けた人間と、そのパトロンになる篤志家がいたし、そういう人達が文化を育ててきたことは間違いない。今の時代も、天才・奇才はいると思う。これは、才能の問題だから、確率論的にとらえることが可能だからだ。問題なのは、パトロンがいないこと。これこそ、所得や資産が平準化してしまったことの最大の罪悪であろう。悪平等・総中流化が文化を殺したのだ。



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レベルX ファミコン生誕20年 -テレビゲームの展覧会-
東京都写真美術館 恵比寿

任天堂の「ファミリーコンピュータ」発売から20周年という節目をとらえて、今や日本を代表する一大産業にも文化にもなったテレビゲームの歴史を振り返る企画展。「映像」の延長上で、デジタルエンターテイメントにも力を入れる東京都写真美術館が、新ジャンルの展示として企画したモノ。その由来からして、展示の中心が「ファミリーコンピュータ」全ソフトと任天堂のゲーム機、周辺機器の展示に置かれているのは仕方あるまいが、他のメーカーのソフトや機種も、エポックメイキングなものについてはフォローしている。それにしても、よく集めたモノだ。資料性も高い。
振り返ってみれば、日本のディジタル・ゲームの業界自体が、バブルに向かう80年代とともに勃興し、バブル崩壊も何するものぞ、90年代前半に至って、大きく開花した。ぼく自身、そのかなりのプロセスを、内側や裏側から見ていただけに、一つ一つの展示品に、何ともノスタルジーと感傷とがある。もっとも、ぼくが関わっていたのはパソコン側で、ゲーム機側ではない。ゲーム機は最初から大きな企業のビジネスとして立ち上げられた以上、どうしてもメジャー指向、マス指向が強くでていた。その意味で、違うといえば、違うところもある。
たとえば、70年代において、歌謡曲と日本のロックは歴然と別のモノであったにもかかわらず、相互に影響し、同時代性を共有していたことは間違いない。今から聴けば、どちらも同じように懐かしい。そして、その両者が一つに収斂したところにJ-POPがある。ゲームも、ちょうどそれと同じような感じである。最後はゲームソフト業界という一つの世界に収斂してしまうだけに、その時には距離感があっても、結局は同じ穴のムジナでもある。実際、パソコンゲーム屋さんも、テレビゲームもアーケードゲームも大好きでプレイしていたのだから。
ぼくがそこから遠ざかったのは90年代半ばだが、それにはWindows95の登場が大きい。それまではマンマシンインターフェースを通してでも、マシンの中で起こっていることが手を取るようにわかっていたのに、そうでなくなってしまっては、面白くないのである。これで「面白いパソコンの世界」は死んでしまい、パソコンもビジネスになった、という気がした。ビジネスなら、本業に精を出したほうがいい。久々にファミコンの画面を見て、ここでどういう処理をしているかとか、マシンの中の手の内が見えてくる面白さを久々に感じて、そんなことまで思い出した。



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首都東京の形成 -明治の西洋建築を通して-
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室 汐留

今年の12月は、プライベートな視点からだと、年末年始、特に年末の休みが長くて実にオイシイ。しかし、年末のほうが休みが多いということは、仕事という面からすると、その分だけ年末進行が早まってしまうわけで、これはけっこうキツいところがある。それだけでなく、今年は最終週が飛び石連休でクリスマス、あとは仕事納めだけ、ときているので、実質第3週である程度のフィニッシュをさせる必要がある。つまり、忙しいのである。ということで、今週は手近なところでお茶を濁す。
さて、旧新橋停車場鉄道歴史展示室といえば、ご町内である。オープン時にはここで、鉄道開業と新橋停車場に関わる展示をしていた。その時に一度行っているのだが、てっきりここは「交通博物館(これも東日本鉄道文化財団だから)」のような、常設展示の場だと思っていた。しかし、実は鉄道や明治の東京に関連した企画展を行うコトを意図した場だったらしい。ということで、第二弾企画として、明治の都心の西洋建築の企画展が開かれた。
江戸から明治の流れの中で、外国人の居留地だった築地、初めての洋風商店街を目指した銀座、政官の中枢としての日比谷・霞ヶ関、オフィス街・ビジネス街の嚆矢である丸の内の4つの街にスポットを当て、初期の洋風建築と町づくりを紹介する。もっともスペースがスペースなので、提供できる情報量には限界があるが、その分、待ち合わせ等のひまつぶしにもフィットしそうだ。そんな中でも興味を惹かれたのが、東大に保存されているという鹿鳴館の実物、壁紙の断片と、階段の一部である。まさに、明治の建物を復元した旧新橋停車場の内装と見事にマッチしており、なかなか趣深い。



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生誕百年記念展 棟方志功 -わだばゴッホになる-
Bunkamura ザ・ミュージアム 渋谷

唯一無二の表現者、棟方志功の生誕百年を記念して、その生涯と作品を振り返る回顧展。全体を、板画作家として独自の世界を作るまでの「初期」、板画作家として縦横に活躍する「中期」、世界的なアーティストとしてスポットライトを浴びてからの「後期」という3部構成としている。しかし棟方志功は、まだ生誕百年といわれてみてびっくりしてしまう。よく考えればそうなのだが、時代を超越した存在感があるだけに、没後50年とか、もっと昔に活躍していたような気がしてしまう。
しかし、何度その作品を見ても、そのエネルギーや存在感には圧倒されてしまう。いろいろなアーティストがいるし、類まれなオリジナリティーや、エネルギッシュな発信力を持つヒトも多い。そういうアーティストは、作品を見ることによって、その作品に至ったモチベーションや心象の動きは大体理解できるし、その共感で感動したり、納得したりする。しかし、彼の作品はそれとは大いに違う。何から何まで、全く違う世界なのだ。
もうそれは、畏敬とか畏怖とかに近い。理解とか、共感ということを飛び越えてしまう。わからない、全く違う。だけどスゴいのだ。その棟方志功作品がこれだけ凝縮されたギャラリーは、異次元空間というか、魔境というか、とにかく日常からは最も遠い空間になっている。本当にスゴい。とても、同じ人間とは思えない。魔界かパラレルワールドか、違う世界の住人なのではないか。
彼は、いわば「最後の縄文人」としての存在感を持っているのはよく指摘されることである。そう思うと、弥生時代やその後の渡来人達が、縄文文化に出会って感じたイメージもそういうモノだったのではないかという気がしてくる。いろいろな怪談や妖怪の伝説に出てくる魔境のイメージは、もしかすると、縄文文化との出会いが刷り込まれ、伝承されたモノかもしれない。いや、けっこう当たってる気がするが。



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