Gallery of the Week-Jan.04●

(2004/03/26)



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第22回 写真「ひとつぼ展」
ガーディアン・ガーデン 銀座

「ひとつぼ展」といえば、グラフィックと写真。ということで、今度は写真「ひとつぼ展」がはじまった。いつも写真部門では、既存の写真という表現概念を越えた作品が登場してくる。しかし、今年はちょっと違った意味でインパクトがあった。それは、写真表現におけるデジタルと銀塩というスキームの違いである。今回は入選作の半分以上が、デジタルカメラで撮影し、プリンタで出力したものである。
ぼく自身は、デジカメも銀塩も使うが、基本的に作画とか表現意図を使い分けているわけではない。Webに使うからデジカメ、とかそんな感じだ。基本的に「写真家」である以上そういうモノかと思っていたら、あにはからず。そういうモノでもないようだ。端的にいうと、銀塩写真で撮影した作品は、明らかにその「画」の中に、作者の視線や存在感が感じられる。それに対し、デジタルで撮影した作品にはそれが欠落している。それだけでなく、撮り手の意思さえも消えてしまったモノも多い。
犬の視線というか、デジカメが撮っているといおうか、まさに「環境」を切り取ってきて再構成したとでもいうような、今までの「写真」の表現とは、明らかに異質の世界を現出している。デジカメだから、作者が消えてしまうのか。作者を消したいから、デジカメで撮るのだろうか。この卵と鶏は、おそらく両方の相乗効果であろう。
ある意味で、それが時代の雰囲気をよく表しているのだろう。しかし、これを「写真」という表現ジャンルに入れていいのだろうか、なかなか深い問題がある。もちろん、ヴィジュアル・アートであることは確かなのだが。少なくとも、銀塩を使った作品のほうが、現代アートの作品として圧倒的に優れているわけではないのだが、並べてしまうと、圧倒的に「写真」表現なのだ。当分、この問いかけには答が出そうにない。



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わざとこころ 日本式・アニメーションの探検
東京都写真美術館 恵比寿

第7回文化庁メディア芸術祭協賛事業ということで、アニメ界の大御所や有力プロダクションの協力の元、日本のアニメーション表現の今を伝える展覧会。しかし、こういう企画があると、個人的には極めて複雑な思いにかられる。それはぼく自身が、80年代において、メジャーなメディア界の状況と、マイナーなカウンターカルチャーの状況を、それぞれの真っ只中で同時に体験し、その違いを自分の実感としてもっているからだろう。おまけに、最近はこういう企画が多いんだ、また。
パソコンゲームやコミックスのような業界とは、学生時代から接点があったし、いつも読んでおられる方はご存じだが、社会人になってからは、広告業界というところで生息している。社会人になりたての頃こそ、この両者を結びつける接点がどこかにあるのではないか、それを見つけられたらきっと面白いだろう、と思っていたものの、すぐにそれは理屈の上でしか成り立たないことに気がついた。
当時の状況においては、そういう「新人類型カウンターカルチャー」は、構造的にすそ野は拡がらず、マスには乗り得ないものだった。それは、ゲーマーは同時に(ウマいヘタは別として)プログラマーでなくてはならず、コミックスファンは、同時にマンガが描けなくては(あるいは、マンガ評論ができなくては)、そもそもコミュニティーの一員たり得なかったからだ。そういうわけで、ぼくはこの両者については、「二足のワラジ」でやってきたし、バブル期までは、それはそれなりにウマくいっていた。
しかしバブル崩壊とともに、状況は大きく変化する。団塊Jr.層は、これらの「カウンターカルチャー」に対し、純粋に「消費者」として関わり出す。彼らはこの世界に対し、まさに「萌える」だけの関りしか持たない。それは、これらのコンテンツを一気に「商売モノ」にしてしまうと同時に、甘く楽しい桃源郷を、ビジネスの世界にしてしまったのだ。そういう意味では、パソコンではWindows 95、アニメではエヴァが、それぞれ内側からの、ハッピーな時代へのエンドマークとなった。そういう「前史」をロンダリングしてしまうというのは、実は江戸時代の経済発展の申し子でありながら、江戸時代の和魂和才のダイナミズムを歴史の裏側に隠蔽してしまった、明治維新以来の「伝統」なのだろうか。



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生きる喜び−アフリカの二人展 J.D.オハイ・オジェイケレとマリック・シディベ
原美術館 品川

気候と行動半径というのも、微妙な関係にある。距離感とか、アップダウンとか関係なく、天気のいい日に行ってみたいところと、かえって雨の日に行きたくなるところとか、そういうスポットもいくつかある。品川から原美術館までの道は、さしずめ天気のいい日にフィットするモノの一つだろう。風はまだ冷たいが、日差しが暖かい小春日和の日だったので、そんな道をたどってみた。
今回の展覧会は、J.D.オハイ・オジェイケレとマリック・シディベという、アフリカで活躍するベテラン写真家二人にスポットを当てた企画だ。はっきりいって、予見は何もない。ひろい意味でのアートシーンということなら、まだ一つ二つキーワードぐらいは聞き覚えもあるものの、写真となると全くノー・アイディア。それだけに、いったい何が出てくるのか、ワクワクしながら向かう。
1Fは、J.D.オハイ・オジェイケレのコーナー。長年のライフワークとなっている(らしい)、アフリカンスタイルのヘアースタイルの写真シリーズからの出展である。現代的なモノは、ヒップホップ系のファッションとも通じるものがあり、まあ理解できるが、伝統的なモチーフを元に、ヘアアーティストのオリジナリティーを盛り込んだものは、なるほど文化の距離感や世界の広さを感じさせる。
一方2Fは、マリック・シディベのコーナーとなっており、主として60年代から70年代にかけて撮影された、人物にフォーカスしたスナップショットにより構成されている。面白いのは、アフリカの人々であっても、やはり60年代のものは60年代らしさが、70年代のものは70年代らしさが感じられる点だ。こちらは逆に、表面的なトレンドに関しては、いかに地球が狭くなっているかを感じさせて、なかなか興味深い。それにしても、原美術館の庭園が狭くなってしまったのみならず、来館者が自由に歩けなくなってしまったのは寂しい。天気のいい日の木洩れ日が良かったのに。



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第22回 グラフィックアート「ひとつぼ展」
ガーディアン・ガーデン 銀座

今年もまた「ひとつぼ展」の時期が来た。何の先入観も思い入れもなく、ただただ「見たまま」を感じ取れると言う意味では、この企画は毎年面白く迎えている。今回もいろいろな視点・切り口の作品が登場している。その中では確かにグランプリの飯田氏の作品がインパクトとまとまりという面で、首ひとつ離してている感じだろうか。応募作品ではない過去の作品では、藤岡氏のものが一番キャッチーなインパクトがあるのだがちとおしい。残りの作品のなかでは、インパクトはさておき、正統派のビジュアルアートの二作品がそれを追う感じだろうか。
それにしても、今回の作品群を見ていてとても気になったのが、それ以外の作品は、第三者たる「観客」の存在や視線をハナから無視していることがヒシヒシと感じられる作品が多かったことだ。もちろん、多くの応募作の中から、審査員によって選ばれている作品であるがゆえに、そういう傾向値は応募者のみならず、応募者と審査員の共犯ということではあると思うのだが、これが今年の「時代の気分」なのだろうか。
基本的に、作者が作者自身に見られるためだけに作ったのではないか、というメッセージを読み取れてしまう作品が過半数である。ぼく自身、たとえば音楽を作るとき、「自分が聞きたい音楽を作る」という傾向はあるが、それでもある種「ユニバーサルな言語」を使い、わかるヒトには気持ちを共有できるという、最低限のコードは守っているつもりである。それとはちょっとニュアンスが違う。
言い方は悪いが、自分が自分を確認するためにマーキングみたいなモノを感じてしまうワケだ。それはそれで、表現の新しい可能性を切り開く可能性を持っているし、表現やアートの幅を拡げる実験であることは認めるけど。まあ、宮台氏の言う「自意識が消滅した世代」にとっては、自己や自意識自体が新鮮な発見であり、新しい驚きとともに迎えられるモノ、ということなのだろうか。



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