Gallery of the Week-Mar.05●

(2005/04/29)



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椿会展2005
資生堂ギャラリー 銀座

早いモノで、2001年の資生堂ギャラリーのリニューアルを記念して復活した、栄光のゴールデンネームを冠したこの企画展も、今年が5年計画の5年目。児玉靖枝、世良京子、辰野登恵子、堂本右美、三輪美津子、山本直彰、青木野枝、イワタルリ、鷲見和紀郎の9人のアーティストによる、ユニークな合同企画展シリーズも最終回となった。
今年は、今までとは一転して、全体としてのコンセプトやまとまりといった方向性より、それぞれの個性をストレートに出して、それを横串で見る、という感が強い。よく言えば最後にふさわしい「終止感」といえないこともないが。まあ、ビートルズにとってのアルバム「アビーロード」みたいなモノであろうか。
5年という月日は、相当に長い。各アーチストの置かれた環境や状況も、大きく変化しているワケだし、同じメンツで続けてくる、ということだけでもこれは偉大な実験ともいえるだろう。さて、これで復活「椿会展」も第一世代が終わったワケで、次なる仕掛けはどうなるのだろうか。見る方も、もはやそっちが気になるところではある。



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東京都写真美術館コレクション展
写真はものの見方をどのように変えてきたか 1 誕生
東京都写真美術館 恵比寿

東京都写真美術館のグランド・オープンから10周年になるのを記念し、普段、あまり体系的に見るチャンスのない、東京都写真美術館所蔵の写真作品を体系的に見せる企画展。全体を時代的に「誕生」「創造」「再生」「混沌」と4期に分け、それぞれの時代を代表する所蔵写真作品の展示により、150年以上に及ぶ写真表現の歴史を振り返る。
第一期の今回は、大テーマを「誕生」とし、その中を、写真技術そのものの発明から表現手段としての写真が生まれるまでをとらえる「誕生-発明された第三の視覚」と、当時ならほぼリアルタイムといっていい速さで日本にやってきた写真術と写真師の渡来をとらえる「渡海-往来する「術」と「像」」の2つのコーナーから構成している。
とにかく、まだ写真自体が貴重だった時代の写真である。百数十年を経た今、その作品自体が撮られた当時以上に貴重なのはいうまでもないが、そこに露光された「情報」そのものも、それ以上に貴重なモノである。その時代のヒトの生きざまや街の様子は、文章として残されたモノからも読み取ることはできるが、文章で記録できる情報量は限られている。いつも言っているように、写真には、写真を撮ったヒトが意図する何十倍もの情報量が記録されてしまう。
何気なく写ってしまっているモノが、今となってはこの上なく貴重なのだ。そう思ってみてゆくと、たとえば幕末の人々の表情や所作が、ビックリするほど今と変わらなかったり、江戸の街や街道筋の景色も、場所さえ選べば昭和30年代の日本にも残っていたような、典型的な風景であることがわかる。しかし、それにしても人間が「写真に撮りたい」と素直に思うモノってのは、全然変わってないのね。これも面白い発見ではあるが。



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第24回 写真「ひとつぼ展」
ガーディアン・ガーデン 銀座

今年もまた、恒例の写真「ひとつぼ展」がやってきた。毎年見ていると、時代のながれというか、その年の気分というか、けっこう再発見できるので面白い。去年は、デジタルと銀塩が違う表現手段になった、ということが強く印象に残ったが、今年はどうだろうか、というワクワクした気持ちを持って覗く。
今年の傾向をひとことで言うと、「正攻法の復活」ということであろうか。オーソドックスな意味での、「写真家が写真作品を創った」という感じにあふれた作品が多い、というか主流を占めている。もう一つの流れは、極めて私的な「私小説的な組写真」なのだが、これも一応伝統的な意味での「組写真」の呈をなしているという意味では、保守本流と言えないこともない。
これは、デジタルか銀塩かという、使っている手段を問わず共通している傾向だ(もっとも、私写真はデジタルの独壇場のようだが)。思うに、この裏には、デジタルカメラの技術的な進歩が影響しているのではないか。デジカメのシャッターのタイムラグというのは、写真家にとっては堪えられないほど長い。鉄道写真を例に取ると、走行中の列車の写真を撮るときには、少なくとも直径10cm前後の柵との位置関係を見てシャッターチャンスを決めるのが常識だ。列車が時速60〜70km/hで走っているとすると、これは0.005秒程度の動きを見切っていることになる。
この程度のタイミングに連動してくれなくては、シャッターチャンスはつかめない。アマチュアでしてこれなので、プロからすれば、「デジタルはブツ撮りしかできない」ということになる。逆に、実際にシャッターを切るタイミングは「神の手」が決める以上、意図せずムービーのように「雰囲気」や「空気」が写るということになる。これが、第三者的視点の面白さを生んでいたのだろうが、最近のデジカメの進歩は、特に高級機ではタイムラグを気にせずシャッターを切れるモノが増えてきた。このあたりが、デジカメでも「シャッターチャンスをつかめる」ことにつながり、「やはり、写真はいかに瞬間を切り取るかという意思だ」という気風が戻ってきたのではないかと思うのだが。



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05 TDC展
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

恒例の、東京タイポディレクターズクラブ主催のTDC賞展が、今年も開かれる時期になった。今年は、例年になく海外からの参加作品が多く、それらが多く入賞しているのが一つの特徴となっている。全体として、既存のグラフィックデザインのタイポグラフィーというあり方をどう乗り越えるか、という課題へのブレークスルーを目指した作品が多く、なかなか新鮮な感じがする。
しかし、その方向性が国内作品と海外作品でかなり違う点も興味深い。国内作品は、どちらかというとデザインのための手段となってしまったタイポグラフィーに、言霊というか、もう一度文字本来の持っているパワーやエネルギーを取り戻そうという意気込みが感じられるモノに秀作が多かった。
その一方、海外モノでは文字のもつ役割や機能を徹底的に解体してしまうベクトルが強く感じられるものに周作が多かった。ある種文字のもつ「文字性」を超克することで、デザインのパワーを最大限引き出そうという意気込みが感じられた。
どちらにしろ、文化的バックグラウンドの違いがあるので、その方法論はさておき、目指すゴールは近いということかもしれない。なかなか興味深く、インパクトのある作品が多い。デザインにおける、次の時代への胎動が現実のものとなり出したということなのだろうか。



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特別公開 中宮寺国宝菩薩半跏像
東京国立博物館 上野

すっかりおなじみになった、東博の平成出開帳シリーズも、今回は中宮寺の国宝菩薩半跏像。共通一次世代までのオジさんオバさんには、「伝如意輪観音」として親しまれていた、言わずと知れた飛鳥時代の銘仏の一つである。さすがに一点勝負なので、出開帳のメッカ(笑)平成館ではなく、本館の中央ホールに堂々と鎮座ましましての登場。
中宮寺に行ったことがある人はわかると思うが、中宮寺の本堂は、都市部のお寺の本堂のような、どちらかというと「モダニズム様式(笑)」の寺院建築である。法隆寺や薬師寺、唐招提寺といった他の奈良の名跡の本堂とは違い、今ひとつ荘厳さ、重厚さが薄い。それだけに、空間ごと楽しむというよりは、仏像そのものを鑑賞する、という気分が強いのも確かだ。
だが、今回は逆に広い空間の中に、一発勝負で菩薩像が安置されている。照明による演出も加わり、中宮寺本堂とは違った雰囲気で、この仏像を味わうことができる。どうしても、和辻哲郎が絶賛した「アルカイックスマイル」の表情をたたえる顔に視線が行ってしまうのが、全体をバランスよく味わうことができる。これは新しい発見である。ここが必見なところか。
しかし、中宮寺といえばこの菩薩像と、聖徳太子妃であった橘大郎女が作らせたといわれる「天寿国繍帳」という、国宝2点が二枚看板というか、ほとんどそれを見せるための博物館のようになっているだけに、いま中宮寺の方がどうなっているのか妙に気になってしまう。と調べてみると、本堂には複製を置くとともに、通常は複製が置かれている天寿国繍帳のほうが、通常保存している奈良国立博物館から戻されて公開とのこと。なるほど、と、妙に納得。



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