Gallery of the Week-Jan.07●

(2007/01/26)



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20世紀美術探険 -アーティストたちの三つの冒険物語-
国立新美術館 六本木

戦前の歩兵連隊、ぼくらの世代だと、東大の生産技術研究所の跡地を利用して建設中だった、国立新美術館が完成した。そのこけら落としのイベントとして開かれているのが、この「20世紀美術探険 -アーティストたちの三つの冒険物語-」である。さて、この新美術館、とにかく広い。東京都近代美術館も広いが、あれはまだ美術館の展示室としての「構造」を持っている。ここはもはや、美術館というより、幕張メッセや東京ビッグサイトに近い。
そう思ってよく見ると、その名もmuseumやgalleryではなく、art spaceである。さらに説明を読むと、所蔵品を持たず、企画展の実施に徹する会場となるらしい。なんというか、「これぞハコモノ行政でござい」と開き直っている感じさえする。昨今は東京圏のイベント会場も、供給がニーズを上まわっている感がある。確かに、搬出搬入や、照明・空調などは、汎用ホールよりは美術展を開催しやすいようになっているようだが、今、この会場が本当に日本に必要なのか、的確に答えを出せる人はいないのではないだろうか。
さて展覧会は、この広い会場をたっぷり使ったてんこ盛り。王道から前衛、さらにはグラフィックデザインやプロダクトデザインまで、およそ20世紀を代表する「クリエイトされたカタチ」を、これでもか、これでもかと、全国、全世界の美術館から出品された物量作戦で見せてくれる。過去に見たことがあるモノも多いが、存在すら知らないものもある。収集作品の虫干しという意味では、効果的かもしれないが、こうなるとまるで公募展だ。いいとかわるいいとかではなく、こういう見せ方をしなくては見えてこないものはあるコトも確かなのだが、それが見えるヒトがどれだけいるだろうか。
80年代からバブル期の頃、六本木近辺に住んでいただけに、昔の六本木にはある種の懐かしさがある。そもそも六本木の文化というのは、夜の街、水商売の街としての文化であって、だからこそメインストリームに対するオルタナティブとしての魅力があった。最近の再開発は、それをなにか「普通の街」にしてしまうようなベクトルを強く感じる。この国立新美術館周辺の再開発で、六本木ヒルズとミッドシティーがつながり、「健全の壁」ができてしまう。そういう意味でも、これがここにあることは果たしていいことなのか、ぼくは疑問を感じずにはいられない。



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EXHIBITIONS Graphic Messages from ggg & ddd 1986-2006
ギンザ・グラフィック・ギャラリー 銀座

「EXHIBITIONS : Graphic Messages from ggg & ddd 1986-2006」は、大日本印刷が、1986年3月にギンザ・グラフィック・ギャラリーを開設して20年、大阪の堂島にdddギャラリーを開設して15年にあたることを記念し、今までのギャラリー活動の総括として企画された展覧会である。両ギャラリーのこれまでの出展作家、内外25ヶ国、約170名から、この20年間の代表作品とメッセージを集め、これにより、この20年間のデザインの流れを知ろう、という企画である。今回は、1月は国内作家、2月は海外作家と、2部で構成が企画されている中の、国内作家の作品展である。
日本においてはこの20年は、バブルからバブル崩壊、金融危機から構造改革へ、と、まさに20世紀後半のスキームが崩れるとともに、その中から21世紀型の新しいパラダイムを生み出す時期に当たっている。高度成長期は、成長する市場と共に、社会にも経済にも、常にフロンティアが存在していた。要は、そのフロンティアを追いかけていれば、なんの努力もなく、自動的に果実にありつけた時代であった。それが今や、安定化した社会にはフロンティアはなく、果実は自分の努力でしか得られない時代となった。
日本社会がこの掟を知ったのは、この2〜3年であろう。もっとも、今だに気付いていないヒトも多いのだが。しかし、デザインのようなクリエーティイブな世界では、バブル崩壊と共にフロンティアが喪失していたことがよくわかる。足の速さだけで乗り切っていたデザイナーは、この変化の前に生き残れなかった。その立ち位置はどこであっても、自分独自のスタンスを持っていたヒトだけが、次の時代への切符を得られた。
デザインに限らず、この10年、20年の日本の課題が、これらの作品群の中に凝縮して現れている。変化のない時期ほど、実力とオリジナリティーが問われ、勝負のカギとなる。それは、バブル期にポストモダンなどといわれたものが、単に目先の目新しさの問題なのか、右肩上がりの追い風がなくてもやっていける底力の問題なのか、その時点で見えていたヒトだけがいき残れたことが如実に示している。昭和は、近代は、歴史の中で振り返るモノとなった。それをなにより鮮烈に、ヴィジュアルで見せてくれる。



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Shiodomeitalia クリエイティブ・センター オープニング企画
イタリアデザイン界のマエストリ達
「再現・1960・ミラノ」日本デザインとラ・トリエンナーレ・ディ・ミラノ
エットレ・ソットサス 定理に基づいたデザイン
Shiodomeitalia クリエイティブ・センター 新橋

未完の環状2号線と東海道線を挟んで、汐留シオサイトと対偶の位置にある「イタリア街」。そのフェイクのイタリアの中に、デザイン・建築・アートなど、イタリアの誇る現代文化の発信拠点として、「ラ・トリエンナーレ・ディ・ミラノ」との連携により作られた、Shiodomeitalia クリエイティブ・センター。そのオープニング企画として、三つの展示室を活用し同時開催された、三つの企画展。
「イタリアデザイン界のマエストリ達」は、現代イタリアを代表する28人のデザイナーを取り上げ、それぞれの作風や特徴を、プロダクトデザインに関わった、20世紀後半の製品を通して紹介するものである。歴史的な饒舌性を否定するのではなく、モダニズムにより、それをいかにシンプルな中で表現するかが、イタリアモダンデザインの特徴だが、その、いわば「"13/7"の合理性と美しさ」とでもいえるような、紙一重の醍醐味を、たっぷりと堪能できる。
「再現・1960・ミラノ」は、1960年、トリエンナーレ・ミラノで金賞を受賞した、日本が初めて国家レベルで参加したセクションの展示の部分再現を中心に、ラ・トリエンナーレ・ディ・ミラノの歴史の紹介と、歴代の日本関係の展示の写真展により構成されている。ラ・トリエンナーレ・ディ・ミラノが生まれ、発展したのは、まさにファシズムの時代であり、「維新」として過去に一線を引くために、モダニズムとモダンデザインがいかに大きな役割を果たしたかがよくわかる。
「定理に基づいたデザイン」は、アーティストとしてもデザイナーとしても活躍している、エットレ・ソットサスの世界を、家具とリトグラフという二つのチャネルを通した展示で見せてくれる。古典的でもあり、モダニズムでもあり、ポストモダンでもある、とでもいえるように、見方によって表情を変える作品群は、ある意味では、近世以降のヨーロッパの歴史などモノともしない、イタリアの伝統の強みを今に見せてくれるモノといえるだろう。
しかし、それにしてもこのイタリア街。何とかならないモノだろうか。モダンなビルに、デコラティブなファザードだけつけたような「実用テーマパーク」の発想は、もともと割り切れる整数に、意味なく小数点以下をつけまくって無理数のように見せるのが好きな「フランスデザイン」ならいいかもしれないが、どう考えても、イタリアデザインとは相容れないと思うのだが。ラ・トリエンナーレ・ディ・ミラノの関係者は、なんと思ったのだろうか。まあ、これが日本らしいことは確かだが。



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