Gallery of the Week-Mar.07●

(2007/03/30)



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うつゆみこ展 「なまなま」
ガーディアン・ガーデン 銀座

期末で時間がないので、手近なところになってしまったが、第26回写真「ひとつぼ展」グランプリ受賞の「うつゆみこ」が、その賞として開いた個展である。食べ物や虫、人形、植物などを利用したオブジェ的なインスタレーションを、時系列的に変化させながら撮影してゆく独特の作品世界が、ガーディアン・ガーデンいっぱいに炸裂する。
「モノ」としての存在感のリアリティーと、シュールな虚構性が、濃厚なフルカラーで迫ってくるその作風は、どの作品でも余すところなく伝わってくる。普通、グロが過ぎるとコミカルになるし、コミカルが過ぎるとグロになる、というように、グロさとコミカルさは、表裏一体であるが、彼女の作品においては、「どちらか」の選択ではなく、「どちらも過剰」なのだ。
この手の企画は、アイディアスケッチやコンテにしてしまうと、コミカルかキモいか、どっちかに振れてしまう。ベースのコンセプトだけになり、トッピングの味わいが出てこないからだ。そういう意味では、コンセプチュアルな部分と、質感描写の部分とのアンビバレンスが、彼女の作品の魅力ともいえる。そして、その質感の部分が、写真ならではのリアリティーによって描かれている点に特徴がある。
確かに、ギャラリー内に置かれた機材を見ると、ブローニー判のカメラを利用しての接写撮影による作品のようで、質感を切り取ることに対して、並々ならぬ追求をしていることがわかる。そういう意味では、そこにあるために「写ってしまう情報」も含めて、写真でしか成り立たない新しい表現であるということができるだろう。



3/4w
マグナムが撮った東京
東京都写真美術館 恵比寿

第二次大戦後、ロバート・キャパ、アンリ・カルティエ=プレッソン等の写真家によって創設された写真家集団マグナム。写真家自身が、自らの表現したい写真を発表できる環境を目指したその活動は、20世紀後半の写真界に大きな足跡を残した。国際的に活躍してきた彼らの足跡は、日本にも数多く残されている。そんな中から、東京をテーマとした作品を集めた企画展である。
展覧会の構成は、マグナムが活躍してきた時代にあわせ、1950年代から2000年代まで、6つのティケイドごとに6つのテーマが設定され、30人以上の写真家による作品が集められている。マグナムというと、どうも40年代、50年代を中心に、60年代ぐらいまでのイメージが強いが、今回は、40年代はなく、50年代以降均等の扱いとなっている。
50年代以降の東京というと、その初頭の5〜6年は別として、まさにぼく自身が生きてきた時代そのものだ。そういう意味では、とても期待が大きかったのだが、結論的にいえば、かなり違和感が大きい。インサイダーとして見えていたものと、外国人の目から見えたものとが、かなり違うということなのだろう。写真家たちの行動範囲が限られていることも気にはなるが、それ以上に、目のつけ所が違うのだ。
中から見ていると、やはり東京というのは変化の多い街である。こと外見においては、マグロの回遊のごとく、一瞬でも速度をゆるめれば呼吸ができなくなるかのように、景気と関係なく疾走しつづける。しかし、そのワリには、そこに息づいている大衆の心の中は、余り変わらない。どうも世界的な写真家たちは、この「日本の大衆の不思議な存在感」に好奇心を持っているようなのだ。そうならば、その視線や切り取った瞬間が、この60年でほとんど変わらないのもよくわかる。見るべきポイントは、ここに尽きる。



3/3w
夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史 I.関東編
東京都写真美術館 恵比寿

写真作品を収集している公共機関は、写真作品の収集・展示を主要な業務としている博物館や美術館に限らない。過去の記録として、郷土資料館や学校の資料施設といったところにも、貴重な記録が保存されているコトが多い。これらの「写真としての存在を忘れられてしまった、写真資料」を発掘し、体系化するプロジェクトとして東京都写真美術館が取り組んだ成果の発表が、この「知られざる日本写真開拓史」だ。
写真の社会的な評価が確立する前の時代、主として幕末から明治前期の写真を対象とし、第一回としては、関東圏の1500の施設への調査の結果、その存在・収蔵の状況が確認された作品の中から、今まで未発表の作品の現物を、同時代を代表する同美術館収蔵作品とあわせて展示している。中には、ネガも含めて現存している作品もあり、原版自体を見れるというのは、極めて貴重な体験かもしれない。
記念撮影の肖像写真から、外国人向けのおみやげ写真、はたまたいろいろな記録写真など、その中身はあまりにいろいろなレベルの混交だが、この時代の写真というだけでも、今なお現物が存在していることだけで貴重である。ましてやいつもいうように、写真からは撮影者の意図を越えたものまで読み取れてしまう。
写真の中には、岩崎・渡邉コレクションの撮影者として知られる小川一真氏が、自らの写真館で撮影した肖像写真、などというものもあって、別の意味で興味を惹かれた。今後このシリーズは、各地での調査の進行にあわせ、シリーズ化する予定となっている。これまた、今後の展開が楽しみな企画でもある。



3/2w
第28回 写真「ひとつぼ展」
ガーディアン・ガーデン 銀座

またまたやってきました、「ひとつぼ展」。個々の作品もさることながら、全体を通したノリが、妙に時代の雰囲気を反映していて、毎回楽しみだったりする。今回のミソをひとことで言うなら、「写真への回帰」というところだろうか。最近になく、本来的な意味での「写真作品」という味わいを持った作品がならんでいる。
もちろん、個々の作者の狙いどころや、作品の「つくり」は多種多様なのだが、画面の肌ざわりが、銀塩写真の頃から続いている、きわめてオーソドックスな持ち味なのだ。もちろん、実際に銀塩フィルムで撮影した作品もかなりある。前回より、多少作者の年齢層が高めということもあるかもしれないが、会場自体の雰囲気が、かなり独特なものになっている。
アートにおいては、新しい表現手段が出てくると、最初は、その「物珍しさ」を強調するような作品がもてはやされるのだが、けっきょくは脈々と続く「表現としての流れ」の中に溶け込み、いつかはあまたの表現手段の一つとなる。カメラ各社が、銀塩カメラの生産中止や、カメラからの撤退を表明した今は、やはり、表現としての写真の画期でもあるということなのだろう。



3/1w
第10回 文化庁メディア芸術祭
東京都写真美術館 恵比寿

メディア芸術祭も10回、よく続いているものである。最初の頃のテクノロジーアートのような枠組みが拡がり、最近はゲームからアニメからファインアートまで、なんでもてんこ盛りである。そもそも大衆社会になってからの「美術」とは、「お客に見られてなんぼ」であり、その意味では、常にメディアと不可分の関係にあった。19世紀のイギリスで起った、一般向けの美術館やコンサートホールは、それ自体が、その時代における新しいメディアだったではないか。
そういう意味では、この数年は、旧来のテクノロジーアート的なフレームを強く残したものと、全くそういう次元とは別に、一つの「作品」としての完成度を問うものと、根本的に異なる価値基準が同居している、妙なコンテストになってしまっている。もっとはっきりいうと、スタート時点でのスキームが、もはや意味を失っているにもかかわらず、役所の仕事らしく、「既得権益としての開催」がなにより自己目的化してしまっているためだろう。
それは、同時開催の「第13回学生CGコンテスト」を見てみると、より強烈に感じられる。気のきいた作品は、別にCGである必然性も意味づけも何もなく、作品として完結している。そのまま「グラフィック ひとつぼ展」に出しても、見事に収まってしまいそうだ。描画手法としてのコンピュータだディジタルだというのは、どのメーカーの絵の具を使っているか、というレベルでしかない。
逆にいうと、これからは、80年代やバブル期へのノスタルジーという意味で、往年の「コンピュータらしい」表現が求められることはあっても、同時代的なディジタルというのは、もっとも日常的な表現ツールでしかない。文化庁の役人こそ、今の小学生からすると、ドラゴンクエストとか無印ファミコンのゲームは、あたかも今の中年が田中義右衛門のからくり人形を見るような、そういうレトロなイメージだということに気付くべきなのだ。



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